時のオト トワの時計 少女のネガイ
この物語の少女は、時をかけたりはしません
痛みもない
悲しみもない
ただ――想いがある
これは、目に見えないものを想うものがたり
チッ、チッ、チッ……
耳にあてた懐中時計。
心地いい秒針の音。
時が一定間隔で刻まれる音。
私はこの音が好きだ。
チッ、チッ、チッ……
細くて長い秒針が、六十に等分された円の中を決まったリズムを刻み、決まった角度を進む。
秒針よりも太い針は長針。秒針が一周回るとちょこっとだけ動く、五周回ると少しだけ動く。三十周してやっと半分、長針が一周回る間に、秒針は六十回も円を描き三千六百回も同じリズムを刻んでいる。
そして短針はその長針がせっせと動いて十二回も回る間、まるで住む世界が違うかのように、のんびり気ままに一周回る。秒針は……もう、数える必要はないと思う。
チッ、チッ、チッ……
この身体に染みついたリズムは、昔に誰かが地球の自転や公転、太陽との位置関係、それによって起こる地上の自然現象などから構想して想像して算出して失敗して……その繰り返しの結果から生まれた奇跡のリズム。
同じ時を刻むものでも、デジタルでは絶対に奏でられないこの音色は、私の心を引きつけて止まない。
チッ、チッ、チッ……
何度も同じことを言う先生の話はつまらなくてとっても長いけれど、優しいお姉さんたちと他愛のないことを話す楽しい時間はあっという間にすぎていく。
それでも、秒針はリズムをかえずに動いている。当たり前だ。かわるはずがない。かわらないからこそ、この秒針が刻み奏でる音は美しいのだから。
チッ、チッ、チッ……
人は生まれながらに不平等。生まれた姿、生まれた意味、生まれた価値。生きる場所、生きる意味、生きる価値。生きた時間、生きた意味、生きた価値……全てにおいて平たく等しい人間はいない。
それでも『命の回数』と『時間の速さ』は、この地上で人として生きている私達に与えられた、数少ない平等だと思う。
チッ、チッ、チッ……
そう、時間の速さはかわらない。
私がどんなに不様にあがいてもあがいてもあがいても……それを意に介さない時間は、無常にもすぎていく。
そのことを知り、行き場のない怒りを感じた私は、その怒りが示すままに手足を振り回して暴れたことがあった。体力のない私はすぐにバテたけど、最後には悪あがきとして、手元にあった懐中時計を投げるという、私の中では指折りの暴挙に出た。
チッ、チッ、チッ……
慣れない運動と興奮のせいで、体を突き破って飛び出しそうなほど暴れ回る私の心臓。その鼓動によって体中が早く強く脈打つ私に対して、八つ当りされた懐中時計は、私の行動を鼻で笑うかのようにいつもとかわらないリズムで時を刻んでいた。
そして――その、いつもかわらない音が、私に何かを言っている気がした。
チッ、チッ、チッ……
――時間は無情で残酷だ。けれど、たとえ神様に見捨てられても、生きている限り決して取り残したりしない。
チッ――ッ、チッ……
それからだ。私がなにもすることがない時……殆んど毎日だけど……私はこの懐中時計を耳にあて、一日中秒針の音色を聞くようになったのは。
音もリズムもかわらない、つまらない音楽を私は飽きずに聞き続けていた……そう、ずっと。
チ――チッ、チ――…
んっ……なんだか、すごく、眠たい……今日は、少し頭を使いすぎた、かも。
……ささやかな秒針の奏でる音は、まるで子守歌のように私を眠りに誘ってくる。
なんとなく。なんとなくだけど、今日はいつもより深い眠りにつけそうな気がする。
――、チ――チッ――
私が眠っても、この時計は時を刻み続けるだろう。今までだってそうだったんだ。これからも変わるはずない。
そして、私の心臓が止まっても、この時計が止まっても、時間は止まらない。
チ――――――ッ――
いつか、私は止まる……時計も、いつかは止まる。
それでも……この時計にはずっと時を刻んでいてほしい。
私がついていけなくなった時間を……私が生まれからずっと一緒だったこの時計に、私の代わりに時の隣を歩んでほしい。
――――――チッ――
もしも願いが叶うなら、ずっと……私の好きなこのリズムを……私が生きた時間を刻んだ音色を……私が知らない時間を……ずっと……ずっと……ずっと…………
――――――――――
――とある病院で、一人の女の子が亡くなった。
彼女の体は生まれた時から大病が巣食っていた。三年前には彼女の世界は光を失い、その半年後には地を踏み締めることさえ困難になっていた。
『神様なんて信じてないけど、ダメになったのが耳じゃなかったことは感謝してる。そのおかげで、まだ私は生きられるから』
視力を失った後、彼女は担当の看護士にそう言って、やわらかな笑顔を向けたという。
その時、その看護士はなにも言うことができなかった……ただただ、溢れてしまいそうな涙を流さないように。漏れてしまいそうな湿った声が彼女に聞こえないように。あまりに哀しく儚い強さを持った彼女の前で、自らの弱さを外に出してしまわぬよう、堪えることしかできなかった。
……病室のベッドの上で横たわる彼女の亡骸は美しかった。それはまるで、ふれることさえ禁忌とされる、白く穢れない一輪の花。
短い一生の大半をベッドの上ですごした彼女の体は病的に白く、まるで濡羽の衣のように長く美しい黒髪が、その清き白さをより一層強調し、カーテンの隙間から差し込む朝日に向かって、両手を重ね合わせ安らかに眠る彼女の姿は、あまりの儚さと清廉さに包まれていた。
彼女が最期まで両手の平で大切そうに包んでいたのは――銀色の懐中時計。
視力を失い、歩くことさえままならなくなった彼女は、毎日のようにベッドの上でその時計を耳に当てていた。
元の輝かしい銀色はくすみ、所々に傷も見られる。しかし、その時計は美しかった。それは、そのくすみも傷も彼女の愛の証であり、彼女の想いそのものだから。
――けれど、もう彼女はいない。
秒針の奏でる音色を、いとおしそうに聞いていた彼女はもう止まってしまった。
もう、彼女はいない。
彼女のいない世界に残された時計は、止まることもなければ遅れることもない。彼女の耳元にあったころと変わることなく、時を刻み、奏でて、時計としての役割を果たす。
そう、永遠に、永久に、永劫に……彼女が知ることのできなかった時間を刻み、見ることのできなかった世界を奏でる。
それはまるで、己に与えられた短い時間を、最後まで愛し続けた彼女の願いを叶えるように。
それはまるで、もうここにいない彼女に、今の時間、今の世界を、かわることのない一定のリズムに乗せて伝えるように……
――――――
―― チッ、チッ……
この小説を読んだ後、身近にある時計にそっと耳を寄せてみてください。
――あなたの心に、少女のネガイが灯るように――