474話 本心
スイが入っていったテントの前に立つ。
テントとはいえ、その大きさは一軒家に近く、かなり本格的なものだ。
「スイ。入るよ」
「ぁ……リーダー……? はい、大丈夫です……」
扉代わりになっている何重もの布をめくり中に入ると、ランプの光が目に入ってきた。
中にいるのは、ボロボロになった鎧を脱いだ、私服姿のスイ。
気まずそうな顔で俺を迎え入れると、一つ大きなため息をつく。
「……大丈夫か。すごく辛そうだけど」
「はい。もう体は痛くないです」
俺に視線を合わせないまま、奥にあるベッドに腰をかけるスイ。
……いきなりベッドの方に近づくのはなんか気まずい。
とりあえず、手前にある椅子に腰かけてスイの方を見る。
「っ……」
スイはずっと俯いたまま、無言のままだ。
どう言葉をかけようか――それをうかがっている時だった。
「……あの、ごめんなさい。リーダー……」
しばしの沈黙の後、スイがおもむろに声をかけてきた。
「そんなに思い詰めるなよ。スイが謝ることなんて何もない」
「でも……私がジャンに連れて行かれたから……皆に迷惑を……」
「迷惑なはずがない。誰もそんなこと思ってない。分かるだろ?」
「で、でも……」
俺の方を見たり、俯いたりしながら声を詰まらせるスイ。
数分程の沈黙。
気まずい――けれど、スイが俺に何かを伝えようとしているのは分かる。
だから俺は、スイが話すのをじっと待つ。
「……私は、貴方の傍にいてもいいのでしょうか」
「え?」
絞り出すような弱々しいスイの声。
それを聞けば、スイがどれだけ思い詰めたうえでその言葉を発したのは分かる。
だが、そんな質問は予想外だった。
「私は……私は……情けないですっ……貴方に、助けてもらってばっかで……貴方に、助けを求めてばかりで……」
「スイ……」
スイは、俯いたまま膝の上で拳を握りしめ、肩を震わせている。
――鳥肌がたつ。スイのこんな思い詰めた表情は、ライルの一件ですら見たことがない。
「私は……貴方を全然支えられない……アイネみたいに、貴方と通じ合うこともできないっ……剣の腕も、貴方を守るには全然足りないっ……」
「スイ――何言って……」
「どうしたらっ……どうしたらいいのっ!?」
顔を上げて、スイが俺に訴えかける。
目からは大粒の涙をこぼし、震えた声でスイが叫ぶ。
「わ、私……私がっ! 私が貴方と一番最初に会ったのにっ! なんで、貴方がそんなに遠いのっ!? なんで、こんな気持ちにならなくちゃいけないのっ!! なんで、こんなに……私はっ……!!」
――見たことがない。
こんなにも弱々しく、こんなにも激しく、こんなにも必死に叫ぶスイの姿を。
未だかつて、俺は見たことがない。
「うえぇっ……やだ、やだ……見ないでください……こんなの……や、やだ……」
そう言いながら、スイは顔を手で覆う。
うずくまるように背を丸め、嗚咽を押し殺している。
これは俺の責任だ。
スイがここまで傷ついたのは。
スイがここまで思い詰めてしまったのは。
いつか、スイがこんな姿を見せる時がくる。
その兆候は――既にあった。何度もあった。
それに対し、俺は……スイにどう手を差し伸べていいか分からなかった。
だが――それは、スイに手を差し伸べなかった理由にはならない。
俺は怠ったのだ。
漫然と。ただ漫然と――スイの悩みに踏み込むことを怠った。
だから今、スイは苦しんでいる。
こうなったのは――俺のせいだ。
「俺は傍にいるよ。スイ」
「えっ……?」
震えるスイをこれ以上放っておくことはできなかった。
力づくでも、その震えを止めたかった。
だから俺は、スイに近づいて――
「ほら……傍にいる。こんなに近くにいるぞ。俺は――遠くになんて、いない」
ベッドに座り込んだスイを、立ったまま抱きしめる。
彼女の小さな頭をお腹に引き寄せて、押し付ける。
「…………」
じわりと服が濡れる感触。
おそるおそるといった感じで、スイの手が俺の腰に回ってきた。
「遠い……ですよ……凄く遠い……」
しがみつくように、俺のロングコートをスイが握りしめる。
スイの顔は、俺の体に押し付けられているせいでよくみえない。
でも――多分、辛そうな表情をしているんだろう。
せめてその苦しさが和らぐよう、ゆっくりと頭をなでる。
「……今日だけじゃないよな」
「え……」
「ずっとだろ。悩んでいたの」
「…………」
スイは答えない。
俺の体を抱きかかえたまま、動かない。
――多分、声を出せるような状況じゃないんだろう。
「俺は……情けないなんて思わないぜ、スイのこと」
でも、そんなことは関係ない。
言葉を紡ぐのは俺の役割だ。
「今日もそうだ。最後の最後まで、戦ってくれたじゃないか。剣が折れても……体中を切られて、足に穴を空けられても。そんな状況まで追い詰められながら――スイは、最後まで生きることを諦めていなかった。助けを呼ぶ声を俺に届けてくれたのは――スイだからできたことだ」
スイが限界まで――いや、限界を超えて足掻いていたことは、戦いの全てを見ていなくたって分かる。
そんな彼女のことを情けないなんて、誰が思うものか。
「……いつだってそうだ。勝ち負けの話じゃない。スイはいつも全力で戦ってくれる。だから、こうして傍にいてくれるのが頼もしい。戦闘だけじゃない――この世界で生きていくために、色々なことをスイはしてくれている。だから……スイがいない状況なんて考えられない。考えたくなんかない」
「……うぇ」
ふと、スイの手が、俺の腰の後ろから胸のあたりまで移ってきた。
「うええええっ……えぇ……」
だんだんと強くなるスイの嗚咽。
そして――
「うわあああああああああああんっ、リーダァアアアアアッ!!」
何かが破裂したように泣き叫ぶスイ。
涙でぐちゃぐちゃになった顔で俺を見上げてくる。
「違うっ……違うんですっ! リーダーッ! 私は――リーダーが言ってくれるような、そんな立派な人じゃないんですっ! 私はっ――気持ち悪い子ですっ……軽蔑されるべきなんですっ!」
「えっ――?」
深刻に悩んでいるのは分かるのだが――予想外の言葉に、頓狂な声で答えてしまう。
気持ち悪いなんて……何がどうして、そんな言葉が出てくるのか。
「うぅっ……貴方にこうされてると……あったかくて……触りたくてっ……き、気持ちよくてっ……! ずっとこうしたくなるんですっ!」
「え……スイ……?」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! 貴方が……私のこと、想ってくれてるのにっ……わ、私……貴方とこうしてるのが、心地よくてっ……そのことしか考えられないっ……」
そう言ったまま、力一杯俺に抱き着いてくるスイ。
「貴方に抱きしめられて……触られることで頭が一杯で――わ、私、自分のことしかっ……うあああっ……」
「お、おいおい……スイ……?」
何を言われているのか俺も混乱してくる。
だが、スイの混乱は俺の比じゃない。
「全力で戦った? 諦めなかった? そんなんじゃないっ! 私は――そんな立派な心で戦ったんじゃないっ!!」
嗚咽を繰り返しながら泣き叫ぶスイ。
俺にすがるように手をあげて、再び胸のあたりを掴んでくる。
「私は――私はっ! ただ、貴方に必要とされたかっただけなんですっ! それしか考えてなかったんですっ!! 貴方の役に立つなんて……そんなこと、全然考えていなかったんですっ!! 全部自分の欲望のため……ただの下心だったんです! 貴方を尊重したいなんて、全部偽善だったんですっ!!」
「ど、どうしたんだよ、スイ――」
「ぁあああああっ! うあああああああああああああああっ!! ごめんなさいっ、ごめんなさいいいいいいっ。えええええええん……」
額を押し付けて俯き、まるで幼い子供のように弱々しく泣き続けるスイ。
ただでさえ華奢な体が、いつもより余計に小さく見える。
――なぜだろう。気づけば、俺も泣いていた。
多分……情けなかったんだろう。スイがこんなに傷ついていることに気づけなかった自分が。
でも、それでも――俺は彼女と向き合わないと。
それがリーダーとしての……いや、スイと向き合う一人の人間としての責任だ。
「……あのな、スイ。どう思ってるか知らないけどさ……」
スイに気づかれないように涙をぬぐって、そっと手を彼女の肩にのせる。
少しだけ、スイの嗚咽が収まったように感じた。
そのまま、彼女の頭をゆっくりと抱きかかえる。
「俺は心地いいよ。こうやって、スイとくっついてるの。……だから、そんなこと言わないでくれ」
「ひぇ……?」
気の抜けたようなスイの声。
裏返ったそれが、ちょっぴりおかしくて、思わずくすりと笑ってしまう。
「スイは気持ち悪くない。変じゃない。……すごく可愛い女の子だ。こうやってくっついてると凄く落ち着くんだ。だから……そうだな。もしスイがよければ、もう少しこのままでいさせてくれないか」
「いっ……うぇえっ……えぇっ……!」
再び繰り返されるスイの嗚咽。
背中に回る、スイの腕。
「うぐっ――うああああああああああああっ!! うわあああああああああああっ!!」
必死に俺を抱きしめてくるスイの泣き声。
それをききながら、俺は何度もスイの頭をなで続けた。