54話 恩返し
「あ、あぁ~……」
その言葉で察したらしく少々気まずそうにアイネが言葉を詰まらせた。
──まぁ、英雄色を好むというしなぁ。
実際にそのライルという人物を見たわけではないがスイの曇り切った表情を見るに、どうも面倒くさそう人物だとうかがえる。
「同じ時期ぐらいに、私はキマイラを討伐することに成功したのですが……そのあたりからライルさんからアプローチが来るようになりまして」
「そうそうっ、キマイラを一人で倒したってトーラにまで話しが伝わってたっすよ。新しい大陸の英雄が誕生したって盛り上がったんすから」
ギルドに来たときに同じような話しをきいた記憶がある。
そういえばスイは大陸の英雄は七人だと言っていた。
スイが英雄扱いされるようになったのは最近のことらしい。
「で、でも……犯罪者の娘とバレたら、まぐれだとか、誰かに助けてもらってズルして名誉と報酬を独り占めにしたとか言い掛かりをつけられたり、陰口叩かれたりして……まいってしまって……」
スイの声が震えはじめた。聞いていてかなり痛々しい。
俯きながら話すスイの姿は、失礼かもしれないが英雄なんて表現は全く似合わなかった。
……どうも相当に悩んでいたらしい。
酔いつぶれたときのスイの言動の意味も理解できる。
そんなスイの様子を見てアイネの怒りのボルテージがあがったらしい。
「そんなのっ、ひどいっす! ウチがぶっとばしてやるっす!」
「アイネ、少し落ち着け。スイの話しを中断するな」
「う、うぅ……」
アインベルから軽く拳骨を貰うアイネ。
耳をぺたりと垂れさせながら不服そうにアインベルを見つめる。
それを見てスイが力なく、はははと笑った。
「そこで三週間ぐらい前に、ライルさんからサラマンダー討伐の依頼を紹介されたんです。二度、結果を見せればさすがに周りも信用してくれるだろうって……でも、それで失敗して……余計に……」
スイは何度目か分からないため息をつく。
「……一回目はライルさんの紹介でパーティを組んだのですが全然足並みがそろわなくて負けました。その時、他のメンバーがいなければ勝てると思ってしまったんです。それでもう一度挑んだら歯が立たず……恥ずかしい限りです……」
スイはそこで言葉を切り苦虫をかみつぶしたかのような顔をする。
本当に恥だと思っているのだろう。その手が小刻みに震えていた。
その姿に胸が痛むのを感じる。
……スイはこんな姿を俺やアイネに見られたくなかったのではないだろうか。
──理由なんて本当にどうでもよかったな。
俺はひどく後悔した。
スイだってそうしてくれたのに……さっきそう思ったばかりではないかと。
「それでその……私がサラマンダーの討伐依頼をキャンセルすると、ライルさんに依頼がまわるようになっているのですが……これを機に交際しようと、その申込みがかなりしつこくなってきまして……」
続けられたスイの言葉で我に返る。
その声は少し涙声になっていた。スイの目もうっすらとにじんでいる。
二重の意味で驚愕した。交際を申し込んだだけでここまで嫌悪感を示されるライルとはいったいどんな人物なのだろうか。
「要するに依頼を達成できずに周りに迷惑をかけたっていうスイちゃんの罪悪感につけこもうとしているのよ。全く嫌な男ね。お仕置きしてあげたいわ」
アーロンがそう言いながら拳を力強く握りしめる。
腕の筋肉が膨張し、ぶちぶちと妙な音がなっている。
――貴方が助っ人に行った方が良いのでは……?
「付き合ってくれれば自分が私の汚名を晴らしてやると……まぁ、ライルさんは英雄として有名ですから、その交際相手となれば私を悪く言う人はいなくなるのかもしれませんけど……交際ってのはやっぱり嫌で……でも、すごくしつこいし……うぅ……」
机にひじをつき、がくりと頭を下げるスイ。
もはやこちらを見ようとすらしてくれない。
「う、うー、そんな交換条件を持ち出してくるなんて、なんか感じ悪いっすね……た、大変だったっすね……」
そのあまりにも痛々しく、弱々しいスイの姿にアイネもどうしていいか分からないらしい。
目を泳がせながら必死に言葉を選んでいる。
「……あんま人の悪口を言うのもどうかと思いますけど、あの人って自分が気に入らない人にはすごく横柄な態度を見せるから……私、あんまり好きじゃないんですよ……ただでさえ周りの事も色々あるのに……なんか、もう、嫌…………」
額に手をつけて大きなため息をつく。
その声が異様に震え、ところどころに嗚咽に近い呼吸音が混じった。
──なんかもう、ライルって人がストーカーにしか思えないなぁ……
先入観はよくないとは頭では分かっているがスイの普通ではない態度を見るとそんな理屈が頭から消えていく。
「そ、それで……私の個人的な事情で、た、大変恐縮なのですが……どうしても私が依頼を達成したって形にしてほしくて……そうすればライルさんのことはうまく断れそうだし……その、噂通りズルすることになりますけど…………」
「ズルって、そんな……依頼を達成するのに一人で戦わなきゃいけない理由なんてないじゃないっすか……」
そういう問題ではないことはアイネも理解しているのか、彼女の声はか細いものだった。
他方、スイはちらちらと俺の目を見ようと顔をあげてきている。
辛いなら顔を下げたままでも俺は全然気にしないのだが。
こんなところでもスイは律儀だった。
──それにしても、ズル、か……
その言葉が俺の胸の中でひっかかる。
だが──
「それで俺の力を試していたのか。まぁ、理由は分かったよ」
「はい、す、すいません……」
どうもスイが俺におびえているようにも見える。
それがどこか寂しくて、そんなひっかかりなんて気にする余裕が無かった。
「でも、それならなんで先に言ってくれなかったんだ? あの竹刀だって、魔法の威力は軽減できるものじゃないんだろう? 下手すりゃ死ぬようなことを、なんで……」
俺の問いかけに、スイはぎゅっと唇を結ぶ。
その後、ものすごく言いにくそうにゆっくりと言葉を発していった。
「……それはその、魔物の討伐依頼に協力していただくということは貴方に命を懸けてもらうということです。そんなことを依頼するなら最初に私が命を懸けるのが、せめてもの礼儀かと思いまして……」
──こりゃもう、律儀というレベルじゃねえな。
内心で少し呆れてしまった。
命を懸けるのが礼儀なはずがないだろうと言い返したくなる。
しかしスイを責める気にはならなかった。
スイはただ、人に頼るのが下手なだけなのだろうと容易に察することができたからだ。
──まだ十六歳だというのに立派な志じゃないか。
少なくとも人に寄生する言い訳を常に考えていた誰かよりは数倍マシな人間だろう。
そう思って、俺はスイに声をかける。
「そんなことしなくても、命ならもう懸けてもらったじゃないか」
「えっ……」
俺の言葉にスイはきょとんとしながら顔をあげた。
やはり少し泣いていたらしい。目元に涙の跡がほんのわずかに見える。
だがそこに触れるのはあまりにも野暮なので俺はその点には触れずに言葉を続けた。
「出会ったときに俺を魔物から助けてくれたじゃないか。あれだって命がけだ」
「えっ、いや……あれは別に命をかけてなんか……だって相手は……」
「だいたい、そんな礼儀とか尽くす仲が嫌だから言葉を崩せって言ってきたのはそっちだろ。水臭いぞ」
スイが何か言いたげにするが無視して言葉を遮る。
本当に水臭いと思った。この期に及んで礼儀だとかなんだとか、そんなことを気にされるなんて。
そうでなくてもスイは恩人な訳で、そんなにヘコヘコされるのは俺も辛い。
──まぁ、ムカデ相手に悲鳴をあげてる情けない男が相手じゃあ、仕方ないかもしれないが……
それでも、だ。なんか自分でもよくわからないが俺にスイを助けることができる力があるのなら、それを振うことに異論があるはずがない。
「え、じゃあ……」
少し目を見開いてこちらを見つめてくるスイ。
「やっとスイへの恩返しの機会を得たんだ。是非、協力したい」
そう言いながら手を差しだした。
スイがその手をじっと見つめてくる。
「あ、う……」
震えた手で、握り返してくるスイ。
もう片方の手を口元に当て目元を潤ませる。
それでも、スイはなんとか笑顔を作り、今度は俺の顔をしっかりと見てきてくれた。
「あ、ありがとうっ……」
ぎゅっと力が込められたスイの手の感触に引き起こされるように。
俺はどこか、自分の胸が高ぶっていくのを感じた。