473話 スイの傷
ジャンとの戦いの後、俺は皆と合流して奴隷館の外に出た。
満身創痍になったジャンは治癒魔法を受けても意識を失っており、グレンがその身を拘束。
外で待っていた騎士団達にその身を引き渡すことになった。
ジャンを護衛していた彼らに任せるのは不安だったのだが――スイいわく、騎士達はジャンよりも国家騎士の言うことをきくものらしい。
実際、ジャンと出会った時もグレンとなれ合うけような雰囲気は無かったし、とりあえずジャンのことは任せておくことにした。
「それでは、今日はここで休んでくれたまえ。夕食はこちらで用意しておく。食堂のテントはアレだ。目立つし、分かるだろう」
しばらく歩き、大きなテントが並んでいる広場の前までたどり着くと、グレンがそう言いながら振り返ってきた。
だが――ヒールをかけたとはいえ今までの戦闘による精神的な疲労は凄まじいのだろう。誰も積極的に答えようとしない。
それよりも、初めて会ったのにも拘わらず行き過ぎたおもてなしに困惑しているぐらいだ。
グレンはスイに用があると言っていた。
何を考えているのか分からない以上、迂闊に信用するのもいかがなものか――
「おやおや。国家騎士様がアタイに奢ってくれるなんてねぇ。今日はなんて日だい」
「…………」
そんな気まずい雰囲気を察したわけではないだろうが、おどけた様子でマドゼラが話し出す。
それに対し、私選を鋭くしながら言葉を返すグレン。
「明日、またここに寄る。今回のことは黙って見過ごすわけにはいかないからな。ジャンのことも――君達のことも」
俺達を一瞥するグレンの目を見れば、手放しで俺達の味方だと信用できる者ではないことは明らかだ。
そのせいか、やや苛立ちをこめたような声色でマドゼラが話す。
「先にふっかけてきたのはアイツなんだけどねぇ。今回に限って言えば、アタイも被害者だと言っていいんじゃないか?」
「その言葉が真実か否か、調査するためには時間が必要だ。あの騎士団達はジャンに仕えていたからな。私がこの街にいる以上、下手なことはしないと思うが……ここで何が行われていたのか、しっかりと調べる必要がある」
グレンの声色は淡々としている。
少なくとも、現時点では彼は中立公平の立場で動くということだろうか。
そんなことを思い始めた瞬間、グレンは俺に詰め寄るように近づくと、威圧的な声を投げかけてきた。
「念のため言っておくが、逃げようなどとは思わないことだ。――この国に住めなくなるぞ」
「あら、どうやら思い上がられていらっしゃるようですね」
すぐさま、リステルは、俺を護るように前に立ち、銃を構える。
「マスターの行動に貴方ごときが口出しするなどありえません。いえ……そもそも、貴方様ごときが、マスターに害を加えることができるとでも? ……私よりも遥かに格下でいらっしゃるのに?」
リステルの挑発にも、グレンは顔色一つ変えない。
感情があるのか疑いたくなるほどに冷たく、淡々とした顔色のままだ。
「君は相当腕の立つ銃士のようだな。しかし、その態度が愛しのマスターにとって不利益になる可能性を考えたかね?」
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味だ。君が彼を想うなら、この国にある彼の居場所を不必要に奪うことはないだろう」
リステルが突き付けた銃口が僅かに揺らぐ。
「マスターの居場所など、私がいくらでも作り、守って見せます。貴方に心配されることではない」
「素晴らしい忠誠心だな。しかし、力づくで得た居場所が平穏なものになる保証があるのかな。それを君の主は望むのか」
「…………」
グレンの言葉に、リステルは唇をかみしめたまま答えない。
「……大丈夫だ。リステル、ありがとう」
「マスター……」
彼女の肩に、そっと手をおいた。
悔しそうに肩を震わせたまま、リステルは何も話さない。
……だが、少なくとも今は、彼と敵対する必要はない。
ここで口論しても彼女のストレスを増すだけだ。
「……レイのこともある。君達も、逃げない方がメリットがあると思うがね」
「分かっています。そこまで言うってことは、貴方も逃げないっていうことですよね」
「無論だ。今回のことはお互い共有した方がいいだろう」
彼の狙いがどうであれ、現段階では利害が一致しているようにみえる。
ならば――それで十分だろう。彼だって、力で俺達に勝てないことは察しているはずだ。
「では、私は取調べに向かう。また明日、この場所で」
リステルが引き下がったのを見ると、グレンはあっさりと踵を返し俺達から離れていった。
その姿が小さくなったのを確認した後、セナが小さくぼやく。
「……なんか怖いヤツだったな。大丈夫なのか?」
「さぁねぇ。ま――なんにせよ今日は散々だったよ。結局、黒紋病のこともよく分からなかったしねぇ。いったい誰が黒幕なんだか……」
「その点については、あの人がある程度調査すると思います……ジャンがやっていたことは……うっ……」
「スイ……?」
ふと、スイの体がよろけているのに気づき肩を支える。
奴隷館の中からずっとだが、彼女の顔は若干青ざめている。
無理もない。スイと再会した時の姿は、思い出すのもつらくなるぐらい、あまりに無残なものだった。
全身血だらけで、生きていることが奇跡ともいえるほどの酷い傷。
今はヒールのおかげでその傷はあとかたもなく無くなっているが……痛みを受けた記憶は消えない。
……それだけじゃない。あのスイが、わき目もふらずに泣き叫び、必死に助けを乞う姿――思い出しただけで目が潤んでしまう。
「……スイ、大丈夫か?」
「はい……今回は、本当にご迷惑を……」
「……そんなことない。俺こそ、ごめんな……」
できる限り優しく話しかけたつもりだったが、スイは顔を伏せたままだ。
……俺と目を合わそうともしてくれない。
吐くのをこらえるかのように、手を口に当てているだけだ。
やはり、今回スイが受けた心の傷はとてつもなく深いのだろう。
「ま、アタイは休ませてもらうかねぇ。色々と疲れたし……」
ふと、マドゼラが欠伸をしながらテントの一つにむかって歩き出す。
はっとしたように声をかけるセナ。
「おい、大丈夫なのかよ」
「あ、何が?」
「いや、だってお前……盗賊なんだろ……? 逃げた方が……」
「ハッ――アイツが何を考えているが知らないがねぇ。ここのギルドがやってることには興味が出ちまった。堂々とお話させてもらうさ」
そう軽く笑いながら、ひらひらと手をふって歩いていくマドゼラ。
俺達の方を振り返ることなく、一つのテントに入っていく。
「えと……どうする、師匠。一応、テントは一人ずつ割り当てられるけど……広すぎるよな?」
「そうだな。皆で使うか」
セナの言う通り、俺達がいる広場の先にはいくつかのテントが用意されており、そのどれもが一人で使うにはあまりにも大きすぎるようなものだ。
そうでなくても、今のスイを一人にはしたくない。
「しかし、さすがに五人は狭すぎではないですか、マスター」
「え、そうかな。結構大きそうだけどな」
「ん。お兄ちゃんと一緒、二人しか無理」
はっきりと言い切るユミフィ。
だが、見た感じ、本当に大きいテントだし、全然皆で使えそうなのだが――?
「えっと……すいません。私、先に休んでますね……テントについては、ご自由に……」
そんなやりとりをしていると、スイがふらついた足取りで一つのテントの方に歩いていった。
振り返ることすらもしない。顔色も悪く、疲れていることは明白だ。
もしかして――今日は一人にしてあげた方がいいのだろうか。
そう考えていると、セナが軽く俺の肩を叩いてきた。
「決まりだな」
「お兄ちゃんとスイ。後三人、こっち」
「え、いや……でも、スイは疲れてそうだし……」
「お兄ちゃん、スイ。お願い」
俺の言葉を遮って、まっすぐ俺の目を見つめてくるユミフィ。
――自分を恥じる。
そう言われるまで、俺は彼女達の意図が分かっていなかったのだから。
「今日ばかりはやむを得ませんか。……マスター、必要とあればどうか――いえ、必要がなくともお声がけいただければ――」
「はいはい。行くぞリステル。お前も疲れてるだろ。ドワーフ流のマッサージしてやるよ」
「ちょっ――なんですか貴方はっ! 誰が私に触っていいと――」
「リステル、頑張ってくれた。おいしいチーズ、あげる」
「あぁそうだ。アレ、まだ余ってたんだよな。三日前のだけど」
「なっ!? 私にそんな食べ残しなど――ちょっと、離れなさいっ! 慣れ慣れし――」
「お兄ちゃん、また、あとで」
「じゃあな!」
「あ、マスター! 私はいつでも駆けつけますからっ! また夜にでもご奉――」
「いいからこいって。ほら、今日はオレ達と仲良くしようぜ」
「ちょっ……どこを触っているのですか! 離しなさいっ!!」
……あっという間にリステルの手を引いてテントに連れていくセナとユミフィ。
その様子を唖然と見つめていると……いつの間にか、俺は一人広場に取り残されてしまった。
「……まったく、出来た奴らだな」
最後のリステルのやりとりはともかく、彼女達なりに気を遣ったということだろう。
あとは――俺の役目だ。
曲がりなりにも、俺はこのパーティのリーダーなのだから。