チョコレートの実力はまだまだこんなものじゃないのだ
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捜査が進展したとかで王宮からは三日で解放されたけど、まだしばらく王都から出るのは禁止らしい。つまり帰れない。
そこで私は勇気を出して「市場を見物したい」とワガママを言った。一年ぶりに家族がそろった食卓でだ。
お兄様とお姉様は即座に一緒に行くと言ってくれた。両親は仕事で一緒には来られなかったけど、残念そうに「楽しんでおいで」と言ってくれた。
それが一昨日の事。
そして今日、私達兄妹は揃って大市場へとお出かけしている。
住宅地などそれぞれの区画――坊――が壁に囲まれ細かく区割りされている王都にあって、東西二つの大市場は王宮を除けば最大の面積を誇る。商店や露店、酒場や宿などが所狭しと立ち並び、大きな広場などもあって大勢の人々が行き交う、異世界ファンタジーに出てくる栄えている町のイメージそのままの場所、それが王都の市場だ。ちなみに王都では「市の立つ日」という概念はない。市場は毎日朝から晩まで開いている。
私達が来たのは西大市場だ。
何故西か? それは勿論こちらにチョコがあるという情報があったからだ。
王宮では結局食べそびれた。しかしこの世界にチョコがあると分かった以上、食べないという選択肢は無いのだ!
「チョッコレ~ト~♪ チョッコレ~ト~♪」
「フレンちゃんったら、よっぽど楽しみなのね」
「初めての食べ物だろ? 期待しすぎないほうがいいと思うけどな」
「美味しいに決まっているのです! 王宮のパーティーに出てきた位なのですよ!」
「皆様、着きましたよ」
案内役のスージーが示したのは一軒の屋台。確かにチョコレートの香りが漂ってきているのだけど、売っているのは……
「へえ、これがチョコレート……大分濃厚な香りだね」
「なんか黒っぽくってドロッとしているのね」
「貴族様、チョコレートはかなり変わった味の飲み物です。もしかするとお口に合わないかもしれませんが召し上がりますか?」
ホットチョコレート。つまりココアだった。屋台に金属製の鍋が埋め込まれていて、その中の黒に近い茶色の液体が甘い香りを放ち「私はチョコレート」と主張している。
期待していたのとはちょっと違ったけどこれはこれでアリ!!
早速みんなの分を購入。50ccぐらいの小さな木のコップによそって供される。何故か水入りの大きなコップも渡された。
チョコレートのいい匂い。
屋台のおばちゃんが予防線を張っていたのと先に毒見で飲んだスージーが微妙な顔をしているのが気になるけど、とりあえず一口飲んでみる。
おおぅ、これは……
私が口をつけたのを見て、お兄様たちも恐る恐る味を見る。
「うわっぷ、苦い。甘みもあるけど。そして何と言うか……かなり濃厚だね」
「美味しくないことはないけど、ちょっとくどいわ」
確かにこれはチョコだ。チョコレートなんだけど……苦みがやたらと強く、逆に甘さが妙に控え目。そして舌触りもなんかザラザラした感じだ。変な酸味もある。何より濃厚すぎる、というかベッタリしていて果てしなくくどい。
一言でいうと残念なチョコだ。
何故水が一緒に出てきたのか分かった。水なしにはとても飲めないのだ。
水で口を洗いながら考える。ああ、前世のチョコ並みとは言わないから、もう少し美味しいのが食べたい。
なまじっかチョコの原型っぽいものを食べて、というか飲んでしまったものだから益々欲求不満が高まってしまった。
世の転生者が押しなべて食べ物チートに走る理由がよく分かった。皆美味しいものの味を知っている所為なのだ。
しかし食べ物チートしようにも私には前提となる知識がない。カカオ豆すら見たことないのだ。市販のチョコを溶かして型に流し込んだのが精々。そのチョコはどうなったのかって? ご想像にお任せします。
どこかにチョコレート作りの知識を持った転生者はいないだろうか……
そこでふと思い出した。パーティーで見たチョコケーキはチョコレートでコーティングされていた。つまりこの世界には固形のチョコもあるのだ。それを作ったのが転生者、という可能性も……
取り敢えず情報収集だ。
「固形のチョコレートは無いんですか?」
「流石貴族様、よくご存知ですね。最近はそういうのも有ると聞いています。しかし王都に入ってくる分は全て王宮に届けられているそうでして残念ながら市場では手に入りません。私共も見たことすらないのです」
私が見たのは王家が買い占めたヤツか。おのれ王家め!
「入ってくる、ということは他所でつくられているんですか?」
「フーゼンという町で作られているそうです。もしかするとそこに行けば手に入るかもしれません」
そこにチョコ作りの転生者(仮)がいるのか……
「フーゼンなら地図で見たことがあるよ。うちの領からずっと北に行ったところだ」
「お兄様、一度行ってみたいです」
「チョコレートが気に入ったの? 気軽に行ける距離じゃないから出入りの商人に頼んだ方がいいと思うよ。帰ったらお父様に相談してみよう」
「ねえ、折角だから別の飲み物も試して見ましょうよ」
実はこの屋台はチョコレート専門ではなく、他に二種類の飲み物も売っている。白く濁ったのと黄色い澄んだのとだ。ちなみにどちらもチョコレートより大分減っている。こっちのほうが売れ行きがいいんだね。
お姉様の提案で残りの飲み物も試してみた。
黄色の方は明らかにホットレモネード。酸味がちょっと強いけどほっとする味。
白く濁ったのは甘酒にそっくり。というか確実に甘酒だ。異世界でこの味に出会うとは思わなかった。
不意に前世の記憶が蘇る。
子どもの頃、家族で初詣に行くと必ず買ってもらっていた。一杯の甘酒を妹とフーフーしながら回し飲みしたっけ。もう二度と戻る事のない、遠い日の記憶。
おばちゃんに説明を聞くと原料はどう考えても米だ。本で読んだ中にそれらしい情報が有ったからしかしたらと思っていたけど、やっぱり米があったんだ。
米はここよりずっと暖かい地方(南半球なので北)で作られているそうだ。やはり一度北に行くべきだろうか。でもちょっと怖い。米のご飯なんか食べたら前世へのホームシックに罹ってしまうんじゃないだろうか。
「この白い方、甘いお粥? でも原料は麦じゃないのかな。ちょっと癖があるけどこれはこれで有りだな」
「レモネードのすっきりした感じがとてもいいわ」
ここにいるのはブラインお兄様とミリアお姉様。二人で感想を言い合っている。今はここにいるのが私の兄弟だ。今の私はエーコ家次女、フレン・ド・エーコなのだから、フレンとして生きていくのだから、前世への未練は捨てるべきなのだ。
それにしても二人ともチョコより他の二つの方がいいみたいだ。
確かにここのチョコは残念だ。でもチョコレートの実力はまだまだこんなものじゃないのだ。お兄様たちがそれを知らず「チョコはいまいち美味しくない」と誤解したままなのはなんかイヤだ。
いつか必ずお兄様たちに美味しいチョコを食べさせよう!
そんな決意をしていると、ふと通りすがりの人の会話が耳に入った。
「近々貴族様の処刑があるらしいぜ」
「それって王宮に『Z』を解き放ったっていうあの事件の?」
「そうらしい。噂では相当残酷な刑になるって話だ」
「すると腰斬とか車裂きとか……」
「俺は火あぶりと見ている。賭けるか?」
リタリエ男爵の話題だ。まだ判決は出ていないはずだけど、市井では死刑は当然の事としてどんな刑になるかが話題になっているみたいだ。
服毒等自害の体裁をとる場合を除き、刑はここ西大市場の広場で衆人環視の中行われる。見せしめのためなので勿論誰でも見物できる。
この国の処刑方法には様々な種類があり、斬首は即死できる分まだ温情のあるほうで、大概は長く苦しむようなものばかりだ。
例えば腰斬は巨大な裁断機のような道具で腰から下を切り落とすのだけど、罪人は失血死するまで延々と苦しむ事になる。見物人はその苦しむ様を見るのだ。
中世、処刑は娯楽だったという話を聞いた事があるけど実際に市民が楽しみにしているのを目の当たりにすると陰鬱な気分になる。
そもそもリタリエ男爵にも多少は同情の余地はあるのだ。
お父様に聞いた所によると発端は2年前。わがエーコ家がシャドウクーガーに襲われてから2年後、新たにシャドウクーガーを嗾けられた家があったのだ。それがリタリエ家。
しかも人的被害の無かったうちと違い、リタリエ家では死人が出た。
幼い二人の子供が二人とも、そして男爵の母親までもがシャドウクーガーに殺されてしまった。しかもそのショックで身重だった男爵夫人が早産した挙句母子共に亡くなってしまったのだ。
シャドウクーガーがカイケー領産だというのはすぐ知れた。だからリタリエ男爵はすぐさまカイケー家に殴り込みをかけようとしたのだけど、それを王妃派の重鎮たちが押し留めた。かえって相手の思うつぼ、敵を利するばかりだからと説得したのだそうだ。
男爵はしぶしぶ思い止まった。しかしそれまで穏やかで争いを好まなかったという人柄は一変、憑かれたように第一王子派との派閥抗争に奔走したそうだ。
動機について彼は「家族を殺した第一王子派も、第一王子派に妥協する王妃派も許せなかった」と言っているらしい。
これは決して他人事ではない。もしあの時うちで誰かが亡くなっていたとしたら、お父様もリタリエ男爵と同じ道を辿っていたのかもしれないのだ。
なんか市場を観光する気分ではなくなってしまった。
お兄様たちも同じだったようで、皆でそのまま屋敷に戻ることになった。