第1章 第4話 死神ちゃん、返却条件を提示します
夕暮れの屋上は、風が冷たかった。
街のざわめきが、ずっと下のほうで小さく鳴っている。
茜はフェンスの内側に立っていた。
あの日と同じ場所。
でも、あの日とは違って――足は、前に出ていない。
その隣に、死神ちゃんがいる。
ジャケットのポケットに手を突っ込み、空を見上げながら、いつもの軽い調子で口を開いた。
死神ちゃん「はいはい。お試し期間、終了でーす」
茜の胸が、きゅっと縮む。
茜(心)『……じゃあ……私……生きるって言えば……それで……』
言葉は、最後まで続かなかった。
死神ちゃんは、ちらりと茜を見る。
死神ちゃん「あー。うんうん。そう思うよね」
死神ちゃん「でもさ。それじゃ、ダメなんですよ〜」
屋上のフェンスにもたれ、にこっと笑う。
死神ちゃん「私はね、悪い悪い死神なの」
死神ちゃん「人生を売るって行為、そんな簡単にチャラにはならないんだな〜これが」
茜は、息を呑んだ。
茜(心)『……じゃあ……どうなるの……』
死神ちゃん「決まってるでしょ?」
死神ちゃん「倍額で買い戻してもらいまーす♡」
軽い声。
でも、その言葉は、ずしんと重かった。
茜(心)『……倍……』
茜(心)『そんなの……無理……』
死神ちゃん「うんうん。無理だと思うよ?」
死神ちゃん「だから面白いんじゃないですか〜」
死神ちゃんは、フェンスから身を離し、茜の前に立つ。
死神ちゃん「生きるって選んだ以上、借金は残ります」
死神ちゃん「返せるかどうかは、あなた次第」
死神ちゃん「返せなくても……まあ、長生きはできると思うよ?」
冗談みたいな口調だった。
茜の頭の中に、学校の廊下が浮かぶ。
靴箱のゴミ。
机の落書き。
それでも、声をかけてくれたクラスメイト。
ぎこちないけれど、増えた家の会話。
茜(心)『……私……ちゃんと……返せるかな……』
死神ちゃん「さあ?」
死神ちゃん「でもさ」
死神ちゃんは、指で茜の胸を、つんと軽く突いた。
死神ちゃん「返そうとしなきゃ、始まらないよ」
死神ちゃん「それに――」
一瞬だけ、声が低くなる。
死神ちゃん「返す気もない人は、そもそも契約しないでしょ?」
茜は、何も言えなかった。
そのとき。
――ぐぅ。
静かな屋上に、はっきりと音が響いた。
茜の腹が鳴った。
茜(心)『……え……』
不思議だった。
最近、空腹なんて感じていなかったのに。
死神ちゃんが、吹き出す。
死神ちゃん「あはは!」
死神ちゃん「いいねいいね〜。ちゃんと生きてる証拠!」
茜は、頬が熱くなる。
茜(心)『……帰り……何か……食べよ……』
死神ちゃん「うん。それ大事」
死神ちゃん「借金持ちは、まず腹ごしらえからだよ」
死神ちゃんは、くるっと背を向ける。
死神ちゃん「じゃ、私はこれで」
死神ちゃん「またどこかで会うかもね〜」
次の瞬間、自転車が現れた。
死神ちゃんは軽々とまたがり、ペダルを踏む。
自転車は、地面を離れ、空へ。
死神ちゃん「あ、そうそう」
死神ちゃん「ちゃんと見てますからね〜」
ひらひらと手を振り、夜空の向こうへ消えていく。
屋上には、茜ひとり。
胸の奥に、不安と――ほんの少しの熱。
茜(心)『……借金……返さなきゃ……』
茜は、フェンスを背に、空を見上げた。
茜(心)『……でも……帰り……何食べよ……』
そのまま、ゆっくりと階段へ向かって歩き出した。




