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おしるこ温泉  作者: しーなねこ
2/7

賽銭泥棒

「タウンロープ」

 これが紐のタウン誌の名前になった。従来の一行広告的なシンプルなものに比べて、タウン情報を盛り込むため、かなり複雑な内容になった。

 一本の紐にこれまでの倍の二八〇文字を印字し、紐の本数を十本で一組にした。その結果、読者やスポンサーからは、文字が小さすぎる、紐が絡まる、酔う、といった苦情が殺到した。社員は苦情の対応に日々追われることになった。


 道明寺は混乱し、場当たり的な方針を次々と打ち出し、紐を太くしたり細くしたりして、コストを増大させた。会社の経営は急激に傾き、まさに風前の灯となった。猫彦はそれまでこんな会社潰れてしまえばいいと思っていたが、いざ潰れそうになると次の転職先のことを考えて不安になっていた。


 猫彦があちこちの得意先に謝って会社に戻って来た時には、日付が変わっていた。「ただいま」と猫彦が事務所のドアを開けると、春菜と正太郎がパソコンに向かって静かに仕事をしていた。

「あれ、社長と桃山さんは?」

「さっき二人でどこかへ出て行きましたよ」と正太郎。

 春菜が手を休めて、

「最近、よく二人で出て行くんです。遊びに行ってるわけじゃなさそうですけど」

「家に帰ったんじゃなくて?」

「ええ、明け方に戻って来てるみたいですけど」

 へええ。この大変な時期に一体何をしているのだろうと猫彦は思い、日本茶を淹れて、湯飲みを持って印刷室に入った。明日出荷するタウンロープの裁断をするためである。


 ぐるぐる巻きにされた細長いロープの山は猫彦の背丈ほどある。これを紐解いて、一メートルずつハサミで切って束にする。猫彦がパイプ椅子を手近な山の横に出して座ると、正太郎も入ってきて、早く終わらせてしまいましょうと笑顔で言って、別の山の横に椅子を出して座った。これから数時間黙々と紐を切る作業に入る。


 裁断作業は午前三時に終わった。束にしたタウンロープと、それを貼り付けるための糊の入った一斗缶を会社の入り口に置いておけば、あとは専門の業者に引き継がれる段取りになっていた。しかし、糊の入った一斗缶がどこを探しても見つからなかった。

 猫彦は考え込んでしまった。昨日まであったのに、まさか泥棒が盗んでいくとも思えない。正太郎も春菜も帰った後だったので、誰に聞くわけにもいかず猫彦は途方に暮れたが、まあ何とかなるだろうと思って帰宅することにした。


 会社から猫彦の家までは自転車で一五分。ねっとりとした暗闇の中を猫彦の自転車は走る。人の気配はさっぱりない。猫彦が商店街を抜けようとした時だった。


 どーん!


 大きくて重たいものが地面に落ちたような鈍い音が周囲に響き渡った。猫彦は自転車を止めて、なんだなんだと音のした方を見た。神社だった。

 誰かいるのか、いるのだろうな、大きな音がしたからな。

 この日は満月だった。そのせいか猫彦の胸はざわざわと騒いで、ちょっと覗いてみたい気持ちになっていた。猫彦は好奇心旺盛な割に臆病で、厄介なことに巻き込まれるのは御免だと思う。いつでも逃げれるように慎重にして、足音を立てないように神社の石段を上って行った。

 途中まで上ったところで、こそこそ話している声が聞こえてきたので、猫彦はさっと植木の中に身を隠した。


 真っ暗な境内の拝殿の前に、二つの人影が見えた。体の大きさから男のようである。懐中電灯の光があちこち飛び回り、木の柱やお札をちらちら浮かび上がらせている。これが世にいう賽銭泥棒というやつだ。と猫彦は勘付いた。

 先の大きな音は、この泥棒たちが誤って賽銭箱をひっくり返した音らしい。それにしても泥棒の手際が悪いことは、泥棒でない猫彦にとっても一目瞭然だった。賽銭箱の片方を持ち上げて、賽銭を箱の隅に寄せ、そこに接着剤を染み込ませた紐を垂らして紙幣や小銭を盗む手口であったが、役割の分担ができおらず、お互いに相手の行く手を塞いで衝突したり、賽銭箱を傾けるのに、両者で一斉に持ち上げて水平にしたりしていた。

 失敗ごとに言い争いをしてなかなか進まない。猫彦は自分ならもっとうまくできると思った。


 泥棒の様子をしばらく見ていた猫彦は、あっと思った。接着剤の一斗缶が猫彦の会社で使っているものと同じだったからである。あれあれと見ているうちに、猫彦にはどうにも泥棒が道明寺と桃山に見えてきたので、ぎょっとして鼓動が早まった。顔ははっきり分からないが、体格や動作も見るほどに二人のものに見えた。

 なんてことだ、と猫彦は頭を抱えた。そういえば、印刷室にあったはずの一斗缶がなくなっていたが、ここで使われていたとしたら説明がつく。毎晩のように二人でどこかへ出かけていくと聞いていたが、賽銭泥棒をしていたということか。


 猫彦の頭は混乱した。まさか会社の経営が苦しいのを賽銭泥棒で補おうとしているのだろうか。しかし、賽銭で何とかしようなどと考えるだろうか。馬鹿にも限度がある。いや、泥棒を道明寺と桃山であると決めつけそうになったが、他人の空似ということもある。猫彦は考えることでへとへとに疲れ果て、警察に通報することもせずに、石段をゆっくり下りて帰ることにした。


 さて、境内の賽銭泥棒である。これが道明寺と桃山ではないかという猫彦の予感は当たっていた。会社の経営が苦しく、盗んだ賽銭で赤字を埋めようというのが犯行の動機であった。彼らはこの時、まさか自分たちの犯行の現場を、猫彦に目撃されていたとは露程も思っていなかったのであった。

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