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時の記憶  作者: AyAnA
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第1章

 そこは灼熱の炎に焼かれる船の中

 そして船の外は生命の母なる海ではありませんでした。


 多くの生命にとって、おおよそ生きていくのにはあまりに苛酷な死の世界がそこに広がっていたのです。

 船には現代科学の魔法とも呼べる技術がふんだんに使われていたのにもかかわらず、繊細なそれら技術の結晶は今や人の制御を離れ、暴走に陥っていました。


 星間連絡船であったこの船には、もはや人の生存を許す環境は残されておらず、人々は船を捨て、救命艇によって脱出しましたが、生存していた者全てではありませんでした。


 そう、私ともう一人の子をやむなく見捨てたのです。


 私は意識を失っている子供と共に船内の炎に追われていました。

 私は身に着けていた防護服を子供に着せ、何とか生きる方法を探していたの。


 船内アナウンスの無機質な声に脅えながら、生き残ることが不可能であることに気付き、私は神に祈りさえしました。


 連続した爆発が発生した時、私は死を覚悟し、助けられなかったことを子供に謝ったんです。

 

 ごめんね、約束守れなかったわね

 ごめんなさい


 動けなくなった

 そして意識を失いました


 どれくらい時間が経過したのでしょう

 私は意識を取り戻し、身体が座り心地の悪い座席に固定されている事に気づきました。


 そして男性の声がしたの

 ほっとするような落ち着いた声

 遠い昔に聞いたことがある声のよう


 いいえ、物心ついた時から見始めた、あの夢の中の声


 その声は私の名前を呼び、目を開けることを許して欲しいと言う。


 子供と一緒に助け出してくれたこの男性は軍人だった。

 誰かに何か叱られていた。


 軍事機密。


 この私が座っているこの船はどうやらそのようだ。

 ごめんなさい、でも、ありがとう


 男は上官に噛み付いて言った。


 「人ひとり助けられずに何が軍事機密だ」

 

 私はこの人は本当軍人なのかと、少し疑問に思う。

 命令で動く軍人では無さそう。


 それに私の名前を知っていた、何故?


 自然と胸の鼓動が高まっていった。

 彼に聞こえてしまうのが、怖くて両手でその音を塞いでしまおうと思った。


 胸に手をやったそのとき

 胸に、いいえ、首から吊されている何かがあったの


 手の触感でそれがペンダントであることに気付き、尋ねると男は昔私から預かったものだと言うの。

 

 不思議なことを言う

 そんな記憶は私には無いのに

 大事に身に着けていて欲しいと、その人は言った。


 あの場から助け出してもらっただけで感激だと言うのに。

 私は彼の顔をどうしても見たいと言う衝動を押さえていた。


 きっと、夢に現れてくる男に違いないと感じていた。

 いつも孤独な月の瞳を濡らし、私を見ていた。


 何故か体がまったく動かない私

 抱きしめたくなる程、彼は子供のように泣いていた。


 声一つ出せないその夢の後は切ない気持ちになる

 だけど、彼の顔を思い出すことが出来ない。


 彼なのかと思う、また、ばかねと思う気持ちが複雑に絡み合う。


 船を降りる時が来た。

 そして、これが船で無いことを知った時


 船では無かった。


 初めて見る形状の機体。

 後で知った事だが、マニュピレーター兵器と呼ばれるものだった。


 男は私たちを降ろし、戦いに行った。

 その機体に私は言葉を送った。


 ご武運を……


 それが最後であった。

 そして、この事件が私の将来を決めていた。



 ------時の記憶-------



 八月十四日 国際連合宇宙軍ネヴァダ基地 


 大昔、ここにはアメリカ合衆国の核兵器地下実験場および、新型兵器の試験施設を持った広大な基地があった。

 だが現在、この基地は国連宇宙軍の管理下に置かれていた。

 以前の荒涼とした砂漠は徹底した緑地化計画によって、その面影を今に残してはいない。

 そこは緑豊かな大地へと変貌していた。

 今、一台の車が基地より延びる道を疾走していた。

 ルナティックレッドに塗装された車。

 今となっては一部の特権階級の人間にしか維持することが出来ない内燃焼型の機関が備わっていた。

 『ワイバーン』と呼ばれるその車はV型12気筒、排気量5600cc最大出力は3200rpmで56kg最大馬力420を叩き出す狂気じみたものだ。

 そんな化け物を運転している彼女は、それを全然気にしていない様子だ。

 もちろん環境に与える影響も今の彼女には考える余裕は無かった。

 「まったく、上の連中と来たら」

 怨みの言葉を言いながらしふとればーマニュアルトランスミッションをまた1速上げた。

 彼女の不機嫌を車は素直に受け止めていた。

 時速160キロを超えていたが彼女は気にも止めない。

 真っ直ぐに延びる道路は何処までも続いているようだった。


 彼女は国際連合宇宙軍の軍人であり、現在、次期宇宙機動兵器研究開発部マニュピレーター兵器課のソフトウェア開発に携わっている。

 そして彼女は今、自分の担当している新型試作機に搭載されるOSに強い不満を持っていた。

 昨日その件で上層部と口論したことが速度超過の原因だった。


 しかしそれだけではない。


 休日である今朝、両親からの電話でお見合いを進められ、宇宙軍から早く除隊するよう散々言われ、挙げ句には帰って来いと言われたのだ。

 彼女にはお見合いする気も無いし、除隊するつもりもさらさら無かった。

 みんな勝手なこと言って、まったく……。


 不意にエンジンが彼女の意に反して徐々にその回転数を落としていった。

「あれっどうしたの?セイフティリミッターなんか付いて無いはずよ」

 ふと燃料計を見たが、針は満タンを示していた。

 しかし、ついに車は止まってしまった。



 何度かセルモーターを回してみたが、息を吹き返す様子は無かった。


 不満たっぷりの彼女は大きく溜息つきながらドアを開け降り立った。

 白い開襟ブラウスにブルージーンズ、白いスポーツシューズと、ラフな格好ではあったが、どこか清楚な雰囲気を漂わせていた。


 彼女はサングラスを外し、車のボンネットを開けた。

 巨大なV型12気筒エンジンは猛烈な熱を発散していた。

 彼女は暫しの間、眺めていたが、何処をいじるわけでも無く再びボンネットを閉め、首を軽く左右に振りすでに蒸し風呂状態の車の中へ戻った。


 「こんな旧世紀以前の代物が分かるはず無いわよ、もうっ」

 車内の熱は時と共に温度を上げていった。

 何かを捜しながら暑さに対し愚痴を溢していた。


 突然あることを思い出した彼女はまた溜息をついた。

 今時の車と違いこの前世紀の車には、インテグレートサポートシステムと呼ばれるハイテク技術は何一つとして装備されていない。もちろん移動通信機器何て有りはしない。


 「電話は、置いてきたんだった…」

  一般人ならインプラント技術で頭部に通信端末を埋め込んで、携帯する必要も無いのだが、軍や、宇宙関係の仕事をする者達は一切のそれらを禁じられていた。


 彼女もそうだった。


 基地の仕事仲間へ助けを求めることを諦め、彼女はエアコンの止まった忌ま忌ましく糞暑い車を降りドアを力一杯閉めた。


 窓を締め切っていたので車内の空気は圧縮されて籠った音を出した。

 八月の太陽はそんな彼女に追い打ちをかけるようにその光と熱を存分に放っていた。

 小さな町に続いている長い道程を彼女は歩くことにした。

 

 途中、他の車が通れば幸運だが、あまり期待はしていない。

 基地の東側には植林地帯が広がっていて、その森の中にある小さな町には人を集めるものは何も無かった、基地の者は大抵、南の都市へ出かけるのだった。


 道路脇から生えている木々のもとを俯き加減に歩いている彼女は、今日と言う一日を恨みかけていた。


 そんな彼女の耳に聞き慣れない排気音が微かに、だが段々と大きく聞こえてきた。

 振り向くと陽炎の中、昼だと言うのに煌々と光を放つバイクが近付いていた。


 消音器が付いているのを疑う程それは大気を震わす爆音を、そして下品なメカニカルノイズをお構いなしに出していた。彼女は少しためらったが、右手を上げて大きく振った。


 バイクは彼女の前を僅かに通り過ぎたが予想通り止まってくれた。

 「すみません」

 バイク乗りの男は白いTシャツに黒い皮のパンツとブーツを履いていたが、ヘルメットはしていなかった。


 男は耳に手をやり、何かを叫んでいたが爆音が全てを掻き消していた。

 彼女は片方の耳を押さえながら、もう片方の手でイグニッションキーを指差した。


 男は頷きながらエンジンを止めた。

 周りが急に無音の世界に感じられた。


 「随分とうるさいバイクね、ガソリンエンジンの先祖みたいね」


 彼女は風になびく前髪を掻き上げながら話し掛けた。


 「みんなそう言うよ、迷惑だって」


 男は苦笑いしながら頭を掻いた。


 少し日焼けした彼の表情は好感が持てた。


 「あなた、政治家の息子とか、もしかして貴族?」


 彼女は少し首を傾げた。


 「なぜ?俺は、ただの軍人だぜ」


 彼女は大きな目をさらに大きく見開き頷いた。


 軍人でも一部のものには、ある程度の特権を与えられているのだ。


 国連宇宙軍の士官だ。


 「このバイク、ガソリン車でしょ、だから気になったのよ」


 彼女の視線は熱気を放つエンジンに向けられていた。


 「まあ、宇宙軍のパイロットでもこんなクラシックなものに乗る奴はめったにいないからな」


 男はタンクを軽く叩いて見せた。


 「パイロット?宇宙軍のパイロットがなぜこんなところにいるの?……もしかして、アカデミーの訓練生でしょ」


 腕を組み右手をそっと顎に添える彼女はまるで映画の女捜査官ばりの表情を浮かべていた。


 「何で、わかるんだ?」


 男は不思議そうに彼女を見た。


 「だって、あの基地にはASMW(次期宇宙用機動兵器)研究開発本部と、そのパイロット訓練アカデミーがあるから」


 彼女は彼の動揺した瞳を見ながら悪戯っぽく笑みを浮かべて話した。


 「何だよ、基地の人間かよ」


 男は少し残念そうに言うと肩を少し落とした。


 「それで、どうしたって言うんだ、困り事かい?こんな炎天下を一人で?」


 バイクの燃料タンクのうえで彼は両肘を着け両手で顎を支えようとしたが、タンクはかなりの熱を帯びていたようで男は悲鳴を上げた。


 そんな様子に彼女は可笑しくなり、声を押し殺して笑った。


 自分の取った間抜けな行為に男も照れ臭そうに笑っていた。


 彼女はやっと息を整えると男の質問に答えた。


 「ええ、車のエンジンが…」


 彼女が言い終わる前に男の頭には、一世紀前の名車と言われている車が道路脇に無造作に止められていたことを思い出した。


 「ああ、さっきの車、あんたのか」


 男は驚いた様子を浮かべながらしきりに肘を交互に擦っていた。


 「今時、あんな車に乗る女がいたなんてな」


 頭を左右に大きく振り、好奇に光る琥珀色の瞳を向けた。


 「あらっ、いけないのかしら」


 彼女は少し口を尖らせたが、まあ仕方が無いかと思った。


 野蛮の代名詞とも言える悪名高いガソリン車だ。


 もちろん女が乗るには勇気がいる。


 「いや、そんなことは無いんだが」


 男は彼女を注意深く観察した。


 華奢な体だが、あるべきものはちゃんと自己主張していた。


 そして彼女の美しいブロンドヘアは後ろで縛り上げられていたが、風に流されるたびに輝いてみえていた。


 「何ジロジロ見てるのよ、助けてくれるの、くれないの?」


 彼女は男の視線に抗議の表情で訴える。


 「ああ、悪い、久しぶりにこんな綺麗なご婦人と話すものだから緊張しているんだ」


 彼はおどけて見せた。


 「むろんOKさ」


 親指でタンデムシートを指しながらそう言った。


 彼女は、少しの間考えていたが、頷き、タンデム用のステップに足を掛けてシートに跨った。


 「あなた悪い人では無さそうだし、でも私、バイクに乗るのはじめてだから優しく運転して」


 彼女の表情は少し脅える少女のようであった。


 「大丈夫、心配するなって、俺は割と優しいんだぜ」


 彼の言葉に彼女は余計に不安になった。


 こういう言葉を言う奴に限って言葉とは裏腹に過激なことをするものだ。


 「それじゃ、しっかり掴まって」


 男は言った。


 「えっ何処に?」


 彼女は掴めそうな場所を探していたが見当たらない。


 「しょうがねぇな、こうだよ」


 彼は彼女の細い両腕を自分の胴に巻き付かせた。


 彼の突然の行動に思わず声を上げた彼女は、少し頬を紅らめた。


 そんな様子が彼に見えるはずも無かった。


 彼のTシャツから彼女の腕に伝わったのは彼の体温と硬い筋肉の感触だった。


 彼女は、異性とこんなに密着したことは無かった。


 父親とは幼いころよくあったのだが、彼女は統合宇宙開発事業団の会長の孫であり貴族でもあった。


 厳しい家訓のせいで、彼女の交際は制限されていた。


 友人にお嬢様と呼ばれることに彼女は嫌気が差し、半ば家出のように実家から出ていった。


 もちろん連れ戻されそうになるが、彼女はそのとき、国連宇宙軍付属の学校へ通っていて寮生として届けを提出した後だったため、逃れることが出来た。


 いくら貴族の娘だろうと軍学校の規則を破ることは許されはしない。


 彼女は今、二十四歳。八年前の出来事だ。


 「もっと体を前に、俺に体重を預ける感じでいいから」


 男は少し面倒臭そうに言った。


 「ええ、でも」


 恥ずかしいじゃないと言いたげに彼女は身をよじった。


 「あのな、俺は別に他意があって言っているわけじゃ無いんだ、名前も知らない女とガードレールに突っ込むなんてのは願い下げだ」


 彼の言葉に彼女は沈黙し、そして彼の言うとおりに体を預けた。


 彼は再びバイクのエンジンに灯を点けるため、イグニッションキーを捻りセルモーターを回した。


 まだ熱を放つエンジンはすぐに、彼の右手にあるアクセルと同調した。


 「じゃあ、行くぜ」


 大声を上げ彼女に同意を求めた。


 彼女は、頷くと彼に身を任せた。


 二度程、エンジンをあおり、彼はクラッチを繋いだ。


 発生した力はドライブチェーンを通じてアスファルトに黒い跡を残した。


 浮き掛かった前輪を両腕でねじ伏せた彼は舌打ちをした。


 彼女の両腕が彼の体を後ろに強く引っ張ったのだ。


 もちろん彼女が意図していったわけでは無いことは彼も知っていた。


 つい癖でトルクを掛け過ぎたのだ。


 彼は心の中で彼女に詫びた。


 彼女はただ黙って彼の背中に頬を当てていた。


 風が、そして景色が後ろに流れていく。


 車とは違った見え方だった。


 自分の視野の全てが流れていく。


 ただ、ひとつ彼の背中だけを除いて。


 三キロ程走ったところで彼女の車が見えてきた。


 彼女は彼の背中越しにそれを見て思った。


 せっかくの休日なのに、車に時間を取られるなんて。


 「おい、ついたぜ、先に降りてくれ」


 彼はバイクのエンジンを止め、サイドスタンドをかけた。


 彼女はぎこちない降り方だったが無事に両足を地におろした。


 「良いものね、バイクって」


 風に乱された髪を整えながら彼女はお礼の意味も込めて言った。


 「だろ、俺は好きなんだ、あの感覚、目に見えるもの全てが俺の意思によって後ろへ流れる、目の前に有るもの全部だ」


 彼はうれしそうに口元を緩めていた。


 そして、車の前に立った彼はボンネットに手を掛けた。


 「こいつを開けてくれ」


 彼女は頷き車内に入りハンドルの左にある小さいスイッチを押した。


 ストッパーの外れる金属音と共にボンネットは音も無くゆっくりと上がり、中の金属の塊を見せた。


 「凄いな、まるでロールアウトしたて見たいだ」


 中にあった機械類は全て輝いていた。


 「ええ、私もそう思うわ、よっぽど大切にしていたみたいね」


 車のドアに腰を掛けて彼女は少し視線を落としながら話した。


 この車は、彼女の兄が大金を出して知人から購入したものだ。


 兄は二年前に家族を捨てて光速宇宙探査船に乗り込み未開の銀河へ旅立った。


 もう生きては会えない。


 「みたいって、あんたじゃないのかよ」


 エンジンルームに頭を突っ込みながら顔に汗を浮かべながら男は言った。


 「私には出来ないわよ、そんなこと」


 兄貴は面倒がらずに良く何時間もガレージで整備と称して旧世紀の技術と戯れていたっけ


 「それより分かったの?」


 彼女は彼の側に立った。


 「見ただけで分かったら苦労しないぜ、どんな感じだった?乗っててさ」


 彼女は腕を組み首を傾げた。


 「ちょっと前まで何でも無かったんだけど、アクセルにエンジンがついて来ない感じ、かな?」


 「アクセルを踏み込んだとき、籠った感じの、何て言うか『モワァ』ってエンジンが言って無かった?」


 男にはある一つの答えが頭に浮かんでいた。


 「ううん、そんな感じかな、確かにそんな音が聞こえたような」


 彼女は雲一つない青空を見上げた。


 オゾンの再生が世界各国の国政の一つに成らなければ今頃こんなことも出来ないんだなと考えていた。


 「燃料は?」


 「入っている」


 「本当かよ」


 彼は彼女を疑うように見つめた。


 「ばかにしないでよ、私だって燃料計ぐらい知っているわ」


 彼女は男に抗議の目を向けた。


 「でもさ、こんなに手を掛けられているエンジンはちょっとやそっとじゃ裏切ったりしないもんだぜ」


 男はそう言うと運転席を覗いた。


 「ちょっと、いいか?」


 彼女に了承を得るとそのまま運転席に座った。


 「やはり良いよな、車はこうでなくちゃな」


 ハンドルを握りペダルに足を乗せ運転する仕種を見せる。


 「そんなこといいから、何か解ったの?」


 彼女は男を急かすように言った。


 男は計器類に目を向け、そして燃料計に注目した。


 「なぁこれさ、おかしいぜ」


 見てみろと言う男の両目に彼女は応えた。


 「何よ」


 彼女も覗き込んだ。


 「見てみろ、満タンだ」


 男は両手を上げ首を振った。


 「だから最初から言っているじゃない」


 彼女は半ば呆れた顔を浮かべている。


 「最近ガソリンを入れた?」


 男は浮かんだ答えに確信を持ったようだ。


 「ここに来てから一度だけ、でもそんなに乗っていないわ」


 男はまだ分からないのかと言いたげに彼女に言った。


 「ちょっと、って言ったってコイツの燃費はリッター当たり3キロ前後だぜ」


 彼はそう言うと彼女に燃料計を見るように合図した。


 「いいか、見てろよ」


 彼は人差し指で何度か燃料計を叩いた。


 彼女は思わず声を上げた。


 燃料計の針はENPまで何のためらいもなく傾いていく。


 「針が、引っ掛かっていたらしいな、今までに無かったのか」


 彼女は何か思い出したようにはっとして何度か頷いていた。


 「そういえば兄貴が何度か言っていたわ、すっかり忘れていた」


 彼女は叱られた飼い犬のように彼を見た。


 「まったく、しょうがねぇな」


 彼は車を降りて自分のバイクへ行き、バニアケースからガソリン5リッター入りの缶を取り出した。


 「これで、街までギリギリってとこか」


 男は惜しむようにその缶を見詰めていた。


 「えっ、くれるの?」


 「冗談だろ、とりあえず貸すだけだ、130U$」


 「ちょっと高いんじゃないの?」


 彼女は素直に不満を表し顔を歪めた。


 彼は片目を閉じて笑って見せた。


 「じゃあ街まで俺に運転させてくれ、それならタダにしてやるよ」


 男は見えないハンドルを掴み運転する仕種を見せた。


 「えっ、じゃあ街でガソリン入れた後にあなたを降ろしても良いわけね」


 彼女は意地悪に言った。


 「それはねぇだろ」


 彼にはそれが彼女の本心ではないと言うことは、すぐに分かった。


 彼女は眩しいくらいに自然で美しい笑顔を浮かべている。


 もし、この笑顔が作り物ならこの世界全てが今にきっと崩れ去るに違いない。


 彼はそう感じていた。


 空だったタンクに僅かばかりのガソリンを入れ、二人は街へ向かった。


 腹を空かせた怪物はやたらに大人しく走り、腹が満たされるのを期待して街まで見知らぬ男の運転に素直に答えていた。


 八月十五日ネヴァダ基地エリア24


 


 まわりの緑地とは趣が違うそこは一面コンクリートで覆われて、太陽に焼けたコンクリートはゆらゆらと地平線に浮いてみえた。


 全てを焼き尽くすような太陽の光と熱は一機の巨大な異形の航空機に注がれていた。


 バルホワイトに塗装されたその機体には、実験機を表す文字が記されていた。


 『YF/A‐23』国連宇宙軍でマニュピレーター兵器(汎用人型機動有人兵器)と呼ばれているものだ。


 この実験機には大気圏内を飛び回るためのカウリングが施してある。


 これからこの代物は地球の重力圏から脱出し、再び大気圏に突入する実験プログラムが予定されている。


 大出力の電源車を十二台従えた実験機は機体に内蔵された四基の超小型熱核融合炉と外付けのバックパック『BP‐03』にある同様のリアクター二基に電力を投入し、核融合するための強力な電磁場を炉心内部に発生させていた。


 重水素とヘリウム3が入れられたそれぞれのタンクから原子が炉心内部に入れられた。


 膨大な出力を叩き出す六基の核融合炉も初期起動時にはそら恐ろしいほどの電力を食らう、だがそれに見合う出力を、いや、大陸全ての家庭消費電力をまかなうだけの出力を吐き出してくれる。


 もちろんこれは、そのためのものでは無い。


 実験機用特別管制ブース


 「メインリアクター作動、各炉心内部圧力正常、MHD発電装置および冷却装置、各部全て正常に機能確認しました」


 専用に与えられたモニターに表示される数値に男は一片の感情をも感じられない声を上げた。


 「炉心温度現在七千八百度、さらに上昇中、出力七十六%」


 また別の声が上がる。


 実験機から送られる各種情報は各セクションに振り分けられ責任者の聴覚と視覚に伝えられる。


 実験機に内蔵されている超小型熱核融合炉のメーカーの代表らしき人物の姿があった。


 紺のビジネススーツの左胸には施設内をある程度自由に行動できる写真入りのIDカードをぶら下げている。


 彼のほかにも実験機開発に携わった民間企業の人間達がそれぞれのセクションに顔を出していた。


 彼等の服装はいかにも場違いだった。


 『Hi‐AI‐SYSTEM』各セクションを仕切る壁に付けられたプレートにそう書かれている。


 ここには実験機に装備された戦術支援と機体管制支援用人工知能の開発者達が集まっていた。


 「自己診断プログラム最終確認、全システム正常稼働しています、問題ありません」


 若い技術者は主任を横目で見ながら話した。


 主任は若い女性だった。


 白を基調とした軍服の左胸には彼女の名前が記されていた。


 『レイナ・カミングス』彼女は、Hi‐AI‐SYSTEMの開発主任であると同時に各セクションを統べる立場でもあった。


 レイナは、薄暗いブース内に浮かび上がるホログラフィックディスプレイをぼんやりと見ていた。


 昨日の出来事を思い出しながら、また次の休日の約束に想いを馳せていた。


 見知らぬ彼には、大きな借りを作ったままであった。


 僅かなガソリンで何とか街までたどり着いたのも彼の技量であったし、また街でガソリンを入れるときもカードを忘れた自分の代わりに有り金全部を差し出してくれた。


 そんな彼は、自分のことを何一つ聞いてはこなかった。


 男の優しさなんて下心の表れと思っていた自分に取って初めてのタイプであった。


 別れ際ただ一つだけ、それも今時のハイスクールの生徒達もしない要求を彼はした。


 宇宙に戻る前にもし良ければ、いや別に無理なら構わないが、一度だけ食事に付き合ってくれると嬉しいな、名前を知らないままで良いからと。


 1920U$という大金を捨てるようなものだ。


 相手は自分の名前すら知らないのに、自分が約束通り基地の正面ゲートに立っていなければ、それまでなのに、二枚目とまではいかないが、決して不細工ではない、口は悪いが彼の性格とは反比例しているようだった。


 レイナは彼の要求に応えるつもりだった。


 「カミングス主任、どうしました?」


 若い技術者はいつもと違うレイナの様子に思わず声を掛けた。


 「ああ、ごめんなさい、各セクション良好のようね」


 レイナは若い技術者に謝罪の笑顔を見せた。


 「はい、そのようです」


 若い技術者はあれこれ詮索するのを止めて、数値の羅列に視線を戻した。


 レイナは自分達に与えられた部屋を見渡しコンソールに向かう部下達の様子を眺めた。


 皆自分の役割を真剣にこなしていた。


 そのとき、レイナの目を止めさせる一つの装備項目があった。


 『荷電粒子砲40GW級一基』指向性ビーム兵器である。


 事前に目を通した装備品目リストには存在していないものだ。


 突然変更があったのだろうかとわずかに疑問に思う。


 「ねぇ、この実験プログラムになぜ、実戦用の兵装をする必要があるのかしら」


 やがて疑念は膨れ上がりレイナの表情を固くしていった。


 「はあ、ただの大気圏離脱、再突入テストと聞いていますが」


 若い技術者はそれだけ言うと自分のコンソールに向かい直し、送られるデータに目をやる。


 「何か企んでいるわね、上の連中」


 両腕を組ながら頭上のスクリーンを見詰めた。


 そこには今、まさに飛び立とうとしている異形の航空機があった。


 「発進許可出ました、実験開始、各観測班よろしくお願いします」


 「これより完全自動操縦に移行します」


 俄かに慌ただしく交信が行き交う。


 だがこれ以上と言うことは無い。


 彼等はただ実験機から送られるデータを記録するだけである。


 全ての管理はAI(人工知能)がやってくれる。


 煩わしい飛行経路計算、軌道修正等は文句を言わない彼が、必要なデータを必要なとき、軍のデータリンクに介入し収集して自分で行う。


 だが、それは正常に機能しているときの話である。


 かつての国連宇宙軍は発達した人工知能に頼り過ぎ、ほとんどの機動兵器を無人化していた。


 誰もが暴走事故などありえないと信じていた。


 しかし、それは人類の天敵とも言えるUSLG=アンソリッグ(未だ確認出来ない地球外の高度文明による生体および生物兵器の群れの意)との戦闘で簡単に裏切られた。


 彼等はインターフェイスを使わずに人工知能を構成するあらゆるプログラムを改ざんし、自爆させるか、または友軍機を攻撃させた。


 たった一体のUSLGに最新鋭無人艦隊は全滅したのだ。


 幸いにもそれは、太陽系外の人類の活動するもっとも離れた宇宙空間での事件であったため、人類に時間の余裕を与えた。


 事故原因の調査研究が行われ何度も対応策を投じたが、人工知能の信頼性は元には戻らなかった。


 以降、機動兵器は全て有人化された。


 パイロットには人工知能の監視と言う仕事が新たに加えられた。


 レイナは三年前、地球圏機動艦隊所属の第七十一戦術重機甲部隊に配属されていた。


 そこで実戦配備されていたMW(マニュピレーター兵器)のパイロットをあらゆる面で支援および、指導するMSOと呼ばれる仕事をしていた。


 その当時、担当していたMWが哨戒任務中突如、AI‐SYSTEMの暴走を起こし、リアクターの炉心融解と言う重大事故を招いた。


 機体は制御不能に陥りパイロットと共に宇宙の塵となった。


 事故原因調査委員会が乗り出し事故原因の究明に当たった。


 そして担当MSOに過失は無かったとし、レイナの責任は問われなかった。


 だがレイナはパイロットの悲鳴を聞きながら、何も有効な手段を打てなかった自分を責めた。


 死に行くパイロットの、断末魔の声がレイナの耳を離れなかった。


 貧弱なAI‐SYSTEMが恨めしかった。


 レイナは転属願いを提出した。


 AI‐SYSTEMを、USLGのえたいの知れないアクセスから守る防御策を開発するために。


 転属願いは、正式に受理され、レイナは開発中であった『YF/A‐23』シリーズの搭載AIの設計開発を任された。


 AI‐SYSTEMは宇宙機動兵器にとって必要不可欠な存在だった。


 たとえ暴走する危険があったとしてもだ。


 機動兵器の航法、機関制御、パイロットの生命維持、火器管制、通信管制、機体姿勢制御、操縦の簡易化、等々AIの役割は高度な知識を持つ人間の百人分の仕事をしてくれるからだ。


 レイナは必死にUSLG対策を模索した。


 USLGはデジタル、アナログ方式のプログラム言語に何らかの方法で侵入し破壊または、書き換えてしまう。


 それはまるでテレパシーに近かった。


 電波や光波のようなものでは無く、精神波によるものだと『オズシイクス』からレイナに伝えられた。


 オズシイクスは、レイナに色々な資料を送ってきた。


 非公開組織からの接触はレイナに動揺を与えたが、彼等の協力無くしては、Hi‐AI‐SYSTEMの成功は無かったはずだ。


 だが、オズシイクスはレイナにとって、嫌なOSの開発を進めていた。


 それは実験機にすでに実装され、後は実戦でのテストのみとなっていた。


 人間の精神活動によるオペレーションシステム『MRBS』マーブスである。


 YF/A‐23シリーズは、MRBの搭載を目的として開発された最初で最後の実装機種であった。


 試験機用特別滑走路


 ここは、実験機の事故に素早く対応出来るよう両脇に大型の化学消火液を放水する装置が備えられており、また滑走路の長さも最大規模の八千メートルクラスであった。


 「こちらビックアイ1、管制へ、いつまで待たせる、彼女の機嫌でも損ねたのか?」


 コクピットの中の男は右側に見える巨大な怪鳥を睨みながら管制塔の担当官に愚痴を漏らした。


 彼の愛機はとっくにエンジンを始動させており、彼の左手の動きにいつでも応えられる状態になっていた。


 「こちら管制、ビックアイ1へ、そのまま待機だ」


 少し時間を開けて入った管制官の答えは先程から繰り返されている言葉だった。


 男は鼻を鳴らした。


 巨大な怪鳥の向こうに僚機のパイロットが見えた。


 「ジェイドの奴、笑ってやがる」


 二人の任務は実験機の映像を開発に携わる人間達に送信するものだ。


 ハイブリッドスクラムジェットエンジンを二基搭載しているこの航空機は充分に実験機を追うことが出来るはずだ。


 彼は機首にあるアイボールセンサーを動かし彼女のカメラ映りをチェックした。


 「見れば見る程信じられねぇ、本当に飛ぶのかよ」


 熟成された航空力学を無視するかのような武骨なデザインに呆れたような顔で彼は彼女を見詰めた。


 「高価な打ち上げ花火にならなきゃいいが」


 左にあるCRTにはアイボールセンサーが捕らえた実験機の自己診断の様子がうかがえる。


 スラスターノズルをしきりに動かし、また機体安定翼をバタバタと上下左右に動かして、時折轟音と共に推進力となるプラズマ化した水素をスラスターノズルから排出していた。


 彼はアイボールセンサーに異常が無いことを確認し終えると退屈そうに狭いコクピットの中で腕を伸ばしあくびをした。


 「こちら管制、ビックアイズ両機へ、実験機が出る、見失うなよ」


 管制官の声と同時に機体を揺さぶる大きな轟音が彼に伝わった。


 実験機は青いプラズマを帯びた炎を勢い良くスラスターノズルから噴き出し二機の航空機を尻目に滑走路を走り出した。


 「ちきしょう、いきなりかよ」


 一度実験機を見たが、彼女はもはや彼の横にはいなかった。


 彼は即座にスロットルレバーとサイドコントロールスティックを掴んだ。


 スロットルレバーをAIDLから一気に前に押し出しアフターバーナーを使用した。


 まるで緊急発進のようなやり方だったが、エンジンはストールすることなく彼の意思に激しい加速で応えた。


 重力加速度計は7.6Gを示していた。


 体内の血が背中から飛び出て座り心地の悪いシートにへばりつくような感覚を彼は感じていた。


 もちろん対Gスーツのお陰でそんなことは無いのだが。


 何て加速だ、追い付くのか?


 彼は前方に輝くプラズマを先程までの表情とは別の表情で見詰めていた。


 速度計はV1プラスに達していたが、実験機はまだ上昇する様子は無い。


 「上がらない?」


 機体は滑走路の三分の二を越えていた。


 そのとき、目の前に天空を目指し猛烈な光の尾を引きながら上昇する彼女が入った。


 大気を引き裂く白い線を幾本も付けながら。


 二機のチェイサーもつづいて上昇していった。


 大音響が轟くころ、彼等の姿は地上からは消えていた。


 コクピットの彼はHUDに映る対地高度計を見ていた。


 「空力限界高度まで残り四千フィートか」


 機体の速度はマッハ6・6を超えようとしていた。


 彼の耳には先程から警告音が鳴り響いていた。


 機体設計時の限界速度設定を超えていたのだ。


 このままの速度を出し続けると機体は空中で派手に四散すると、機体を制御する電算機が悲鳴を上げているのだ。


 彼は一度、スロットルレバーにかけた左手を手前に戻そうとしたが、正面に映るふざけた格好の航空機もどきの吐き出す光が目に映ると、祈るようにしながらそのまま最大出力を保った。


 僚機は追跡をあきらめ、速度を落としていた。


 実験機は地球脱出速度である秒速十数キロメートルを超えていたが、それでも加速し続けていた。


 まるで必死に追う彼を嘲笑うようだった。


 激しい振動とエンジン音が彼を包む。


 HUDからは実験機の姿は消えていた。


 ただ、実験機の位置を示すマークと数値がかろうじて彼の意地を保たせていた。


 不意に暗闇と静寂が、彼を取り巻いていた音と振動を排除した。


 空力限界高度を超え、今彼は宇宙に浮かぶ星になった。


 「ここまで四十八秒か、記録更新だな……奴は?」


 正面に映る小さな白い人工物を見つけた彼は、拡大表示を指示した。


 「何だ?」


 彼は彼女の異常に注目した。


 「こちらビックアイワン、管制へ、見えているか?目標は外装を外しているぞ」


 突然、警報機が鳴り出した。何者かが彼の航空機をレーダーロックしたのだ。そしてCRTには彼女の以外の光点を次々と外側から表示していた。


 「所属不明機、四、いや六、増えている、管制そちらは捕らえているのか?」


 「ビックアイワンへこちら管制、指示が出るまで現在の位置を確保し、当初の目的をそのまま遂行せよ、以上」


 地上の管制官は相変わらずの声のまま冷淡に話すと彼の問いに答えなかった。


 数分前 


 「実験機が戦闘プログラムを起動させました」


 部下の一人が声を張り上げた。


 「整流カウリングを投棄しています」


 また別の部下が不安そうな声を上げる。


 「レンジイエローに所属不明機多数接近、AIによる自動防衛系の発動を確認」


 先程の若い技術者が言う。


 セクションルーム内に張り詰めた声が次々上がる。


 隣のブースからはどよめきが起こっていた。


 「接近する所属不明機の機種確認、ダグラス社製のDUー99、アメリカ合衆国航空宇宙軍のドローンと思われます」


 まったく当初のプログラムに無い事態が起こっていた。


 「どう言うことかしら、国連宇宙軍の実験に一国の軍隊が介入するなんて」


 レイナは視線を落とし独言のように話した。


 頭の中に、ある二文字が浮かんでいた。


 奪取?いえ、ありえないわ、確かにアレは魅力的だけど、一国の軍隊のすることではないわ。


 だとすると……。


 レイナは視線を泳がせながらフォログラフィックディスプレイを一つづつチェックした。


 途中でレイナの視線は一人の男に注がれた。


 「ニールマン准将」


 その男は軍服の良く似合う大柄な体格で、白髪が混じるライトグレーの髪は短く刈られていた。


 顔の彫りが深く、六十と言う歳を感じさせない鋭い目をもっていた。


 「どうかねカミングス君、実験のほうは?」


 ニールマンは両腕を後ろで組み、わざとらしくレイナに話し掛けた。


 レイナは睨むような目付きを男にぶつけていた。


 ニールマンはそんなレイナと目を合わせないでいた。


 「実験機に実戦装備をさせたのは准将だったのですね」


 レイナは言った。そうだ、と彼は正面の大型スクリーンを見詰めたまま答えた。


 「実戦装備の機動実験は二ヵ月先のはずでは無かったのですか?だいだい、私たちに何の通達も無しで、唐突じゃないですか」


 レイナは怒りに頬を紅潮させていた。


 「君達の創ったAIなら充分に対応出来ると思うが」


 ニールマンはレイナに一度笑顔を見せたが、とても本心からとは思えない不自然なものだった。


 「事情をお聞かせ下さい、なぜアメリカ軍が実験に介入するのか、また何の目的で」


 ニールマンは一度、深い溜息をつくと再び正面に向き直り話はじめた。


 「我々はYF/A‐23シリーズに金を使い過ぎた、当初の予算を遥かに超えてしまっている、オズシイクスからの援助もあるが、表立って使えない、実験スケジュールの四割を削除して、YF/A‐23に続く計画に予算を当てることになったのだ、アメリカ航空宇宙軍がYF/A‐23の実験に介入したのは、こちらから持ちかけた話だ、連中にしてみればまたと無いチャンスだからな」


 ニールマンは両手を後で組んだまま言った。


 「国連宇宙軍の技術は全て国際法で保護されていますからね」


 レイナは言った。


 「まして最新技術を満載した極秘実験機だ、連中は喜んで標的を用意したって事だ」


 ニールマンはレイナに同意を求めるような言い方をした。


 「予算が苦しいのは分かりますが、何もこんなに急がなくても」


 レイナはニールマンの気持ちを察しながらも食い下がった。


 「YF/A‐23の実戦配備が早まったのだ、来週には宇宙に上げる」


 ニールマンは振り返り断固とした口調で言い放った。


 「何て事、どうしてですか」


 レイナはニールマンに詰め寄った。


 「敵の本隊が太陽系中心に向かって、現在オールト雲から約120天文単位に位置していることが二週間前に秘密裏に報告された、我々に残された時間は僅かだ」


 ニールマンは足もとに視線を落としていた。


 「パイロットの選定は終了したのですか?」


 レイナは不安を隠さず言った。


 「決定した、配属先は第71戦術重機甲部隊、予備機を含め三機を送る、残りはハイペリオン基地で最終作戦機として改装される、MRBは残念だが、当初の予定通り搭載となった」


 ニールマンは話し終えるとレイナの反応を知るべく視線を戻した。


 レイナはつとめて平静を装っていたが、内心驚きと悲しみに包まれているはずだ。


 配属先はレイナが以前、所属していた部隊であったし、最高で最悪と開発内部で囁かれた精神反応戦闘システムの犠牲となるパイロットが決定したこと、実験機が今週を最後にレイナの手を離れ実戦導入されること、レイナにしてみれば嫌な事だらけである。


 准将と言う立場からすれば部下の反応など気にするなど軍隊の上層部として失格なのだろうが、レイナの父親とは古くから付き合いが有り、子供の居ない自分にとって、娘のような存在であったレイナの悲壮な表情は見たくなかった。


 「ニールマン准将、お願いがあります」


 レイナは意を決していた。


 「今は実験中だぞ、カミングス君、後にしたまえ」


 強い語気を放ち、准将らしく胸を張った。


 レイナの願いは聞かなくても分かっていた。


 責任感の強いこの娘は、配属先への配置転換を望む。


 実験機の配属先が決定したときにはもう分かっていたことだった。


 ニールマンはレイナを危険に晒すような実働部隊に異動させるつもりはなかった。


 「実験機が攻撃許可を申請してきました」


 不意に部下が声を上げる。


 「相手が演習用のドローンなら遠慮はいらない、実験機に攻撃許可を出して」


 レイナは視線をニールマンから放すことなく言い放った。


 「了解」


 「リアクターおよびジェネレーター出力共にコンバットモードへ移行確認」


 「FCS作動確認」


 「目標、コンバットレンジに突入」


 レイナは次々と上がる声に視線をYF/A‐23の映るスクリーンに戻した。


 「ビックアイワンに模擬戦宙域に接近せず現在地にて待機、最大望遠で映像を送れと指示を出して」


 レイナは言った。


 了解と部下が答える。


 レイナはここでのニールマンとの交渉を諦めた。


 今は、主任としての自分の役割は果たさなければならない。


 ニールマンは、レイナにこれ以上動揺を与えないよう黙ってその場を去った。


 実験の結果は見なくても充分に予想できる。


 実験機の大気圏内飛行用外装は無くても再突入に問題は無い、ただGCD(重力制御装置)を作動させる分だけの電力を計画より余分に使うだけだ。


 模擬戦に関しては、始めから心配などしていない。


 レイナのチームが創ったAIシステムは完璧と言っても過言では無いし、対USLG用としての最新鋭機動兵器がその辺にある通常兵器に負けるはずがない。


 開発計画の最高責任者である彼には模擬戦など取るに足らないことだった。


 ただ、レイナが心配ではあった。


 去り際に一度、レイナの背中を見たが声も掛けなかった。


 「主任、実験機が戦闘状態に入りました」


 「各セクションへ指示、データー確保に怠り無いように注意」


 彼女はそう言い終えるとビックアイが送る映像を眺めた。


 来週には実戦配備が行われて、人を乗せて戦闘を繰り返すようになる実験機を見詰めていた。


 レイナは実験機中に存在する悪魔の技術とも思われるMRBSの動物実験と、さらに人体実験を視察したことがある。


 『サイコリンクデバイス』


 外的、内的機体情報を生体イオン信号へ変換し、動物の大脳辺縁系内の神経回路に疑似神経情報として入力、干渉させ、それによる神経細胞の反応(信号を受けると、神経細胞同士を繋げている軸索の先にあるシナプスの内部にあるシナプス小胞が、神経細胞との接触面にある間隙に神経伝達物質を放出し、その刺激で相手側の神経細胞は受容体を開く、この間をイオンが出入りし、電気的なパルスが発生する)を超電導量子干渉素子で感応、機械信号変換装置で肉体を使わずに機体を制御するものだ。


 当然のようにそれは、搭載コンピューターとも繋がっており、それにより意識の拡大が行われる。


 MRBSの核をなす。


 レイナが嫌悪している理由は、これを積み込むのが兵器である以上、当然戦闘時に着弾する可能性がある。


 その際受けたダメージはパイロットの脳神経系、精神に伝わり最悪の事態で脳死、精神崩壊を引き起こす可能性があったためだ。


 動物実験ではダメージの疑似信号が何匹ものモルモットに送られた。


 MWの機体フォーマットが使用されていたので、ある研究員はMWの腕、足、頭部を欠損したとの信号を送り、また他の研究員はリアクターの暴走信号を送ったりしていた。


 送られた信号はモルモット達の肉体を斬り刻んだ。


 まさしく腕、足、頭が胴体から千切れた。


 細胞レベルで互いの接触を拒絶したのだった。


 リアクターの暴走信号を送られたモルモットは心臓が激しく脈動し、ついには全身の穴と言う穴から血を噴き出した。


 それはレイナの網膜から、その光景が消えることは無かった。


 人体実験のほうは実際にMWに搭乗して行われた。


 ダメージ信号を塞き止めるリミッターが開発され、その評価テストだった。


 四機の実験機を使用した戦闘が行われ、機体を破壊するまで続けられた。


 テストパイロットは家族の居ない永久投獄の凶悪犯罪者が使われた。


 彼等はこの実験に参加することにより刑の免除を保証された。


 生きていたら、と条件が付けられていが。


 彼等にはMWの操縦訓練は一切行われなかった。


 始めからMRBSを起動させての実験だったので、彼等にはMWが、自分の身体のように感じられていたはずだ。


 閉鎖された空間の中で行われた戦闘実験は、彼等に格闘戦主体の戦いを強制していた。


 意識の拡大により彼等は、狂暴な闘争本能を剥き出しにし、狂ったように互いに殴りあった。


 実験終了時には彼等の身体は無事だったものの、完全に自我崩壊を引き起こしていたのだった。


 あるものは、ひたすら意味不明な、言葉とも思えない音を発し続け、またあるものは泡を吹きながら、薬物中毒患者のように暴れ続けた。


 そこには人間の尊厳など何処にも無かった。


 確かに、MRBSによる機体とパイロットの合致は驚異的な戦闘データーを打ち出したが、レイナにとってそれは、最悪でしか無かった。


 非人道的であり、国連宇宙軍の基本理念からも著しく逸脱していたこのMRBの実験はオズシイクス側の要請により『A7』特別機密レベル7扱いとなった。


 A7扱いは通常の機密取扱い許可ライセンスで閲覧出来ない、極々僅かの人間にしか与えられない資格でしか知ることは不可能だった。


 世に決して露呈することは無い。


 レイナはMRBSを創ったオズシイクスの人々に激しい嫌悪感を抱いていた。


 「パイロット、決まったのね」


 溜息混じりで呟くレイナに、薄暗いブース内は優しくしてはくれなかった。


 



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