94話 罵倒
力負けして後ろに押されるスイを見てアイネがライルを睨みつける。
スイに手を貸すようにライルの腕をつかみ押し返そうとしていた。
しかし、ライルは動かない。
「僕はただ試しただけさ。さっきの速度に反応できないならサラマンダーには追いつけない。今の力に押し負けるならサラマンダーには競り勝てない。残念だがアイネ君、君もスイの役に立つには力不足だろうね」
「づぅ……!」
ライルが一気に腕を振り上げスイとアイネの手を払う。
アイネが奥歯をかみしめるように顔を歪めた。その悔しさが痛い程伝わってくる。
「住民のこともある。スイ。君はやはり僕と来るべきだ」
ライルはそう言いながらスイに手を差し伸べる。
「……それは、お断りします」
だがスイは俯いたままそれに応じない。
するとライルはわざとらしくため息をつくと顎をくいっとあげた。
「ふぅん、皆はそう思ってはいないみたいだけどね」
「えっ……」
ライルが周囲に注意を促したことでようやく俺達は自分達が置かれている状況に気づく。
いつの間にか俺達の周りには円を描くようにたくさんの人々が集まっていた。
……冷静に考えてみれば当然だろう。
建物の中で剣をぶつかり合わせ、アイネが怒鳴っていたりしたのだ。
俺達が周囲の人々にとけこみ背景化するなんて不可能だ。
シン、とした空気がピリピリと肌を突き刺してくる。
「アハハ、なんか皆怒っているみたいだね……」
トワが乾いた笑い声をあげる。
彼女の言うとおり、周囲の視線は痛々しい。
しかもその視線はライルではなく、俺達に──いや、スイに向けられている。
「そうよっ! どうせ勝てないならライル様に任せてよっ!」
ふと、どこからともなく一人の女性の声が辺りに響いた。
ざわりっ、と周囲の空気が震える。
その直後──
「お前はお呼びじゃねーんだよっ、帰れっ! 犯罪者!」
その女性の声に突き動かされたかのように男の声が聞こえてきた。
誰がどこからそれを言っているのかは分からない。それに、この人の量では探すすべもない。
「犯罪者は帰れっ! 帰れっ!」
「処刑されろっ!」
その事に周囲の人々が気づいたのか、それともただ触発されただけかは分からない。
だが確かに、そして確実に、声をあげる人は増えていく。
「小娘がいきがるなっ」
「なんで奴隷になんねーんだよっ!」
「お前なんか誰も認めねえぞ!」
「我儘なお姫様冒険者がやりたければ他でやれっ!」
「どうせ負けんだろうがーよ、おめーはよっ!」
「死ねっ! 犯罪者は死ねっ!」
「調子にのるなっ! クズッ!!」
連鎖する悪意と暴言。それぞれの声が次第に重なり合っていく。
そして最後には有無を言わさないコールの嵐となった。
「「「「「かーえーれっ! かーえーれっ!」」」」」
──うそだろ……?
俺の常識では理解できなかった。
見渡す限り、ほぼ全員が二十を超えているであろう年齢であると分かる。
そんな大人達が集団で一人に対し暴言を投げかけているのだ。しかも、その相手は十代の女の子。
「……」
スイは全く反論しない。何も言わずに周囲を見渡しているだけだ。
その時、俺は今までの人生で初めて見た。
人間がここまで悔しそうに、辛そうに何かを堪えている人間の姿というものを。
──なんだ、これ……?
スイを貶された怒りとか、威圧されることによる恐怖とか、何も動けない自分への情けなさや悔しさとか、色々湧き上がる感情はある。
だがあまりにもその光景が歪すぎて現実のものとして受け入れることができない。
まるで夢でみているかのような浮遊感が俺を支配する。
「まぁまぁまぁ、皆落ち着いてくれ」
しばらくすると、ライルが両手をあげて周囲を鎮めはじめた。
だんだんと治まっていく帰れコール。
「みんな、勘違いしてはいけない。犯罪者なのは彼女の親だ。彼女自身はそうではない。気持ちは分かるがここは落ち着いてくれないか」
もし俺がスイを取り囲む側の人間だったらどう思うのだろう。
ライルのことを人格者だとか思うのだろうか。
だが先の一連のライルの態度を見ていればすぐに分かる。これは演技だと。
「大丈夫。僕がここにいる限りサラマンダーの危険がシュルージュに及ぶことはない。心配することは何もないんだ。僕達はそれぞれの形でこの街に貢献していこうじゃないか!」
ワァッ、と周囲の人達が歓声をあげる。
どこにそんな盛り上がるところがあったのか俺には分からない。
だが周囲にはこう見えたに違いない。
ライルという男は実力だけでなく、高潔な人格を持つ男だと。
嫌らしいことにライルはただ一方的に自分が皆を守るとは言っていない。
それぞれの形で貢献しよう、といった士気を上げるような言葉を選んでいる。
「──まぁいい。どうせすぐに気が変わるさ」
茫然と立ち尽くす俺達にライルが勝ち誇ったように笑みを見せてきた。
憎らしいほど爽やかに踵を返す。
「健闘を祈っているよ」
嘘だとすぐに分かる。その目にうつるのは格下の相手に送る完全になめきった嘲笑の色。
湧き上がる感情を抑えるために拳を強く握りしめる。
同時に心の中で自分自身を叱咤した。
俺はどこか、事態を甘くみていたのかもしれない──