57話 ベタベタ
トーラから北へ、ファルルドの森に繋がる道。
この道を通るのは約一週間ぶりになる。俺がスイと一緒に馬車に乗ってここに来たのとは逆方向に進んでいるが、割とその風景は記憶に残っていた。
進行方向の遥か彼方には黒く塗りつぶされた巨大な壁が目に入る。
もはや最近はすっかり見慣れてしまい、特に意識することがなくなった封魔の極大結界。
しかし俺はそれに視線を固定する。というか、固定せざるをえなかった。
「おっ、ウチあそこで初めて魔物と戦ったんすよー。七年ぐらい前のことっすけど。確か相手はスティールキャットで~、深追いしたら増援が来て父ちゃんにめっちゃしかられちゃってー」
俺の横でアイネがペラペラと喋り続ける。
すごく楽しそうに話す姿は非常に愛らしい。
「おー。なるほど」
しかし俺が出せるのは機械的な相槌だけだった。
別にアイネの話しが面白くないとか、興味が無いとかそういう理由ではない。
くっついているのだ。異常な程に、俺の右側に、アイネが。
「あ、あー、そろそろファルルドの森っすけど大丈夫っすか? またムカデに襲われるかも?」
俺の腕を抱きしめながら右肩に頭を預け、俺を見上げてくる。
実際にそう言っているわけではないのだがごろごろ、と猫が甘えるような声がきこえてくるような気がした。
──しかし、ムカデか。それは本当に嫌だな
「うぐっ、ムカデはあまりみたくないなぁ……」
「あははっ、じゃあ……ウ、ウチが新入りさんのこと守ってあげるっす、よ?」
ニヤニヤと笑いながら右手の人差し指で俺の額をぐりぐりと押してくる。
アイネの顔は少し赤くなっていた。
僅かにうわずった声と頬にたれる汗、さらには少し指が震えているところから察するにアイネも照れているようにみえる。
どうも少し無理して俺にスキンシップを図っているらしい。
しかし別に俺も嫌だという訳でもないし、アイネも同じ気持ちだろうからやめろとも言いにくい。
「た、頼もしいな。ありがとう」
「うっす、おまかせっす!」
アイネは右手で敬礼をしニカッと歯を見せる。
猫耳の、十四歳の、美少女が、あからさまに好意を見せてくる。
なんという夢のようなシチュエーションだろうか。事案発生レベルである。
それでも俺の顔は全くゆるむことがなかった。
「……あの」
その原因が俺の左にあった。
そこには青い髪を風になびかせながら凛と背筋をのばし、こちらを見ているスイがいる。
スイはアイネに比べれば少し大人びているがやや童顔だ。アイネと同い年と言われても、まぁ納得できるレベルである。
だが……威圧感というか、覇気を出すという点においては熟練の老戦士に負けていないのではないだろうか。
俺と勝負をした時の程ではなかったがこのオーラを纏ったスイは一つ二つ、年齢があがってみえる。
いつもとは異なり鎧を着てない分いくらか緩和されてはいるが、俺を縮みあがらせるには十分だった。
「お? どしたんすか?」
他方、そんなスイを前にしてもアイネはにこにこと笑っていた。
「あのさアイネ、私のこと見えてる?」
「当たり前じゃないっすか」
淡々とした声色でといかけるスイに呆れたように半笑い返すアイネ。
笑顔が少しわざとらしい。
「そうだよね。貴方も見えますよね。私が。私、ここにいますよね?」
「えぇ……」
とりあえず頷いておく。
「……分かりますね?」
スイは真顔で、じっと俺のことを見つめてくる。もう一度、俺は頷く。
よく公共の場で人目を気にせずいちゃついているバカップルがいるが、それに向けられるような視線をスイは向けてきている。
バカップルの場合、その視線に気づかず相手といちゃいちゃしているだけ幸せなのだろうが……
俺の場合は周りを気にしない程にそれをやることができていない。そもそも気持ちを伝えられたとはいえ付き合っているわけではないのだ。
スイから見れば、というかトーラギルドの人たちからすればそう見えるのかもしれないが。
──いや、でも、あそこまでやられて付き合ってないっていうのも、どうなんだ?
そもそも、アイネは俺にどうしてほしいのだろう。全く要領がつかめない。
「べっつにいいじゃないっすか。少なくともここら辺でウチが足手まといになることはないっすよ?」
アイネが不満げに口をはさむ。
「そうじゃなくてっ! なんっでそんなにベッタベタベッタベタしてるの!」
「ほえ?」
即座に反論するスイ。対してアイネは煽るように首を傾けた。
確信犯と呼ばれるやつだろう。ニヤニヤしているのが隠しきれていない。
「い、いやー、なんか一回くっついたら逆にしっくりしちゃって? だんだん恥ずかしさとかなくなってきた、かも……?」
そう言いながら俺の腕を抱きしめる力を強くする。
……少し震えていた。言葉とは裏腹に、やはり若干照れが残っているらしい。
アイネの柔らかな体の感触に右腕が包まれる。
「アイネがじゃなくて、私が恥ずかしいんだよっ!」
「えー、でも新入りさんは別に嫌がってないっすよ?」
「……そうなんですか?」
ジト目になりながら俺のことを睨んでくるスイ。
言葉に詰まった。嫌じゃないのは確かだ。とはいえスイの前でおおっぴらにアイネとくっついて恥ずかしくないわけがない。
「……ほんと、いつの間にそんなに仲良くなったんですか?」
「えっ、それは……」
再び言葉に詰まる。仲良くなった、というかアイネのアプローチが激しくなったというのが正確なのだが……
とはいえ昨日の夜にアイネに告白されて抱き着かれて色々あったとか答えるわけにも──
「昨日の夜に新入りさんの部屋に行った時からっす」
──何言ってるんですかキミぃ!?
「よ、よよよ……よ!? よるっ!? え、な、何したの!? ちょっとっ!」
案の定、スイが激しく動揺した表情を見せてきた。
俺も同じような顔をしていたと思う。
「んもー、先輩もそんなに気になるならウチみたいにすればいいじゃないっすか」
俺の二の腕に頬をすりつけながらそう答えるアイネ。
スイが声を甲高くしながら言い返してきた。
「そんなのまだ早いでしょっ! 普通もうちょっと一緒にいてから、こういうことしないっ!?」
「へへー、それで先輩に出遅れるわけにはいかないんで。先手必勝っす」
親指をたてて手を前にだし勝ち誇った顔をするアイネ。
スイの顔がどんどん赤くなっていく。どこか突っ込みの方向がずれている気がした。
「な、なー!? 私は別にそういう目で彼を見てませんけど?」
「ふーん。でも三人でいる時、先輩ってウチよりも新入りさんの方見てるじゃないっすか」
「なっ……」
スイが言葉を詰まらせる。
──いや、まて、なんだそれ?
「オムライス食べてくれた日からだったかなぁ? チラチラ視線移してるのがだんだん多くなってきてるの、ウチ、気づいてるんで」
「ちょっ、出鱈目いわないで! 別に見てないっ! そんなことしてないっ! してないですからっ、ほんとだよっ!? 私、貴方に興味ないからっ!」
俺の肩をつかみながら必死にスイが訴えてくる。
なんかすごく傷つくような言い方だったが……
まぁ、とらえかたの問題だろうと自分を納得させる。
「だーいじょうぶっす。先輩ならウチも一緒で全然オッケーなんで。いつでも」
「ちがっ、ちがうのっ! ちょっと、アイネッ!」
俺の左側からスイが身を乗り出してくる。
──あ、やば、いつものパターンだこれ。
スイがアイネの肩をつかみ俺を挟んで格闘をしはじめる。
そんな時だった。
「アッハハハ、今日も楽しそうにやってるねー」