49話 スイの挑戦
翌日の朝も非常に良い目覚めだった。
昨日は魔物に襲われ、自分のレベルが判明し、夜はアイネに色々とされてしまう衝撃的な一日だったが、やはりこの体は健康だった。
いつもの通り魔術師のコートを羽織り、手袋をつけて部屋を出る。
──今日は何をするんだろ。普通に仕事をするのかな。
怪我人については俺が回復したから大丈夫だとは思っている。
魔物に襲われたことで荒らされた場所があるならばそれの修復とかに駆り出されるかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は受付に続く扉を開く。
と、その瞬間に俺は息をのんだ。
「おはよう。よく眠れたか」
アインベルが挨拶をしてくる。それはいい。普通のことだ。
「……え?」
問題は受付広間の雰囲気である。
先ず、営業時間前とはいえ普段であればギルドの職員たちがクエストを掲示板に張り出していたりしているのだが、その様子が全くない。
その場に居るのは俺を含めてアインベル、アーロン、スイ、アイネの五人のみ。アーロンをこの場所で見かけるのは珍しい気がするが……
ともかく、その場にいる誰もが俺のことをじっと見つめているのだ。
「え、なに……?」
扉を出ていたら囲まれていたというわけではない。各々が普通にテーブルに座っていたり受付近くにいたり、こちらからは距離がある。
しかし、その視線から放たれるプレッシャーは、その場にいる全員に至近距離で見つめられているかのような錯覚を俺に感じさせていた。
「お、おはよーっす……」
と、気まずそうにアイネが俺に話しかけてくる。
「うん……」
昨日の事を思い出している……という訳でもなさそうだった。
こんなシンとした空気の中では当然というべきか。俺もアイネの顔を見て恥ずかしくなったりすることはなかった。
──まさかアイネと夜に一緒にいたことがばれて、それで責められているなんて訳じゃないよな?
俺は内心でそう思い、ごくりと喉をならす。
そうでなくても、この空気の中で一番強いプレッシャーを送っている人が、俺とアイネにとってこの中で一番親しい人なのだから。
「えと……どうしました……?」
俺はその視線の主に声をかける。受付のカウンター付近にいるスイに。
鞘に納めた剣を前に立て仁王立ちで俺の事を見つめているスイ。
普段からは考えられない程の覇気を纏い、凛と背筋を正したその姿はまるで宿敵との戦いを待つ戦士のようにみえた。
そんなスイのオーラのせいで誰も口を開こうとしない。
と、そんな空気を察してか否か、スイが体を微動もさせず、その体勢のままで俺に話しかけてくる。
「……貴方のレベルの事を知っているのは私達だけですので。回復魔法を使って回った人達も貴方がレベル2400とまでは思わないでしょう」
「え? 何を……」
「貴方のレベルのことはトーラギルドの機密情報ということになりました。変に情報が流れることにより貴方の生活が乱されないように考慮してのことです。それと、ギルドカードの発行はできないようです。虚偽のレベルを記載するとギルドカード発行担当者のアーロンさんは罪に問われ、かといって真実のレベルを記載したら絶対に偽造を疑われます。面倒事を引き起こすことにしかならない、という判断のようです」
ギルドカードってなんだろうと思ったが、なんとなく予想はつくし聞き返せる空気でもないので黙っていた。
淡々と事務的に、やや早口で話すスイの声が別人のように冷たく、低い。
その威圧感にどことなく恐怖すら感じてくる。
「えと、それは分かりましたけど……みなさんどうしたんですか、そんな顔して……」
この場には俺以外にアインベル、スイ、アイネ、そしてアーロンがいる。
その全員が深刻な顔をして俺を見ているのだ。
「んむ、今日はな……」
「今日は私の頼みを受けていただきたいのです」
「えっ……」
と、アインベルの言葉を遮りスイが一歩前に出る。
「私と戦ってください」
──は?
意味が分からず俺はその場で唖然とした。
「……え? なんで?」
とりあえず出せた声は随分と間の抜けた声だった。
しかしスイの表情は依然、鋭さを衰えさせない。
「貴方のレベルは2400でしたよね?」
それを確認できるのはこの場ではアーロンしかいないわけで。
スイは俺に問いかけているようだったが答えようがなく、俺はアーロンに視線をうつす。
それに対しアーロンはこくりと頷いてきた。間違いないと、無言で念をおしている。
「それが本当なら、私など造作もなく倒せるはず。それを確認したいのです。ただ、騒ぎになったりすると面倒なので今日は師匠が午前中の間だけ人払いをしてくれました」
このタイミングで少しスイの表情がくぐもった。
アインベルに対して恐縮しているのだろうか。
しかしすぐに表情に鋭さを取り戻す。
「……あの、なんでそんな?」
スイの言葉から、なぜ自分がスイと戦わなければならないのかまるで理解できない。
恐ろしいほどにスイが真剣だということは、はっきりと分かるだけに少し申し訳なくなってしまった。
と、アーロンがそんな俺に声をかけてくる。
「数字だけ聞かされて、なるほどって実感できるレベルじゃないでしょう? 彼女は、自分の目で確かめたいのよ」
──まぁ2400なんて俺も実感できないしな。
ゲームのカンストレベルの12倍のレベルがどれぐらいの強さなのか。
計算機でステータスやダメージをはかったことはあるが、どのような計算式でそれが行われているのかなんて分からない。
俺はただのプレイヤーなのだから。
それに、回復魔法はともかく俺が敵を攻撃したのはたった一回のアクアボルトだけ。
それを見たのも満身創痍のアイネだからまともに俺が戦う姿を見た者は誰もいない。俺を含めてだ。
しかし──
「いや、そうじゃなくて。なんでそんなことまでして俺のレベルを確認しなきゃならないんですか?」
先ほどから俺の疑問は、はぐらかされている気がする。それでも改めてそう問いかけてみた。
……正直、嫌な予感がしていた。俺の強さを確認しておきたいという言葉から、俺を戦力として扱いたいのではないか、と察することができる。
まさか昨日のように魔物がトーラを襲ってくるみたいな情報が入ってきたのだろうか。
そう思ってスイの方に視線を投げかけるが──
「……貴方が私に勝ったらお話ししたいと思います」
取りつく島もない。スイは全く表情を変えないままそう答える。
と、思っていたらスイは剣を腰に納め俺の方に歩いてくる。
「お願いします。勝負を受けてください」
俺の近くまで歩いてくるとスイはそのまま頭を下げた。最敬礼と言える程の角度で。
ここまで完璧なお辞儀をされたら断れる空気ではない。
あるいは、スイはそれを計算してやっているのかもしれないが──
「あの、ウチからもお願いするっす。受けてあげてほしいっす……ウチは良くわからないけど……先輩、本気だと思うから……」
と、アイネが横から声をかけてきた。
アーロンもそれに続く。
「私からもお願いするわ。彼女にとって深刻な問題なの」
──彼女にとって?
スイ個人の問題だということだろうか。余計に予想ができなくなった。
俺は改めてスイに視線を移す。
頭を下げたままぴくりとも動かずじっと俺の返事を待っている。
──いや、野暮だったな。
それを見て俺は少し自己嫌悪した。何をスイの腹を探るようなことをしているのか。
スイは得体のしれない俺に詮索しないで居場所を与えてくれた。俺だけがいちいち詮索するのはフェアじゃない。少なくとも今きくことではない。
たとえ計算でやっていたとしても、その真剣さは確かなはずだ。
「分かりました。勝負を受けます」
俺がそう言うとスイは頭を上げた。
少しだけ緊張が解けたのか顔がゆるんでいるようにも見える。
「ありがとうございます。では、師匠……」
「うむ、これを使え」
と、スイがアインベルの方をみると彼は手に持ったものを俺とスイに渡してきた。
──竹刀?
日本で馴染みのある武器だがなぜこんなものを渡してきたのか。
その疑問にはすぐにアインベルが答えてくれた。
「念のため、お互いに訓練用の武器を使ってもらう。相手の生命を奪うような攻撃がされた場合、その威力を断絶させる魔法がかけられている。スイは剣を使ったスキルしか使えない。少なくともお前が死ぬことは絶対にない」
「いや、いやいや……」
アインベルの声は力強く、俺を安心させるようにぐっと拳をにぎるポーズを見せてきた。
しかし、戦いとはいえスイが相手なのだからそもそも死ぬかもしれないなんていう心配はしていない。
見当違いのエールを送ってくるアインベルに対して俺は苦笑いを返すことしかできなかった。
と、スイが俺にすれ違うような形でギルドの扉に手をかける。
「移動しましょう。思いっきり戦える場所へ」
そう言いながらスイは振り返ることなく外へと歩き出した。