No.51 セックスボランティア
(註1)セックスボランティアとは:
身体または知的障害を持っていることが原因でセックス(性行為)の機会を得ることが極端に少ないか、セックスあるいは自慰行為を行うこと自体が物理的、肉体的に困難な人々に対し、性行為の介助――自慰用具の選定や代行購入、手への自慰用具の固定(テープなど)に留まる――を行う人のことである。(wikipediaより)
性行為そのものを介助するものではない旨を前もってお断りさせて戴きます。
詳細→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2
(註2)障害者に対する偏見、差別を増長する目的で執筆したものではありません。
(註3)この作品はフィクションです。実在する団体・職業・人物及び類似事実はございません。
僕がそれを知ったのは、キーワードを繋ぎ合わせてみてヒットしたから、というだけだ。
『セックス』
『ボランティア』
そして見つけたのが、『セックスボランティア』というデリバリー風俗店。誤解を意図的に招こうという臭いがぷんぷんしていた。
その店へ興味本位でファックスを送った。自分の年齢、唖者であること、手話と筆談が可能で、性的な面では特に不具合や介助の必要性はないが、デリバリーしてもよいのかどうか。返事は、併記しておいたメールアドレスへ即座に届いた。
『お問い合わせありがとうございます。当店では、心のバリアフリーをモットーに、御客様のような障害をお持ちの方にも、いわゆる健常者と呼ばれる方にも、分け隔てなくサービスをご提供出来る』
うんざりとさせる定形文は、その辺りでもう読み飽きた。添付されたメニューファイルを開き、写真と女の略歴を見る。意外と大人数の女達の中で、ひときわ目立つ一文を見た。
『略歴:知的障害の弟を練習台に、セックスボランティアの経験あり。少々くたびれていますが障害にコンプレックスを抱く御客様にもお薦めの子です』
腹立たしかった。それはその女に対しても、それをこんな形で晒す経営者にも。障害者のすべてが劣等感を抱いていると決めつけている。弟を練習台にする女の外道さにもはらわたが煮えくり返った。僕達障害者を見下した目で見ているこいつらをこらしめてやろうと、その女を指名して返信を送った。
僕の部屋へやって来た女は、写真で見るよりは普通の女だった。普通の、水商売の女。そういった場所へ行ったことのない僕の中でのイメージと比較したに過ぎない感想だけれど。
「別にしゃべることなんかないから、紙とか鉛筆とか、どっかへやっちゃって」
彼女は乱暴にそう言うと、事務的に服を脱ぎ出した。僕はそれを見て唖然とする。これのどこが「お薦め」なんだ?
「で? あたしはどうすればいいわけ?」
それは、こっちが訊きたいくらいだ。
「口が利けなくても手足があるんでしょ。あたしの弟みたいに、口があっても両手がなくて目も見えなくて、泣きながらして欲しいことを吐かなくて済むだけマシなんじゃないの、あんた」
彼女はベッドに腰掛けて阿呆のように口を開けたままの僕を、蔑みの目で見下ろした。
「あたしは障害者だからって、同情なんかしない。金はきっちりもらうから。でないと弟を食わせていけないんだよ。何をされてもいいけど、それだけは肝に銘じておいて」
頭の中が真っ白になった。僕が描いていた女とイメージが全然違う。
僕の前に跪いてズボンのファスナーを下ろした彼女の手を、僕は咄嗟に握りしめた。訝る表情で顔を上げた彼女に、ありったけの想いをこめて見つめる。
「なに? 風呂場でプレイの方がいいとか?」
僕は片手に彼女の両手をまとめ、右手で慌てて紙と鉛筆を持った。そこに彼女が来るまで思い描いていたことと、自分がどうしてやろうと思っていたか、そして今の僕の気持ちを書き綴って頭を下げた。
見上げていた彼女の瞳が、途端に潤む。
「あんた……ばかじゃないの? あたしなんかとうの昔に汚れてて、これにあんたが加わったところで汚いことに変わりなんかないじゃん。何、話し相手だけでいいって。バカにしてるの?」
強く目で訴える。首を大きく横に振る。そして紙に記した言葉を、今度は強く目で訴えた。
彼女は、語る。初体験がレイプだったこと。その相手が知的障害の男で、彼女が吐き出し口のない性欲の餌食になってしまったこと。自分の弟も肢体障害だったため、ただでさえ将来が不安な上に、そんな前科を加害者につけたら職を失くし、彼が第二、第三の自分を生むのではと考え、泣き寝入りをしたということ。
「セックスボランティアって本、知ってる? もっと早くそういうことが世間に知れ渡ってくれていたら、あたし、こんな風になんかならなかったかも知れないのに」
ぽたりと初めて零す涙が、彼女の目尻にうっすらと浮かぶ小皺さえ美しく見せた。
だから、なのだ。泣きながらどうして欲しいと吐き出す弟と、そんな関係になったこと。弟が犯罪者になるくらいなら、彼女がすべて引き受けようとしたのだ。
どこまでも優しすぎる痛々しい彼女に、僕は何も書き綴れなかった。僕にもし語る口があったとしても、どんな言葉も伝えることが出来なかっただろう。
「!」
ただ、抱き寄せる。あまりにも哀しくて。気づけば僕は、彼女の細くやつれた裸の肩を自分の涙で濡らしていた。彼女はシャツ越しでも痛みを感じるほど強く僕の背中に爪を立て、声を上げて、泣いた。
僕らは、泣きながら抱き合った。喘ぐ声も、荒い息も、悶える声も、彼女ただひとりだけのもので。だけど互いの触れ合う肌が、離れがたいとばかりに張りつき合う。音なき呼吸が、彼女のそれとシンクロする。
罪の想いを奥深くに抱きながら、僕は彼女とともに、堕ちた。それは性的な意味だけでなく、彼女そのものに、堕ちた。
目覚めると、彼女はもういなかった。
『話、聞いてくれてありがと。劣等感のない男はかっこいいよ。弟にあんたの話をしてやるけど、二度と逢わないからってことで赦してね。それと、こっちがボランティアを銘打ってるのに満額もらっちゃ悪いから』
その走り書きの横に、前払いで渡したうちから返された、むき出しの一万円札が置かれていた。
いい年をして何を今更、と思う。
僕が障害にコンプレックスを抱かずに生きて来れたのは、幼馴染だった妻のお陰だ。先天的に口の利けない僕を、哀れむでもなく敬遠するでもなく、ただ『僕』として寄り添い続けてくれたからだ。
当時はまだ、セックスボランティアなんて存在しなかった。養護学校や唖者の集う集会などで、仲間達と年頃の時分には、もっぱら性的な問題について苦悩を吐露し合うことが多かった。その輪に僕は入れなかった。当時恋人だった妻が、僕を愛してくれたから。そして、妻はその時言った。
『ないなら作ればいいじゃない。私達なら出来るわよ。だって、健常者と障害者のカップルなんですもの』
僕らは互いの両親を説得し、随分早い結婚をした。両親の援助のお陰で大学も卒業させてもらえた。その傍らで僕は、障害者のセックスについて問題提起の場を作っていった。妻はそれに付き添う一方で、生活を支えるために働き過ぎて……心筋梗塞で、先に逝った。
彼女の両親に、罵倒された。死因は過労だけではなかった、と。
「性欲に狂った夫婦」
「ほかに考えることはないのか」
「そんなにおしのダンナのセックスがよかったのか」
そんな匿名のファックスが事務所に届いては、彼女が僕に隠して破棄していたことなんて、彼女の両親から聞かされるまで知らなかった。
今も活動を続けてはいるが、正直妻とともにしていたころのモチベーションを保ててはいなかった。仲間への義理、共感してくれた人達が、会社を辞めてまでともに闘ってくれることへの恩義だけで動いていた。
一夜をともにした「セックスボランティア」の彼女は、僕の名前さえ聞かなかった。あれ以来一度も訪ねて来ない。店に指名しても断られ、しまいにはブラックリスト入りしてしまったのだろうか、メールを送信してもあからさまに受信拒否されるようになってしまった。
罪の意識がつきまとう。「セックスボランティア」の彼女に対し、そして妻への貞操に対し。セックスボランティアの本当の意味を知っていた癖に、結果的に僕は、金を払って彼女を抱いた。妻を亡くしてからは、二度と特定の女性を愛さないと心密かに誓っていたにも関わらず。
一夜だけの彼女を忘れられない自分がいる。彼女があんなことをしなくてもいいように、僕が彼女の弟を助けたい。そして彼女を、あんな無理解で人間を人間とも思わない店から救い出したいと思っていた。
届かない彼女への想いをテキストに書き綴っては、上書き保存し続ける。そんな少年のような小心の僕がいた。
ある日、事務所へ突然見知らぬ男達が訪ねて来た。
「てめえ、何を吹き込みやがった。家の大事な商売道具をたぶらかしやがって!」
強面のその男達に外へ出される。腹に手加減のない一発を捻じ込まれ、僕は声もなくその場にうずまった。悲鳴の声は、少ない。唖者も多いこの事務所だから。だが、大きな警報音が鳴り響き、同時に事務所前に設置してある緊急用のパトライトが回って派手な赤を撒き散らした。誰かが緊急警報のボタンを押してくれたらしい。
「ち……っ、片端の癖にいっぱしのことしてんじゃねえよっ」
差別用語を吐き出し、彼らは慌てて逃げ去った。あの店が非合法の風俗店だったと、彼らのその態度が知らせていた。
皆が心配してくれる中、僕はただ彼女のことだけを考えていた。この時ほど、口の利けない自分を呪ったことはない。奴らだけが、彼女の居場所と状況を知っている。なのに問うことの出来なかった自分が悔しくて。
「な、何してるんですかっ。爪が……っ」
僕はアスファルトの路面に、思い切り爪を立てていた。
その夜は、僕の心を代弁するかのような雨が轟音を立てて降っていた。始めは気づかなかった。部屋の扉をノックする音。
扉を開けて見えた客人に、僕は大きく目を見開いた。その人は、手に僕の運営しているNPO団体のリーフレットを持ち、雨に打たれた所為なのか彼女の涙なのか判らないほどびしょ濡れの恰好で、哀しげに笑って佇んでいた。
「弟……殺された……。あんなに頑張って、自分で飯くらい食えるようになってたのに……車に……」
言われたと同時に思い出した。駅前の交差点に立てられていた、「目撃者を探しています」という、ひき逃げ事故を告知する簡素な看板の存在を。
僕は彼女の肩を抱き、何はともあれ中へといざなった。
彼女が、語る。弟が、僕の生き様で生きた死人から生者に戻ってくれたこと。ふたりで再スタートを図ろうと、彼女も「セックスボランティア」を辞めると決めたこと。たったひとつの事故が、また彼女の運命を暗転させてしまったこと。
「助けて……。あたしが薄汚れた経歴だからって、弟が障害者の癖にうろうろしてるのにも非がある、なんて。あたし独りの声なんかじゃ、全然サツも世間も聞く耳なんか持っちゃくれない……っ」
僕がしゃくりあげる彼女の頭をタオルで拭いてやる間、彼女はずっと降り掛かった出来事を語り続けた。
助けて。それは僕が彼女に対して叫んだ心の声でもあった。脱いだ服を風呂場に干し、僕のだぼだぼのシャツを貸してやる。そして、彼女に見てもらうことはないだろうと思っていたテキストを開き、彼女をその前にいざなった。
不安と不審で見つめる彼女に、口の利けない僕は目で訴える。どうか解ってと心の中で叫びながら、無言のまま訴える。
彼女が長い長い僕の思いを、長い時間を掛けて読んでくれた。すっかり乾いた彼女の頬に、瞬くひと筋が伝っていく。
「……僕が彼女を愛するのは、罪でしょうか……妻は、赦してくれるだろうか……」
恥ずかしさで俯いた。読み上げるとは思わなかったから。
「ともに闘う人が、欲しい……似た痛みは仲間と共有出来ても、家族にしか、同じ思いは、いだけ、ない……」
そっと彼女の背後に立つ。次の一文を読み上げる彼女に対し、破裂しそうな心臓を抑えて彼女の後ろにただ佇む。
「いや……ただの屁理屈、だ……ただ彼女を……」
彼女が振り向いた。懐に飛び込む華奢な体を抱きとめる。見上げて来た彼女に、僕の唇を読み取らせた。
「……あたしなんか、学もないし、汚いし……なのに……」
もう一度だけ、同じ言葉をかたどった。彼女がそれを音にした。
「助けて」
「僕の心の、ボランティアになって」
「あいし」
その続きは紡がれなかった。紡ぐ必要がなくなった。
僕らは、闘う。障害者に対する、世間の偏見と、差別と、無関心と、今日も闘う。否、闘うのではなく、共存を訴える。独りじゃないことが、こんなにもモチベーションを上げてくれる。そう驚くのは十何年ぶりかのことだった。
毎月命日に、彼女とふたりで前妻の墓へ報告に行く。
「プロ野球のH選手が出版費用を寄付してくれました」
僕に代わって前妻に対し、彼女が声にして報告してくれた。
「時期契約更新で契約金が上がったら、その分を講演活動の支援金にしてくださるそうです。私、あなたがこの人とやろうとしたことをちゃんと出来ていますか」
前妻の眠る墓石が、陽射しに照らされキラリと瞬く。僕らにはそれが前妻の赦しの声に見えた。