「書架」という話
「書架」という話
美しい書架は単体では存在できないものです。
読み終えた本と、読んでいない本と読みそうにもない本が半分ずつあれば美しいかしら。
少し考えてみましょう。
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先日、紙の本を三千冊以下にしたのですが、これくらいの量ですと見栄えを考えなくていいですね。はっきり言ってどうでもいいレベルです。知の美を考えたらゴミですから。#blackjoke
「君の本棚に並ぶ本を教えてごらん、君が何を考えているか当てて見せよう」
cf.
「普段、何を食べているのか教えてごらん、君がどんな人間だか当てて見せよう」
ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン
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それにしても、インテリア・デザイナー (?) がデザインした部屋というのは本当に意味不明です。どうして紙本がないのかしら。
美しい書架など見ることが希ですね。あってもそれは工業デザイナーや建築家の部屋だったりします。
それに、書架があったとしても、どういった本が並んでいるかで美しさは決まります。
けれど、こうした思考は完全に読書家ではないでしょうね。もはや、目的と手段が入れ替わっています。
田中泰延「目的を達成するための手段だったことが目的にすり変わり、本来の目的を見失うこと、これを趣味というが、これ程楽しい事はない」
cf.
「自分のしている事が、自分の目的になっていない程苦しい事はない」
——夏目漱石『行人』 (1914年)
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終活のついでに整理をしたのですが、資料のプリントアウトが大量にありました。HDDには電子データとしてあるのですが、もし消えると探すほうが大変なのでわざわざ印刷しています。
あと、雑誌ですね。その時代の考え方が反映されていますから、目的の記事だけをデータにしても雰囲気が伝わらなかったりするので、残しています。また、図書館にあるとしても、わざわざこのために行くのも大変なので。
紙本を手放すとしても、必ず書名・著者・出版社・発行年を控えておくことが大切です。最悪二度と手に入らなくても国会図書館にあるので大丈夫なのですが、調べるという労力はおそろしく重大になりますから。
それに、思考は何をいつ調べたかに左右されますので。
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特注の書架があったのですが、腰のあたりまでしか本を並べないことにしていたのでこの機会に破棄しました。
それにしても、雑多に読んでいますね。




