475話 全部の気持ち
どのぐらいの時間が経っただろうか。
スイが泣き続けていた時間は、気が遠くなるぐらい長かったようにも感じるし――あっという間のようにも感じる。
ともかく、気が付いた時には、スイが涙でぐちゃぐちゃになった俺の服を申し訳なさそうに見つめていた。
「……ごめんらざび……ぐすっ……」
そんな俺の視線に気づいたせいだろうか。
スイは、手で顔を拭きながら恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「ん。大丈夫か?」
「…………」
無言のまま頷くスイ。
少しは落ち着いたということだろう。
いったんスイから離れ、近くにあったティッシュを手に取る。
「……鼻かみな。ほら、このまま」
「んむっ……それぐらい自分できますって……」
「いいから。はい、ちーん」
「も、もうっ! しないですっ! うぅ……いいから、座っててください……」
苦笑いを浮かべながら俺からティッシュを奪うスイ。
視線をそらすように鼻をかみながらベッドから立ち上がり、ごみ箱の方に歩きだす。
「……あぅ。恥ずかしい……最悪です……私、ほんとに情けない……」
「そんなことない。それだけは否定するよ。それより、体は大丈夫か?」
「リーダーのヒールを受けたんです。もう全然。なんともないです……」
泣きすぎたせいか、スイの声は若干鼻声になっている。
泣きはらした目をこすりながら、少しだるそうにベッドに腰かけるスイ。
「私にも……よくわからないんです」
そう言いながら、スイは、ゆっくりと俺に体を預けてきた。
……いや、預けてきたというか、倒れてきたという方が正確か。
どこか呆然とした表情のまま、スイが呟く。
「分からないけど……でも、なんかすごく焦りがあって……これ以上、強くなれないんじゃないかって怖くなって……」
「…………」
そんなことはない――と断言したかった。否定したかった。
でも、実際にスイはソードイグニッションの習得に手間取り、伸び悩んでいる。
無責任に、根拠なくそう断言することはできなかった。
そんなことをしても、問題の先延ばしにすぎない。
向き合うと決めた以上、俺はスイの言葉を全て受け止めなくてはならない。俺がそうしたいという感情なんて、後回しだ。
「貴方の周りには……自然と人が集まってきますよね……」
「……そう思うか?」
「あはは……ユミフィも、セナも……リステルも。貴方のことを信頼して、慕っているじゃないですか……これ、凄いことですよ……」
「……そうだな」
スイの言葉を自分で肯定するのは少し恥ずかしい。
だからといって謙遜するような場面ではないだろう。
スイは本気でそう感じ、本音を伝えようと懸命に話してくれているのだ。
その言葉を自分の照れくささというか、心地の悪さだけで否定するなんてできるはずがない。
「私が旅をしたときは一人でした。男の人には変な目で見られることもあって、女の人には陰口叩かれて……出会った人は利己的な人も多くて……それが『大人』になるってことなんだと思いました……でも、私は……割り切れなくて……最後はシュルージュでライルさんと喧嘩して……」
「でもスイ、それは――」
「私のせいじゃない……ですか? あはは……」
力なく笑いながら俺のことを見上げてくるスイ。
――近い。いつの間にか、スイは俺の肩に頭をのせていた。
でも……甘い空気なんて微塵も感じさせない。
この疲れ切ったスイの表情を見ていると、照れるような感情は湧いてこない。
「ライルさんのせいもあったと思います。でも、私はリーダーにみたいに、人を惹きつけるものがなかった……それがシュルージュの結果なんです。私は……大陸の英雄の中で『最弱』……そう揶揄される理由も、自分で分かります……」
否定したくなる言葉をぐっと飲みこむ。
ここでスイの言葉を遮ることは悪手だ。まずは全て吐き出させないと。
「私、貴方と旅に出れて……本当に嬉しかったです。トーラを出て、ずっと一人だったのに……そこから逃げた私のことも尊重してくれて……その後も、ずっと私と一緒にいてくれて……」
すがるように俺の腕を抱きしめてくるスイ。
少しずつその声が震えてくる。
「でも……でも! 貴方との旅で出会った敵――レシル達に、私が勝てるイメージがわかないんですっ! せっかく貴方が教えてくれたスキルも使えなくてっ……全然、強くなれるイメージができないんですっ……! 現に、今日も私はただの足手まといだったっ――!!」
「スイ……」
「私……私! 自分で分かっていたのに――! 自分がそんな器じゃないって分かっていたのに! 求めてしまったんです――自分の居場所を……! こ、これって……こんなことして……良かったんでしょうか? リーダーは私なんていなくても……だけどっ!!」
――違う。
足手まといなんかじゃない。
スイのやっていることは、何もおかしくない。
何が悪いっていうんだ。
自分の居場所を求めることが。
当たり前のことじゃないか。
当然のことじゃないか。
重ねる必要なんていない。
ライルのように――相手の気持ちを尊重することを全くしなかったヤツとスイは全然違うんだから。
「聞くよ。スイ……続けて」
でも、それを俺が叫んだところでスイは救われるのだろうか。
スイは、俺に否定してほしくてこの言葉を言ったわけじゃないだろう。
仮に俺がスイの言葉を否定したとしても、スイは自分への評価を変えられないだろう。
――なら、俺がすべきことは、聞くことだ。
スイの気持ちを。全て。漏らすことなく、全て。
「私はっ……私は、貴方と一緒にいたいですっ……! 例えどんなに、貴方の周りに魅力的な人が増えてもっ……私は、ずっと貴方の傍にいたいっ――こんな気持ち、感じたことなくてっ……怖いんですっ……!! でも……こんなんじゃ私……私っ……!」
そこまで言うと、スイは、はっと目を見開いて俺から体を離した。
「……ご、ごめんなさい。なんか一方的に……あはは……ほんと……かっこ悪い……」
顔を赤くしながら弱々しい声を出すスイ。
「わ、私……何が……何が違うんだろう……? 何やってるんだろ……? 一方的に、相手を求めて……あはは……あはははは……これじゃ、ライルさんとやってること――!」
「違うよスイ。それは絶対に違う」
「えっ――」
そんな彼女を見て、俺は――
「っ――!? リーダーッ!?」
半ば反射的に、スイのことを抱きよせていた。
驚いたスイが、びくりと体を震わせたのが伝わってくる。
「ぅぁ……リー……あ、ぅ……?」
何度も瞬きをしながら口をぱくぱくと動かすスイ。
「俺はスイが大切な人だって思ってる。それは信じてくれ」
「ぅ……あ……」
真っ赤になりながら俺の胸に手を当ててくるスイ。
「それは分かってます……リーダーが仲間を大事にしてることぐらい……」
「分かってないよ。スイは。全然分かってない」
「え……」
強めにスイの言葉を遮ったからだろうか。
スイは、少しだけ気圧されたように小さな声を漏らす。
「今回のことだって、後ろ向きにとらえることじゃない。今日、スイが見てきたこと……ちゃんと整理して、今後、俺達がどうすべきか決めることになる。敵の手がかりをつかんだんだ……お手柄だよ。スイ」
「そんな……そんなこと……ぅ……」
「俺は本当にスイを尊敬しているんだ。思い詰めるなとはいわない。でも……俺は傍にいる。難しいかもしれないけど……まずは、そこから信じてくれ」
「リーダー……」
「自信を持て。スイ――大丈夫だよ。俺はスイを尊敬している。スイが自分の気持ちをどう言葉にしたとしても――それは揺るがない。絶対にな」
じっとスイが俺のことを見つめてくる。
少し虚ろなスイの目に、段々と凛とした色が戻りはじめたように感じるのは気のせいだろうか。
だが――
「あははは……」
不意に、スイが脱力したように笑いはじめる。
「貴方の言葉をきくだけで……それだけで……たったそれだけで、こんなに穏やかな気持ちになるなんて……!」
ぎゅっとすがるように俺を抱きしめてくるスイ。
声を震わせながら俺に体を預けてくる。
「こんなに優しくて……温かくなるなんて……あはは……はは……やっぱ、もう……そうなんだ……私……」
「ん?」
「あははは……はは……ばか……私、ばかだよ……ほんっとうに――『半端者』。あはははは……」
そうやって自嘲するスイの目の向きは俺に向いている。
しかし、スイは俺を『見ていない』。
十秒ほど、その状態を続けた後、スイは大きくため息をついて言葉を続ける。
「スイ……」
「……すいません。なんというか……気持ちの整理みたいなのをしてて……」
そう言いながら、ゆっくりと俺から体を離し、姿勢を正すスイ。
そのまま目を閉じて、すぅっと息を吸い込むと――
「……あの」
まっすぐ、俺の目を見つめてきた。
悲壮さすら感じるほどの、覚悟を決めたような目つき。
「……あ、あの……こ、こんなこと……今更……ほんとに、今更で……私……ぐずっ……」
涙ぐみながらも、スイは目をそらさない。
肩を震わせ、嗚咽を押し殺しながら、なんとか言葉を紡ごうとしている。
「リーダーを困らせるだけって……分かってるけどっ……で、でもっ……お願いですっ……私の気持ち……きいてくれますかっ……」
ここまでくれば、さすがに俺でも分かる。
彼女が何を言おうとしているのか。
「……あぁ」
ただそれだけ言って頷くことにも、相当な勇気が必要だった。
だから多分、スイはもっと……
「――私、リーダーが好きです」