88話 シュルージュ
「あーっ、もしかしてあれっ!?」
俺の意識を呼び起こしたのはトワの声だった。
いつのまに眠ってしまっていたのだろう。
ゆっくりと瞼を開けていく。かなり周囲が暗くなっていた。
「んっ……」
自分の体勢がどうなっているのかもよく分からない。
そんな寝ぼけた状態を覚醒に導くようにスイの声がきこえてきた。
「ふふっ、起こしちゃいましたか?」
「あれ? ごめんねー」
トワが俺の顔の前にいる。
オレンジに近い黄土色の布をつかみながら俺を見上げていた。
「いや、大丈夫……あっ」
その布の色で俺は自分がどのような体勢になっていたか理解する。
どうやら思いっきりアイネの左肩に寄りかかってしまっていたようだ。
恥ずかしくなってすぐに体を起こす。
「ごめん……」
「べ、別にそのまま寄りかかってくれててもいいっす……よ?」
「う……遠慮しておく……」
「えー」
言葉とは裏腹に少し赤面して恥ずかしそうにしている。
不満を表現するために唇をとがらせてはいるが、あまりにわざとらしくてかえってコミカルな顔になっていた。
──照れ臭いなら、無理してそんな事言わなくてもいいのになぁ。
ともかく、アイネの服によだれを垂らすような醜態は晒していなかったようで安心した。
その話題については置いておくことにする。
「シュルージュか……」
俺は視線を前に移した。
目の前にそびえたつのは巨大な石の壁。
「でっかい壁っすねー! あれ、なんすか?」
「防壁だよ。ここはちゃんと設備が整っているから」
「ほえー……トーラとは全然ちがうっすねぇ……中が気になるっす」
アイネが感嘆のため息をもらす。
シュルージュは結構な人口があったはずだ。少なくともド田舎のトーラとは違う。
ゲームで見た記憶があるとはいえやはりその大きさには息をのんだ。
「すぐ入れるよ。ほら、あそこが入口」
スイが指さした先には鉄の柵で出来た門があった。
アイネが身を乗り出してじーっとそれを見つめる。
「うわぁ、でかいっすね……」
「うん、なんというかガチガチだよね……」
トーラには村の周りにせいぜい塀のようなものがあるだけだ。
それに比べればこの街は要塞のように思えるかもしれない。確かにガチガチだ。
「こんな大きいの、初めてみたっすよ……」
「ボクも生で見たことはないなぁ……はぁーっ……」
──何故だろう? アイネとトワの言葉が卑猥に聞こえてしまうのは。
自らの感受性に疑いを持ちつつ俺もしばらくの間、馬車に揺らされながらシュルージュの防壁を眺めていた。
十分ほどで、門の前に到着する。
「こんにちは。冒険者です。通していただけますか」
スイが馬車を止めた直後に、そう言い放った。
魔物に対する警戒のためだろう。石の防壁にはアーチ状に穴があいておりそこを埋めるように何重もの鉄の柵で出来た門ができている。
その前で鎧を纏った二人の男が立っていた。おそらく警備兵だろう。
スイの言葉で、そのうちの一人が馬車の方へと近づいてきた。
「……なんだ、あんたか。どの顔して戻ってきた」
その男はスイの顔を見るや否や、嫌なものをみたと露骨に言わんばかりに表情をゆがめる。
「むっ、なんか感じ悪くない?」
それにいち早く反応したのはトワだった。
俺の肩からスイの顔の横へと飛んで、腰に手をあてて怒りをアピールする。
「ん……妖精っ!?」
それを見て男が息をのむ音がきこえた。
やはり妖精という存在はこの世界でもレアなのだろう。
「すいません、仲間を集めていたんです。次は大丈夫ですから」
「ふーん、魔術師か……」
その言葉に男は俺やアイネに視線を投げる。
だが、すぐにがっかりした表情でため息をついた。
どうやら俺達はあまり強そうには見えなかったらしい。
「どうでもいいから早くしてくれ、ほら」
男が手の平をパンと二回叩いて門の向こう側にいる兵隊に合図を送る。
すると一個ずつ鉄の柵の門が上にあがっていった。
「ちっ、何が英雄だ。ただの小娘が……」
舌打ちをしながら男が馬車から離れていく。
こちらに背中を向けながらシュルージュ内部を指さす。
どうやら進めという合図らしい。
「な、なんなんすかアイツ……」
アイネが半笑いでひきつった声をあげる。
あまりの態度の悪さに、怒りよりも驚きの感情の方が先にこみあげてきたのだろう。
俺も同じ感情を抱いていた。
スイが男をフォローするかのように苦笑いを浮かべる。
「数十キロ離れた場所とはいえサラマンダーが現れたから街の人たちは不安なんだよ。私が失敗続きだから、さ……」
「にしたって──!」
「アイネ、怒っていたらきりがなくなる。本当に気にしないで」
アイネの言葉を遮ってスイが馬達に進行の合図を送る。
スイの真面目な声のトーンにアイネもひかざるを得なかったのだろう。
不満そうにそっぽをむくものの、それ以上言葉を続けることはしなかった。
トワがそんなアイネをフォローするように彼女に話しかける。
「……ふーん、なんか変な街だねぇ」
「そっすね、しょっぱなから最悪の気分っす……」
下唇を軽くかみながら半目であさっての方向を見つめるアイネ。
自分のことではないにせよ、慕っている先輩があのような態度をされたのだ。
その気持ちも分からなくはない。スイもその気持ちをくんで、じっと黙っている。
──なんか気まずいなぁ……