477話 夢うつつ
「……えへ」
俺のことを抱きしめたまま、スイが甘えた声を出す。
あれからスイは、まるで幼児化したかのように、俺の膝に座り込んだまま動かない。
「えへ、へへ……へへへ……」
「スイ……?」
だらしなく緩んだ顔を見て、思わず苦笑する。
だが、スイはそんな俺の様子に気づくこともなく俺の胸に頬をすりつけてきた。
「へへへ……ん……んぅーっ」
「お、おーい……」
「リーダー……んー……」
――ダメだ。びくともしない。
肩を揺さぶっても、スイの呆けた表情は変わらない。
酔っぱらっているのではないかと心配になるほどだ。。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかないだろう。少しお腹もすいたし。
とりあえず、スイの耳元に顔を寄せ、声を少し大きくして呼びかける。
「おーい、スイ―?」
「……はっ! あ、あれっ。呼んだっ!?」
すると、スイがびくりと体を震わせながら背筋を伸ばした。
ぱちぱちと何度も瞬きをしながら俺を見詰めてくる。
「いや……呼んだというか……なんというか……」
「そ、そうですか……すいません……なんか、ちょっと意識が朦朧としてて……」
「そうか……」
そんなこと、きかなくたって分かる。
今だってそうだ。
だんだんとスイの目が虚ろになってきて――
「……えと、もうちょっとだけ、こうする?」
気づけば、俺はそんなことを口走っていた。
「……うん。リーダーのこと、独り占めにできるなんて……そんなにないもん。特にこれからは……ね?」
どこか含みをもたせた言い方で上目遣いをしてくるスイ。
だが、特に何か返答を求めるわけでもなく、スイは、改めて俺に体を密着させてくるだけだ。
「……うぅー……リーダーの体……ゆりかごみたい……」
「はは、何言ってるんだよ……」
「本当だもん。きもちぃー……あぅー……んー……」
……スイのこんなに甘えた声はきいたことがない。
これが彼女の素なのだろうか。――まぁ、これはこれで可愛いんだけども。
「おいおい……くすぐったいって……」
「ごめんね……でも、いい匂い……すぅー……」
と、スイが首元に顔を近づけてきた。
そのまま鼻をすんすんと鳴らして、小さな息をぶつけてくる。
「ちょっ、嗅ぐなって! シャワー浴びてないし……!」
「いいのー……この匂い好きだし……んはぁー……アイネが言ってたの、こういうことだったのかー……すぅーっ……んぅーっ!」
デザートをほおばる少女を連想させるような甲高い声。
力いっぱい俺のことを抱きしめてくるスイ。
自然に俺の手に絡まってきた髪の毛をなでながら、彼女の抱擁に応えると、今度は嬉しそうに目を細めてくる。
――なにこの可愛い子。
それにしても、別人のように甘えてくるスイを見ていると、なんだか俺も現実感がなくなってくる。
「な、なんか……いつもと口調、違うな……」
「え……?」
そんなことを思って、なんとなく口走ったのだが。
スイは、一気に顔を青ざめさせて俺からよそよそしく離れていく。
「……はっ! ご、ごめんなさいっ! 馴れ馴れしかったです……か?」
――何をいまさら、と内心で少し呆れる。
さっきまで唇を交わしていたのに、馴れ馴れしいなんて思うはずがない。
「いや、いいんだ。嬉しいよ。スイとの距離が縮まった感じがする」
「で、でも……えと……」
ごにょごにょと口ごもり、目を泳がせるスイ。
だが、これは良い機会なのではないだろうか。
「スイさえよければ、これからはそうやって話してくれないかな。スイを近くに感じたいからさ」
「う、あぅ……な、なんですかそれ……リーダー、時々物凄くキザになるのがずるいです」
「そ、そうか……? 悪い……」
むーっと唇を尖らせるスイ。
なんともあざとい仕草だが――今のスイのことだ。素でやっていてもおかしくはない。
たしかにスイの言う通り、今のは気障すぎたかもしれない。
「で、でも……あの、リーダーがそう言うなら……今度からは、私も……えっと、その、くだけた感じで……いきたいなって……私も、リーダーを近くに感じたいから……」
そう言いながら、ちらちらと俺のことを見てくるスイ。
――多分、素でやっているんだろうが、このあざとい可愛らしさは反則だろう。
気づけば、俺は無意識に首を縦に振っていた。
わずかな沈黙の後、顔を赤らめてはにかむスイ。
「あの……だから、えーっと……こ、これからもよろしくおねが……じゃなくてっ、よろしくね……リーダー……?」
「ははっ、そんなに照れることじゃないだろ。さっきまで俺達、キスしてたんだぞ?」
「んぐっ――! ちょっ、ちょっと! デリカシーがなさすぎじゃないですかっ!?」
「あははっ、ごめんごめん」
「んぅー……まぁ、別に気にしないですけどー? ……ん? しない、けどー……で、あってます? あれ……?」
眉を八の字に曲げながらぶつぶつ呟き始めるスイ。
照れのせいで自然に言葉をくだくことができていないようだ。
そんな初々しい様子のスイを見続けるのもくすぐったいので、そろそろ話題を変えてみるか。
「とりあえず休む準備とか、しない? ほら、食事もまだだし……」
「そう、ですね。あー、じゃなくて、そうだね……コホンッ。でも、その前に試したいこともあるんだけど……」
ふと、スイの表情が鋭くなる。
それは、まるで戦闘に向かう時のような――
「……スイ?」
さっきまでの空気が一変、やや緊張感に満ちたものに変化する。
俺の声かけに対し、一つ深呼吸をしてスイが答えてくる。
「ちょっとだけ、運動してきてもいい? リーダー」
「――いいけど」
「ありがとう。それとお願いなんだけど……」
――あぁ、そうか。
スイはまだ、乗り越えられていなんだ。
今まで強敵と戦い、何度も負け続け……
強くなりたいと願って、練習してきたあのスキル――それを習得しない限り、スイの中で決着がつくことはありえない。
「一緒に、ついてきてくれない……?」
どこか悲壮感すら感じるような表情を浮かべるスイ。
気持ちは分かる。
けれど――大丈夫だ。今のスイなら大丈夫。
「当たり前だろ。いちいち聞くのは野暮だよ」
そうやって笑い返すと、スイはほんの少し、安心したように微笑んでくれた。