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「お姉様、おはようございます。」
ワタシは、声を掛けてきた妹の顔を見ないように思いっきり視線を逸らして一際低い声で答える。
「おはよう、ミラ。」
「今朝はご一緒出来ますね。今日も、お姉様にとって素敵な1日でありますように。」
「貴女もね。」
邸の廊下で顔を合わせたワタシ達…姉妹はふたりで食堂へと向かう。
勿論、姉であるワタシが先に歩いて妹のミラがそれに付き従うような形で。
衣擦れの音が涼やかに響くなかワタシの頭の中は魑魅魍魎が暴れていた。
…尊い!!!
ワタシの妹!可愛すぎる!!
溶けないワタシ、偉い!!
と言うか、溶かせそうなミラ凄い!−
前を歩く姉がそんな事を考えているなんて1ミリも思っていないミラは、ワタシの素っ気ない対応も気にする事無く天使のような微笑みで歩いているだろう。
背中の気配でわかってしまう。
何故、ワタシが身内である妹にこんなに興奮しているのか…。
それは、ミラと言えば知る人(ワタシのような一部の熱狂的ファン)ぞ知るラノベ作品「逃げたら追いかけられたので逃げる〜溺愛と偏愛とそれから〜」
略して
「にげおに」
の主人公、ミラ・ウィンスター
その人だからだ。
ラノベ作品。
熱狂的ファン。
主人公。
そう、
ワタシ、日本で普通にフリーターをしていました。
中学の時に漫画・アニメにハマりそこから更にラノベの世界へ。
バイトをしてそれらは全て本やグッズに消えていきました。
その熱を胸に持ったまま、大学を卒業して、舞台女優を目指して小さな劇団に入り小学校などで公演を行っていました。
やりたくて始めたお芝居。
でも、やっぱり上手くいかない事の方が多くて毎晩ひとりで泣いていた。
でも、そんな風に劇団で辛い事があってもワタシには「にげおに」があった。
君人りに先生の作品。
主人公の伯爵令嬢ミラが、ひょんな事から参加してしまった仮面舞踏会で自国・クローリア王国の第2王子ノアと出逢いそこからふたりの恋が始まっていくという恋愛作品だ。
ミラが、本当に素直で可愛くてワタシは本当に惚れてしまった。こんなに好きになったキャラは初めてだった。
だからノアがどんなに爽やかで格好良くてもミラノアは好きではなく…何なら誰ともくっついて欲しくない!と本気で思っていたヤバイ奴でした。
それくらい、大好きな作品がワタシの支えだった。
ところが、そんなある日公演の為にマイクロバスで地方に移動中、雪道で車がスリップして崖から転落…。
死を覚悟しました。
転落した時に手にしていたのは大好きな「にげおに」の最新刊…
の特装版についていた書き下ろしミニ小説「幼い頃の思い出〜ミラの赤いリボン〜」
数ページしかないミニ冊子だけど、大好きなミラの物語。
先輩に無理を言って本屋を探してもらい、やっと手に入れた特装版。移動中に、眠る先輩方を横目にミニ小説は後の楽しみで取っておこうと袋に戻そうとした時、それは起きてしまった。
終わったと思いました。
悲鳴すらあげる間もなく意識は闇の中へ。
そして、
幕を下ろしたはずのワタシの意識は浮上して、
豪華な部屋で目覚めた。
明らかに日本の家屋ではない、見たこともない景色。
そんな中、部屋に入ってきた少女がいた。
とぅるとぅるの白い肌
ツヤッツヤの金色の髪
バッサバサのまつ毛
ぽってりとした可愛らしい唇
少女の圧倒的なまでの美しさに固まってしまったワタシにその少女が発した言葉、それがワタシの認識を決定づけた。
「カミラお姉様、どうかされましたか?今日は、いつもよりゆっくりお休みでしたね。」
−カミラ−?
頭が混乱して、口を半開きになったまま喋らない挙動不審だったワタシに「カミラお姉様」と言った。
−カミラオネエサマ−
カミラ…
ワタシが知っているカミラと言えば…
それは、「にげおに」の主人公であり天使でもあるミラの姉のカミラ・ウィンスターしかいない。
まさかが頭の中を駆け巡る中、目と前の天使はこう言った。
「まだ、眠いようでしたらゆっくりお休みくださいね。私はお部屋で待ちますわ。」
ここは、天国なのだ。
そして、あれは、天使なのだ。
ワタシは、転生してしまったのだ。
天使の姉に。
それが2日前の話。
転生初日(一昨日)
転生という現状を把握した途端、興奮し過ぎて頭に血がのぼり起き上がる事が出来ずベッドから出る事なく更に記憶が曖昧なまま終了。(悲しい)
2日目(昨日)
朝、目が覚めてもまだ転生の実感が無く、愛しの妹に会えればと思ったのにその日に限ってミラはお友達とお出かけ。その間疲れていたのか爆睡。(悔しい)
そして、今朝(3日目)
念願の、ミラの姉としての本格的始動日。
何度も読んだ「にげおに」を脳内で復習して、劇団で培った微力な演技力を駆使して、ワタシはこの世界で精一杯カミラとして生きる事を決意した。
しかし、問題があった。
「にげおに」でのカミラの登場はほぼ無いに等しい。
何故なら彼女はモブ中のモブ。
なので、ワタシは現時点でこの世界がどういう風になっているのかを確認する事も含めて、目立ってはいけない存在なのだ。
カミラのキャラがどういうものなのか、性格は?人間関係は?
わからない事だらけの中で、大好きなミラを見守り続けるには、情報が圧倒的に足りていない。
第2王子の事も気になる。
ワタシは、こうして推しであるミラ・ウィンスター伯爵令嬢の姉としてこの世界で生き、カミラ・ウィンスター伯爵令嬢を演じきる事を心に誓い、後ろを歩く天使の心地よい衣擦れの音に耳をすまし頬を赤らめるのだった。(変態か)