いいんじゃないか? 2
着替え終わってグラウンドに戻った頃には、上級生のアップは大体済んだようだった。円状に集合し、練習前ミーティングをしているようだ。
「お、来たな。新入生第一号」
初又さんが手招きをしている。身長のある彼は、集合した野球部の誰よりもよく目立つ。
初又さんの隣に入ると、身長同様デカい掌が、頭の上に落ちてきた。そのままバンバンと(彼にとっては)軽く叩きながら、上級生たちに紹介をする。
「本来1年生が練習に加わるのは明日からだが、せっかちな奴が年に1人はいるもんだ。本日付けで野球部入部の佐倉 一暢。みんな、可愛がってやれよ。程々に」
「初又さん、痛い、痛いって!」
必死に巨大な手を振り払うが、当の初又さんは「やっぱ相変わらず、固い頭だなぁ」などと笑っている。この人は自分がいかに日本人離れした身長をしているか、そしていかにその身長に見合った力を持っているかを自覚していない。
「部長、1年生の本入部期間はまだ先だよ」
「……そうなのか? 初耳だなぁ」
「あんた部長だろ! 1番知っとくべき人間だろ!」
そしてどうやら今も変わらず、少しばかり天然が入っている。この人部長だったのか。大丈夫なのか、一体。
「まぁ、そういうことでだ。取り敢えず一暢、自己紹介しとこうか」
「はい」
頷くと、喧騒していた上級生たちが一様に沈黙し、注目した。こういう場で喋るのは、正直あまり好きではない。手短に、手短に。
「佐倉 一暢です。ポジションはサードです。よろしくお願いします」
すると2つ左隣で刈り上げた頭を弄っていた1人が、こちらに顔を向けず、無遠慮に質問を発した。
「どこの中学の出身よ?」
出てもおかしくない質問である。が、出てほしくない質問でもあった。しかしここで返答を拒否しては場の空気も悪くなる。
「……華僑中学です」
渋々答えると、案の定上級生たちはどよめいた。華僑中学は全国大会に毎度出場する、京都府屈指の名門校だ。兄が兄だけに、と謎な期待をされて特待されたまではよかったのだが、3年間ベンチに終わったのが現実だ。
周りがどよめいている中、刈り上げ上級生だけはにたりと笑っただけの小さな反応だった。
「へぇ、華僑の佐倉といやぁ、知らねえ奴がいない甲子園のエースじゃねえか。単なる同姓か?」
「兄です」
最低限に短く答えると、刈り上げ上級生は水を得た魚よろしく、ようやくこちらに顔を向けた。
「華僑の佐倉の弟か。さぞ腕が立つだろうに、敢えて甲子園経験もないうちに来るとは変な話だな。何考えてんだ?」
この男、随分と無礼である。
「兄の実力と俺の実力は関係ありません」
「そんじゃ、軽く球遊び程度に嗜めばいいや、ぐらいの心意気か? それじゃあ兄貴が泣くだろうな」
「そんなつもりはありません。俺は兄貴を倒したいだけです」
半ば怒り心頭に噛み付いた俺の返答に、その場の全員が沈黙した。多分7割は驚き、2割は聞き間違いだと思ったに違いない。隣でずっとニコニコしてる部長さんが何を考えているのかは、推測するだけ無駄である。
「おもしれぇな、お前。あの華僑の佐倉を倒したいってか。ただの下手くそにしては口が過ぎるんじゃねーか?」
「あんたよりは上手いよ」
ついに敬語が消えてしまった。が、幸いにも刈り上げ上級生はそこで気を悪くはしなかったようだ。
「俺より上手い、か。夢だけじゃなく、話す言葉もおもしれぇ。よし、俺がテメェの実力を測ってやる」
「どういう意味だ?」
「なぁに、簡単だ。俺が投げてテメェが打つ。1打席勝負といこうじゃねえか。華僑の佐倉の弟がどんだけ強えか見てやる」
普段なら、こんな安い挑発に乗る俺ではない。だが幾度となく「華僑の佐倉」が刈り上げ上級生の口から走ったことで、どうやら俺はいつもの平常心を失ってしまったらしかった。
「いいぜ。但しこの勝負で勝ったら、即俺をレギュラーにしろ」
「よし、乗った。そこにバットあっから好きなの使えや。部長、そういうことなので!」
「いや、時間のことなら別にいいけど。レギュラー云々を決めるのは監督なんだが」
「大丈夫っすよ。俺が勝つっすから」
中学3年の夏に引退してからこの半年、バットを握ったのは高校入学が決まった後に毎日素振りをした程度だ。本音を言うなら、空白期間が長い。だがそれを言い訳に逃げるわけにもいかないのだ。
適当にバットを1本握り、俺は半年ぶりにバッターボックスへと足を踏み入れた。