【怪談】 馬車を曳く幼子
第三者の語りです。
え? アンタこの時間から旧街道に行こうって言うのかい。
悪い事は言わねえ。止めときな。
あの道はな、夜になると出るんだよ。
違う違う、盗賊なんてチャチなもんじゃねえ。
いや、タイラントボアなら偶に出くわすけどよ、そういうんじゃねえんだ。
出るのはよ、「馬車を曳く幼子」だ。
聞き間違えじゃねえよ。3歳くらいの小っちゃな女の子、いや少なくとも女の子に見えるナニカだ。そいつが血まみれでよ、ボロい箱馬車を曳いてるんだと。勿論馬なんかいねえ。自力で曳いてるんだ。
まあ確かに俺は見てねえけどよ、見たって話は結構聞くぜ。
例えばある猟師の話だ。
そいつは森の中で野営していた。そう、旧街道が通っている森だ。
で、夜中に遠くから何か叫び声のようなものや大きな物音がしたんだと。で、警戒心より好奇心が勝ってそっちの方へ行ってみたんだ。
すると旧街道を馬車らしき明かりがやってくるのが見えた。厄介事かも知れねえからそいつは森の奥に隠れて様子を窺ったんだ。
やがて現れたのは一台の馬車。近づいてくるにつれ様子がはっきり見えてくる。
で、見ちまったんだ。
馬車についてた前照灯がよ、血まみれの小さな女の子をくっきり照らし出していたんだと。それが馬車を曳いてよ、かなりの速さでやって来る。そう、ノロノロ曳いてるんじゃねえ、軽々と走って来たんだ。この世の物とも思われねえ奇っ怪な光景だったそうだぜ。
馬車は何事もなく猟師の前を通り過ぎた。
そのままいなくなるのかと思いきや少し行ったところで急に馬車が止まったんだと。
何が起こると見ていると幼子が徐に後ろを振り向いた。すわ見つかったかと緊張したそうだが、そうでもなかったみたいでよ、幼子はそいつのことなんか気づかねえ様子で馬車から水袋を取り出したんだと。
で、何をするかと思ったら頭に水か何かをぶっかけてよ、そのまま顔を洗い始めたんだと。
で、しばらく熱心に顔を擦ったりなんだりした後で急に顔をあげてよ、隠れているはずのそいつの方を見たんだと。
そしてきっちり目を合わせてにっこりと一言
「きれいになった?」
大分離れているってのに呟きみたいなその声がハッキリ聞こえたそうだ。
そいつは思わず頷いた。正直全然変わらなかったらしいんだがな。そしたら幼子の方は満足そうに馬車を曳いて今度こそ走り去ったんだと。
結局最初に聞こえた大きな物音が何だったのかは分からずじまいだ。そいつにはもう確かめに行くような気力も胆力も残っていなかったからな。
それどころかよっぽど怖かったんだろう、狩りも止めにして日が昇ったら真っすぐ帰り、そのまま二三日寝込んじまったってよ。
今から出ると森の真ん中で日が暮れちまう。
だからもう一度言うが、止めときな。
……そうかい、そこまで言うならもう止めねえよ。引き止めて悪かったな。
ただよ、これだけは覚えといてくれ。
幼子に「馬車から水袋を取ってきて」と頼まれることがあるんだと。そん時は絶対馬車を覗き込んじゃいけねえ。その代わりに自分の水筒なりなんなりを渡してやるんだ。そうすると頭から水をかぶってよ、「きれいになった?」って聞いてくる。決して正直に「変わらない」なんて答えるんじゃねえぞ。頷けばいい。そうすれば大人しく立ち去るって話だ。
ああ、じゃあな。無事に帰って来いよ。くれぐれも水筒の水を切らさないように気を付けなよ。