だからこそ
野球を始めたのは10歳の時。わずか3ヶ月でエースの座を先輩から奪い、6年生のリトルリーグでは全国準優勝。京都でも屈指の名門私立中学に特待される。
半年という異例の速さでレギュラー入り。2年生の夏の大会ではチームを全国優勝の栄光へと導き、自身はアンダー15ベスト投手賞受賞。全国各地からスカウトが来る中、甲子園の常連・大阪府立鶴見大附属高校に進学。
そこでも快進撃を見せる。入部した時点でレギュラー投手。府大会を1失点に抑え、他の甲子園常連校を物ともせずに、いきなりの甲子園出場。1の数字を背番号に背負い、4試合完投、2失点。当然、と言わんばかりに優勝した。
残念ながら、これは俺の成績ではない。兄・佐倉 俊希のものだ。高校2年生にして、あいつは早くも「日本最高の高校球児」と呼ばれている。悔しいけれど、認めるしかない。あいつが負けるところなんて想像なんて出来ないし、実際に負けるところも見たことがない。リトルリーグの準優勝にしても、あいつは準決勝の相手の八つ当たりにあい、怪我をさせられただけなのだ。更に言うなら、決勝戦で敗北要因を作ったのは俺である。
しかし弟としては面白くないことこの上ない。周りからはチヤホヤされ、ちょっとぐらいテストの点が悪くても笑って許される。特待生として学費が浮いたから、という口実で新品の野球具を買ってもらい、時給1800円という高時給で小学生の野球のコーチを頼まれる。告白はされるのが当たり前、いつも断るのが大変だ、などと贅沢な愚痴すらこぼす。
それに比べて俺ときたら。
いつも立ち位置は兄貴の影。呼ばれる時は「俊希の弟」、俺自身、自分の名前が何だったか忘れたりする。小学生の時には決まってベンチで兄貴の応援、中学の時は練習試合でボコボコにされる。チームの練習についていくのがやっとだし、学業もいつも赤すれすれ。当然、彼女などできるはずもない。
だからこそ、あいつを倒したい。
そんな大それた、と言っても過言ではないやぼうを胸に、俺は「城菱高校」と書かれた門をくぐった。