「作品と作家は別」という話
「作品と作家は別」という話
私は、作品と作家は別だと考えています。#思考実験
平和を祈りつつ、少し考えてみましょう。
1.歴史的な観点
古から作品だけが残され (主) 、作家の人間性は逸話として語られてきました (従) 。まず作品があった訳です。
たとえば、「目には青葉」という俳句を知っていても、作家の名前を言える人は少ないでしょう。
逆にディオゲネスは逸話こそ残っていますが、その著作は散逸 (さんいつ) してしまいました。ですが、思想は今もつながっています。
作品も逸話も残されていないとすると、存在しない人になってしまいます。
例をあげると、暴君であったローマ帝国皇帝ドミティアヌスは神格化されず、記憶の抹殺が行われました。#ダムナティオ・メモリアエ
最近では、ソ連時代スターリンはレフ・トロツキーの記録を抹消しました。
肖像写真から姿を消してしまうのです。
(Adobe Photoshopもない時代によくやったなと思います。)
*
2.作家の生き方について
「咳をしても一人」で有名な尾崎放哉 (おざきほうさい) は、まあ陸 (ろく) でもない人でした。
吉村昭は小説『海も暮れきる』で尾崎放哉を描きましたが、生きていたら付き合わなかったと語ったそうです。
死刑囚でも文章を書くのですから、それを商売にしようという人はよほど変わっています。
前に私が紹介されたときの話。
「あなたが出会った100人の変人を思い浮かべてください。その100人が100人とも変だという人がこの人です」
私が変人なのは自覚しています。
cf.
「そうです。自分が今のこの世界において異端である事はとっくにわかっています」
荒川弘『鋼の錬金術師』 (スクウェア・エニックス、2008年) 第71話「紅蓮の男」18巻P62
*
3.作品と作家は別だと考える理由
変人がつくったものを楽しんでいる時点で、その人もおかしいのですが、そこは誰も言いません。#blackjoke
なぜならそれが同時代だからです。
私たちは、プラトンやソクラテスといった偉人の思考をすることができます。
ある命題にアリストテレスならどう答えるか、考えることもできます。
天動説の人が月ロケットの軌道を計算すると大変です。
(できなくもないというのが、科学の不思議です。)
そんなことより地動説で考えるべきだというのは後人の傲慢です。
図形問題で、小学生はπ (パイ) を教わっていないので〝3.14〟を使って解きます。
それぞれの時代でそれぞれの考え方があるということを私たちは知っています。
ふつうは違います。
数学や物理を学ぶためには、最新の科学知識を使います。
誰も四元素である「火、風、水、土」から考えません。
一方で、哲学を学ぶときは、最初から (つまり誤っている時点から) 順に学びます。
失敗の歴史から学んでいく訳です。
「各国の法律は失敗話集」だというジョークは好きです。その国の法律は、その国での失敗から学んだ結果ですから。
*
しかし、同時代人であれば、そうは言えなくなってくるのです。
吉村昭が述べたように、同じ時代にいてはいけない人がいるのですから。
極端な例をいうと、地動説の黎明期から全盛期にかけて、天動説の人はどうしたと思いますか?
地動説を信じるようになった?
いいえ。そんなことをする人は少数でした。
多くは、天動説を信じたまま亡くなりました。死ぬまで考え方を変えなかったのです。
こうした時代の変化 (うねり) を、トーマス・クーンの『科学革命の構造』からパラダイムシフトと呼ばれています。
なお、拡大解釈されている言葉なので、トーマス・クーンが考える「パラダイム」とは異なります。
*
4.未来
これからAIによって、まったく違う解釈の思想がでてくるでしょう。
その多くを、私たちヒトという生物は理解できない状態になります。
その一部を切り取って、作品と作家をいっしょに考えてしまうのは安直です。
先人の真似をして生きてきたのに、その作品に自らの姿を映しているようで奇妙です。
AIの進化がヒトの成長より早くても心配不要です。
すぐに慣れます。#blackjoke




