第15話 魔人スカーレットは大物を釣りたい
大物が釣りたい! ボウズは嫌だ!
空が青く穏やかな休日。海に臨む防波堤には二人の釣り人が並んで座っていた。
「釣れないわね……」
日差しを防ぐため、キャップを被ったスカーレットは言った。
せっかくの休日がなぜこんなことに。来るんじゃなかった。開始三十分ほどでもう彼女は後悔していた。それもこれも……。
彼女は隣の釣り人に視線を送る。年は五十を過ぎているというのに、鍛えられた体はまだまだ現役を感じさせる。整えられた髭を触りながら、彼は海面を見つめながら言った。
「そんなに早く釣れないよ。焦りは禁物だ」
男の名はヴァーミリオン。スカーレットの実の父で、以前は彼女の様に人間たちを救っていた魔人である。今でこそ引退しているが、過去の魔人ランキングでは常に一位。魔力量も戦闘能力も他の魔人とは比べ物にならなかった。
しかし、スカーレットが成人するとさっさと家長の座を譲り、今は悠々自適に放浪の旅に出ていた。
父のつかみどころのない態度にイラっとした彼女は、語気を強めて言う。
「大体、久しぶりに帰ってきたと思ったら何で釣りなのよ! あたし一回もやったことないんですけど!」
「何でって言われてもなあ。天気もいいし、親子水入らず楽しいかなって」
マイペースか! ダメ、落ち着くのよスカーレット。こんなことで振り回されてどうするの。彼女は深呼吸をして心を落ち着かせた。
「……まあいいわ。何事も経験よね。よっと」
手持ち無沙汰であったため、釣竿を振り上げてみる。すると、針に差していたえさが外れてなくなっていた。
「やっぱりね。これじゃ釣れないわ。新しいのを着けなきゃ」
持ってきていたえさ箱を、ヴァーミリオンはスカーレットに差しだした。だが、彼女は受け取ろうとしない。
「どうした? 着けないのか?」
げんなりした顔で彼女は箱を見て言った。
「……虫、苦手。お父さん着けてくれない?」
針を彼に渡そうとすると、ヴァーミリオンははっはっはと笑い出した。
「今では敵なしの魔人スカーレットも、虫には弱いか! しょうがない、着けてやろう」
このおっさん言わせておけば……。体温が上がるのを感じたが、無言で針を手渡した。言い返して、それなら自分で着けろと言われても困る。
えさを着けたのを確認し、再び海に向かって竿を振る。カラフルな浮きだけが海面から姿を現し、二人の間にはまた静かな時間が流れた。
どうしよう、気まずい。しばらく帰ってきてなかったから、何から聞いたらいいかわからない。っていうか、釣りに誘ったんだからこうなるのわかってたでしょ。そっちから話しなさいよ。
スカーレットがちらりと横の父をうかがうと、ぼーっと海を見つめて何を考えているかわからない。機嫌が良いのか悪いのか。どういう感情なのよ!
しびれを切らして何か言おうとしたら、向こうから話しかけてきた。
「……実はな、お父さんは昔ここで大物を釣り上げたんだ」
……急に自慢してきたな。その割には何となく自信なさげなのが気になるが。
「へえ、そうなの。すごいじゃない」
そっけなく返事をすると、彼は「んん」とそわそわした様子で頭をかいた。
会話が続かない。はあ、とため息をつくと彼の竿に反応があった。
「来た!」
先ほどと異なり、緊張した面持ちでヴァーミリオンは言った。
彼の釣り竿は大きくしなり、引いているのは大物だとわかる。
「えっ、どうしよう。お父さん、あたし何か手伝える?」
勝手がわからずに彼女があたふたとしていると、落ち着かせるようなトーンで彼は指示した。
「それなら網を持っていてくれ。海面まで釣りあげたら、その網で持ち上げるんだ」
こくりと首を縦に振ると、近くに置いてあった網を手にした。そうしている間も、彼の釣竿は大きく振られている。
「他には?」
「……そうだな。じゃあ、応援してくれ」
応援? よくわからないが、とりあえずやってみる。
「……がんばって、お父さん!」
彼はにっと歯を見せ笑うと、リールを巻きながらどんどんと魚を引き寄せていった。だが、魚も引き上げられてなるものかと抵抗を見せる。彼はひたいに汗をにじませながら、小刻みに竿を動かしつつ応戦する。そして、ついに海面に魚影が見えた。
「スカーレット、網!」
すかさず用意していた網を魚の方へ持っていく。バシャバシャと動く魚を捕らえ、持ち上げた。色は黒っぽい銀色で、全長は四十センチほどの立派な大きさだった。
「やったぞ、クロダイだ!」
ヴァーミリオンは喜びを抑えきれないのか大声で叫んだ。今まで見ないような父の騒ぎ様にスカーレットは少し驚いた。以前にも大物を釣ったことがあるのに、まるで初めて釣ったような喜びようだ。
「おめでとう! すごいわ!」
彼女に褒められて冷静になったのか、少し恥ずかしそうに彼はせき払いをした。
「ああ、ありがとう。つい興奮してしまった」
「あたしもドキドキしちゃった! これが釣りの醍醐味なのね」
彼は釣り上げた大物を大切そうにボックスに入れ、少年のように笑いながら言った。
「そうだな! よし、もう少しがんばってみるか」
そこから二人は釣りを続けたが、結局釣れたのはクロダイ一匹だった。それでも、今日の釣果に満足し城に帰った。
「おかえりなさいませ」
じいやが城で二人を出迎える。スカーレットは「疲れたー」と言い、荷物を彼に渡すと早々に自室に向かっていった。
どさどさと置かれた荷物を見ながら、ヴァーミリオンはじいやをねぎらった。
「……いつもすまないな。迷惑をかける」
頭を下げながら言う彼に、じいやは手を振り慌てて答える。
「やめてください、ヴァーミリオン様! 私などにそんな……。それにスカーレット様との生活は楽しいんです。彼女の明るさは周りを笑顔にさせる。……少しばかり元気すぎますが」
彼の言葉にヴァーミリオンは納得し、笑みを浮かべる。
「その通りだな。それがあの子の良いところだが」
これは親バカなのだろう。手がかかる娘だが、誰よりもいとおしい。妻が聞いたらきっと、あきれてしまうに違いない。
じいやにクロダイが入ったボックスを渡すと、箱を開けた彼は目を見開いていた。
「……釣れたのですか!」
「ああ、刺身で頼む」
その言葉を聞き終わる前に、じいやはキッチンに向かって駆けて行った。おそらく用意していた魚を隠すためだ。……あいつは気が利きすぎる。
一人残され、誰にも聞こえないようにヴァーミリオンはつぶやいた。
「……娘と話したいがために見栄を張るものじゃないな。まあ、嘘がバレずにほっとしたが」




