89話 嫌悪と悪意
「スイ、この街ではどこに向かうんだ?」
話題を変える意味も兼ねて俺はそんな事をスイにきいてみた。
日はかなり落ちている。門をくぐる前にみた太陽は半分以上が地平線に埋まっていた。
今日ここに宿泊するのは前にきいた通りだろうが具体的な予定はどうなのだろうか。
「そうですね。最初は馬車屋に向かいます。この馬車を返さないといけませんから」
スイが俺の意を察したのか嬉しそうにほほ笑んだ。
アイネが不思議そうに首を傾げる。
「これ、先輩の馬車じゃないんすか?」
「あ、当たり前でしょ……借り物だよ……」
呆れたように笑うスイ。そうは言うものの俺もアイネと同じようなことを考えていた。
「でも、馬の世話とかスイがやってるよな」
俺がそう言うとスイは俺達の疑問に納得がいったのだろう。
なるほど、と呟いて言葉を続ける。
「あぁ……本来なら馬の世話係と一緒にのらないといけないのですが、馬の世話が自分でできるとその必要が無いので安くなるんですよ。そのために勉強したんです」
「へぇ、凄いじゃないか」
なんでも卒なくこなす優等生というのは学生時代からいたがスイが日本にいたらそんな感じなのだろう。
戦闘、料理、雑用、何をとっても万能だ。
「……まぁ、でも自分で世話するのって結構面倒くさいのですが。一人になれるっていう意味ではいいですね」
ははは、と力なく笑うスイ。
その意味深げな表情にトワが首を傾げた。
「ん、それってどういう……」
「あ、とりあえず馬車屋ついたから。ここで降りますよ」
だがトワの言葉はすぐに遮られてしまった。
防壁に沿う道にある小さな小屋の前でスイが馬車を止める。
「後は歩きになります。馬車を返す手続きをするので降りて待っていてください」
そう言いながら、スイが馬車を降りた。
その肩がいつもより低く見えたのは気のせいなのだろうか。
……何か嫌な予感がした。
†
馬車小屋から出てきたスイを迎えた後、俺達は大通りを通っていた。
先行するスイの後ろで俺とアイネが二人横に並んでいる。
そしてトワはいつも通り俺の肩に座っていた。
「……なんか、すごく見られてない? すごく嫌なにおいがするんだけど……」
右側からトワが不快げな声をあげた。
「そっすね。嫌な感じ……」
さらに向こう側からアイネの声が聞こえてくる。
俺も二人の言葉通りの感想を抱いていた。
この大通りはかなり人通りが多い。その中ですれ違う人の殆どが視線を投げかけてくるのだ。その視線はスイやアイネが美少女だから振り返ったとか、そういう憧憬に満ちたものではない。明らかな嫌悪と悪意に満ちた視線だ。
最初は自意識過剰かとも思ったが直ぐにそうではないと確信する。
彼らは間違いなく俺の前で歩くスイに敵意のような視線を送っていた。
「だから言ったでしょう。私、嫌われているから……」
そう言いながら淡々と歩くスイ。
前に彼女がいるせいでその表情はよくわからない。
だが、その雰囲気はまるで戦闘モードに入ったスイのようだった。
「ねぇ、スイちゃんってそんな悪いことしたわけ?」
異様な空気の中で、トワがスイに向かって言い放つ。
随分とつっこんだききかたで焦ったが――返ってくるのは淡々としたスイの声。
「……トーラギルドにいたとき隠れて話しをきいていた、と言ってませんでしたか」
「いや、きいてたんだけど。別にスイちゃんが悪いことした訳じゃないよね?」
「そうですかね……」
振り向かずに歩き続けるスイ。それでも、きこえてくる大きなため息。
少しの間をおいてスイは声色を全く変えずに言葉を続けていく。
「サラマンダーのような超強力な魔物が現れたにもかかわらず、二度も負けて街から離れたのです。無責任に見えても仕方ないと思います。一応ギルドには離れる許可を得たのですが、不安を感じている住民にはそんなの関係ないですからね」
自分自身のことを語っているはずなのに、まるで誰かを弾劾しているかのように聞こえてくる。
アイネが反論をするために口を開く。
「でも先輩っ、そんなの……」
「アイネ、ライルさんがなぜ英雄と呼ばれるようになったか知ってる?」
それを読んでいたかのように遮るスイ。
やはり振り返らず前に進んでいくスイに恐怖のような感情を覚えたのだろう。
アイネは震えた声で返事をする。
「えっ、いや、ウチは名前ぐらしいか知らないから……すごく強い剣士ってことぐらいしか……あとは貴族だってことぐらいしか……?」
「サラマンダーを倒したからだよ」
「──っ!」
その言葉に俺達は息をのんだ。
スイが二度挑んで勝てなかった魔物を倒したという事実。
それはライルがスイよりも強いことを意味していた。
ふと、トーラギルドに最初に来た日のことを思い出す。
たしかあの時、スイは自分が英雄と呼ばれることに抵抗を示していたはずだ。
その真意をようやく理解する。
単純に褒められるのが苦手とかそういう問題じゃない。
自分より強い相手と同等に扱われることに恐縮していたのだろう。