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04:夜会と再会Ⅱ

 日が落ちた頃には、館の大広間も、廊下も階段も、光と人で満ち始めていた。


 真鍮の燭台に火が入り、蜜ろうの蝋燭が次々と灯される。天井ではカットグラスのシャンデリアが輝き、ロウソクの炎が光を重ねている。磨き上げられた石の床や窓ガラスには、細い金の筋のような煌めきが映っていた。広い扉の方からは、馬車の止まる音と、人々の笑い声がひっきりなしに届いていた。


 キアラは壁際に置かれた観葉植物の陰で、立っていた。


 格好だけ見れば、ドレスを纏い高い靴も履いて、貴族の客の一人として紛れ込めている。それなのに緊張で肩に力が入る。自分は場違いではないかと思っていると、隣でロマーノがくすっと笑った。


「緊張しておられるんですか、キアラさん」

「……ちょっとだけね。こういう場所、初めてなの」

「最初は、誰でもそうだと思いますよ」

「ロマーノさんは、慣れてるの?」

「ええ、仕事柄。ジュリオさんに連れられて、こういった夜会やら舞踏会やらには、ずいぶん来ました。ここは、あらゆる醜聞の、集まる所でもありますから」

「……醜聞?」


 キアラが周囲を見回すと、ロマーノも視線だけで客たちを追い始めた。観察する目つきに、記者の顔が覗く。


「ええ。身分の高い人が大勢集まって、お酒と音楽があって、見栄と欲と退屈が混ざると、たいてい何かしら起こります。たとえば、あの女優と、その後ろにいる付き人。あの二人、不倫関係ですよ」


 キアラはそちらを見た。年配の紳士の腕に寄り添う夫人と、その少し後ろを控える若い男。言われてみれば、視線が合うたびに、どこか熱く、離れがたいような空気がある。


「へえ……」


 思わず相槌を打ちながらも、あまり胸は躍らない。人の秘密を覗き込んで喜ぶ趣味は、どうにも性に合わなかった。


「ほかにも、破産寸前なのに、何でもないふりをしている男爵とか、隣領との縁談をねらって必死に笑っている御令嬢とか。探せばいくらでも」

「なんだか、ちょっと悪趣味ね」

「悪趣味ですが、需要があるんです。人は、娯楽に飢えていますから」


 彼はそう言いながら、また一組の客を目で追った。キアラは、ふうん、と曖昧に頷く。そのとき少し離れたところから、女性の言葉が耳に届いた。


「……いい香りね」

「ええ、とても。どこか懐かしくて落ち着く香りだわ。何が入っているのかしら」


 キアラの肩が、ぴくりと動く。

 振り向く先で、二人の貴婦人が、柱に結わえ付けられた香り袋を見上げていた。思わず、指先に力が入る。嬉しさが喉のあたりまでせり上がってきて、頬が熱くなった。


「あの……、こんばんは」


 気がつくと、もう声をかけていた。婦人たちは一瞬だけ目を見開き、それからすぐに柔らかな笑みを浮かべる。


「まあ、こんばんは」

「……あの、その香り調合したの、私なんです」


 言ってから、少しだけ息を詰める。けれど、二人の顔に浮かんだのは意外そうな驚きと、それに続く笑顔だった。


「あなたが? お若いのに」

「本当に素敵よ。どんな材料を使ってらっしゃるの?」

「オレンジの皮と、ローズマリーを少しと……糸杉の香りを混ぜてあるんです」


 早口になりかけるのを自覚しながらも、舌の上で言葉を選ぶ。


「それで、もしよろしければ……」


 腰に下げた小さな巾着に指先を伸ばし、口紐をそっと緩めた。中をのぞき込み、紙に包んだ飴をいくつかつまみ出す。


「ハーブの飴なんです。乾燥した日に舐めると、喉が少し楽になります。うちの店で作っていて」

「まあ、飴?」


 包みを一つずつ渡すと、貴婦人たちは興味深そうに紙をほどいた。中から出てきたのは、薄い琥珀色の小さな飴だ。光に透かすと、内側に細かい葉が閉じ込められているのが見える。


「可愛らしいわね」


 二人は顔を見合わせて笑い、さっそく一つ、口に含んだ。しばらく舌の上で転がして味を確かめ、それからぱっと表情を輝かせた。


「おいしいわ」

「これ、お店はどこにあるの? 今度、ぜひ、うかがいたいわ」


 待っていましたと言わんばかりに、キアラは胸を張った。


「サン・ミケーレ教会の角を曲がった路地裏で、『サンタ・ヒルデガルト』という名前の店を開いています。看板を出しているので、すぐ分かると思います」

「絶対に行くわ。この飴、歌手の知人にもあげたいの。たくさん用意しておいてくださらない?」

「もちろんです!」


 キアラは満面の笑みで頷いた。貴婦人たちが楽しげに飴の感想を言い合いながら離れていくのを見届けてから、そっと息を吐く。振り返ると、ロマーノがこちらを見ていた。目が合うと、彼はぐっと親指を立てて見せる。


「キアラさん、しっかりしておられますね。売り込みも、お見事でした」

「ふふん。いつか大きな店を持つのが夢だから。こういうチャンスは、逃さないの」


 わざと胸を張って言ってみせた後で、頬がまたわずかに熱くなるのを自覚する。それでも、胸の内側にふくらむ誇らしさは悪くなかった。


「ねえ、ロマーノさんも、一つ舐めてみる?」


 キアラは飴をロマーノに差し出した。彼は小さく息をつき、包みを受け取った。指先で紙をほどきながら、ほんの少しだけ眉を寄せる。


「……正直に申し上げると、ハーブの飴というものは、あまり得意ではないんです」

「あ、そういう人、多いわよね」

「ええ。草の香りが強いと、どうしても薬を飲んでいる気持ちになってしまって」


 そう言いつつも、ロマーノは飴をそっと口に含んだ。しばらくの間、舌の上で転がしていたが、目元が不意に緩む。


「……これは、平気どころか、美味しいですね」

「ほんと?」

「はい。草の匂いが前に出てこないのに、舌に残る苦っぽさが殆どない」

「よかったぁ」

「どうしてなんでしょうね。ハーブでも、これはこうして普通に舐められるのが不思議です」

「んー……たぶん、煮出し方かな」


 キアラは巾着の口を整えながら、首をかしげる。


「香りを強くしたい時は、長く煮るの。でも、飴にする時はそこまでやらないのよ。ほど良い所で火を止めるわ。それから濾した煮汁に砂糖と蜂蜜を合わせて、甘さのほうを強くしてあげるの。最初に甘さが来て、後から香りが追いかけてくるように」

「たしかに。甘味の後に、ふっと香りがしますね。これなら、苦手な人でも手を伸ばせそうです」


 感心したように頷くロマーノに、キアラはにっこりと笑った。自分の工夫をきちんと受け取ってもらえたことが嬉しくて、心が温かくなる。先程まで張りつめていた緊張が、静かにほどけていくようだった。

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