私の深淵
その日は、朝から街全体が賑わっていた。
遂に訪れた聖なるお祭り(決してクリスマスではない)。
アルネブに住まう住民は、皆、この日を楽しみにしていた。
街には人が溢れ、大通りには普段は見ない露店が数えきれないくらい出店している。
今、この街の人々の顔には、笑顔が浮かんでいるであろう。
一部を、除いて。
「この日が、やってきてしまいましたか……」
その一部に該当する人物。エミリーは、宿の部屋から、外の光景を静かに見ていた。
その顔には、難しそうな表情が浮かんでいる。なぜなら、
「今日は、テロリストがクーデターを起こす日……」
それこそが、エミリーの一番の懸念であった。
もちろん、敵とて警戒されているであろうことは、承知であろう。なぜなら、既に異世界人を一人殺していると、そう思っているから。
これにより、本来は勇者一行と敵対すると考えるはずだが、
「翔さんの証言からすると、光さんではどうにもならない……」
勇者一行全員が例の謎神父に戦いを挑んでも、返り討ちにされるだけだろう、と。
「いえ、今はそんなことを考えている時間ではありませんね」
既に、考えられるだけの手は打ち、策は用意した。あとは、結果が自分たちにとって都合のいいものになる事を祈るだけ。
既に、それぞれ単独行動は禁止している。エミリー達が戦ったアンデッドでさえ、3人がかりで倒したほどの強敵なのだ。単独では、決して敵わない。
だが、全員が纏まって行動しても、かえって目立ち、狙われないかもしれない。敵の人数も把握出来ていないので、もし戦えても、他の敵が人々を攻撃するかもしれない。だから、光達はチームで分散してもらっている。
花恋とリーリエと椿はそれぞれ単独行動だ。それができるスペックがあるので。
だが、
「やはり、不安は残ります……」
今回は、エミリー達が勝手にしているいわばボランティア活動だ。ギルドにも、協力要請はしていない。
椿にとある魔法を教えてもらったし、それを上手く生かせる魔法道具も貰ったので、上手くいけばエミリー達だけでも対処できる。だが、それでも不安なのだ。
エミリーの見立てでは、この作戦の成功率は極端に低い。相手の戦力もわからないので、成功する方が難しいと思っている。だが、
「それでも、やらないよりはマシですから……」
リーリエは背中を押してくれた。花恋は、悩めるエミリーを助けてくれた。椿は勇気が出る言葉をくれた。
「『もし間違えても大丈夫だ。もしものことがあれば、俺が全部なんとかしてやる』、ですか……」
椿がエミリーに言ってくれた言葉を思い出して、少し笑う。
「もう、椿さんはいつからそんなに傲慢になったのですか?」
それでも、今のエミリーには、その言葉が何よりも大事で、心の支えだった。
『今回の戦いは、辛く厳しいものになるかもしれない。だが、覚えておいて欲しい』
椿が言っていたもう一つの言葉。
「『相手が誰であろうと、手を抜いた俺より強い敵は決して現れない』……椿さん、その言葉、信じてますからね」
あまりにも、傲慢な言葉だが、それだけで充分だった。その言葉が、他の誰が言ってくれた言葉よりも、頼もしく思える。
「では、私も動きますか」
そう言って、エミリーは着いてきていた護衛に、クーデターが起きた際に、街の人々を守ることだけ命じ、宿から出かけて行った。
□■
時刻は夕刻。そろそろ祭りも終盤。日が沈むと街の人々は祭りの余韻をそのままに、教会本部へと足を運ぶ。そういう予定だ。
教会本部では教皇と、その後ろに十人の偉大なる神官が待っており、有難いお言葉を頂き、解散する。そうなる予定だった。
現在、エミリーはアルネブの中で、唯一街を一望できる場所に足を運んでいた。
「おや?エミリー王女ではないですか。このような場所で何を?」
と、黄昏ていたエミリーの元に、誰かが近づいてきた。
「……グレイス様、ですか」
エミリーは振り返りながらその人物の名前を言う。神聖国教皇、グレイス・フォビドンその人だ。
「私は、少しこの街を見に来ました。もう、この景色を見ることはできないかも知れませんから……」
「そうでしたか。この街の景色は実に美しいです。私も時折見に来ます」
満足そうな顔で街を眺めているグレイスに、エミリーは「ですが、」と、話しを続ける。
「本日、グレイス様がこの景色を見に来たのは、それだけではございませんよね?」
「と、言いますと?」
意味がわからないのか、怪訝そうな表情でそう言うグレイスに、エミリーは確信したセリフを言う。
「誤魔化さなくても大丈夫ですよ。あなたがレイスを本部に招き入れ、教会で暴れたことは翔さんからお聞きしていますので」
「……?誰かと間違えているのでは?私は断じて……」
「嘘感知に、反応がありましたよ。あなたの真の目的まではわかりませんでしたが、今日ここに来たのは、自分が壊すであろう街を、最後に見ておきたかったからですか?」
指摘され、言葉を続けるエミリーに、グレイスは何も言わなくなる。
「……なぜ、私だと予想したのでしょうか?」
「翔さんが言っていましたよ。自分のことを異世界人と言っていた、と」
「そうでしたか。始めて会った時には他にも神官がいたのに、ですか。それにしても彼も悪運が強いですね。あれで死なないだなんて」
グレイスは静かに笑いながらそう言う。
「仕方がないでよ。私たちには、頼れる人がいますから」
エミリーはそう、自信満々に言う。
「……そうですか。私の事を気づいたのもその人物ですか?」
「はい」
エミリーはグレイスの最後の質問に対して、満面の笑みで答える。
「……おそらく、あなたは今宵、私が用意した試練を突破できるでしょう……」
グレイスの体から膨大な魔力が溢れ出す。
「ですが、私の正体を、不完全ながらも看破したあなたは、この国には不要です」
そうしてグレイスは、その身に纏っているローブの中から大量の腕を出現させる。
「故に、あなたをここで始末させていただきます」
その腕は、確かにエミリーの身体を捉えようとして……
「おっと、それは困るからやめてもらえるか?」
その腕は止まってしまった。止められたのではない。グレイスが、自らの意思で止めたのだ。
なぜ止めたのか、直ぐにはわからなかったが、その声を聞き、感じて、理解した。
心臓が煩い。呼吸が荒い。だが、それがどうした。グレイスは、声がした方向を見る。
今もザクッザクッと、歩いてくる人物の姿を捉える。
気分が高揚する。グレイスは、己の中で昂る感情を抑えきれそうになかった。
グレイスは邪悪な笑みを浮かべながら遂にその存在を見る。
その男は、平凡な男だった。だが、そこから発せられるプレッシャーは、只人のそれではなく、もっと上、魔王にも匹敵しそうなその威圧感。
「思えば、始めてあなたを見た時から、こうなることは確定していたのかもしれません……」
グレイスも、その男、椿の方に向かって歩き出す。
「胸騒ぎ。重大な見落とし……これ程嬉しいイレギュラーもそうないでしょう」
グレイスは、完全にその身に纏っていたローブを投げ捨てる。身体の骨格が変動する。
その姿は、お爺さんの姿から、一気に青年の姿へと変わっていく。
「未だ、人の身を完全に辞めることができない私は、天界に行くことが叶わない。だから、この国を混乱させ、神へと宣戦布告をすることが私の第二の目的でした」
そして椿とグレイスは相対する。
「そうして、それを見た神が、自らの手で私を滅ぼしに来るのでは無いかと、そう淡い期待を抱いていました」
二人の視線が交差する。
「ありがとう……君を殺すことによって、私の深淵は確かに完成する。そう思える程の存在が現れた。君を神と呼ばずして、なんと呼ぶ?」
「ただの転校生だよ。どこにでもいる、な」




