469話 万策尽き果てて……
「っ……ぎ……」
牢獄の石畳を這う。
剣も鎧も完全に砕け、もはや装備としての機能は有していない。
血で濡れた私の髪が、気色悪く生暖かな感触を与えてくる。
「それにしても、さすがは大陸の英雄。レイの剣にここまで抗うか。いや、おそれいったよ。さすがはスイ・フレイナ」
嫌味なトーンで響く声。
カツカツと後方から響く足音。
「はっ……ぁ、ぅ……」
――逃げないと。
薄れていく意識の中で、なんとか手を前に出す。
……足が動かない。
レイのフォースピアーシングのせいで、私の足には大きな穴が空いている。
いや――足だけじゃない。手も、腕も、お腹も。
さらには右目も潰されたようだ。視界がいつもよりも明らかに狭い。
レイは、鉄檻を切り裂いて無数の『剣』を作った。
一度にこんなにも多数の、しかも使い慣れた『剣』ではないのに。
空間を立体的に貫くフォースピアーシングの威力はあまりに凄まじく、今私が生きていることは奇跡と言っても過言ではないだろう。
でも、そんなの関係ない。
ここで諦めたら、私は――
「……いや。この粘られ方はレイのせいでもあるかな。このクリスタルの力をもってしても、全ての意思を封じ込めることはできなかったか。普通なら今のフォースピアーシングで死んでいただろうに、ギリギリで手を緩めたのか? 相変わらず反抗的な女だ」
「…………」
僅かに聞こえてくるレイの息遣い。
姿は見えていない。でも、たしかにレイの気配が近づいてきて――
「リー……ダー……」
出てきたのは、自分でも驚くぐらいのかすれた声だった。
「さて、そろそろ終わらせよう。いたずらに決着を伸ばすのは私の趣味ではないしね」
「――」
レイと思わしき足音が止まる。
空を切る剣の音。
振り返らなくても分かる。
今、レイは剣を振り上げた。
そしてその剣先は、私の背中に向けられていて――
「やだ……」
――死にたくない。
こんなところで、死にたくない。
なんとしても逃げなければ。
「やだぁあああっ!! 私、まだ――リーダーにっ……! がはっ――!?」
「まだ諦めないか。凄まじい粘り強さだな。ここまで追い詰められているのに」
「ごぶっ――!?」
頭が地面に叩きつけられる。
どうやら後頭部を蹴られたらしい。
「だが、尊敬はできないな。あまりにも見苦しすぎる。半端に力があるだけに、半端な力しかないゆえに、大陸の英雄と比較され最弱と揶揄される者の末路がこれか。随分と皮肉なものだなっ!!」
「ぐ……ぶっ、ごはっ――かはっ――!?」
鼻を思い切りうちつけられた。
息がうまくできない。口に溜まった血のせいか。
「助けなどこないぞ。デルマー様の力は最強だ。誰もここまでたどり着けない。例え大陸の英雄が相手でも、あの『兵器』には対応できない」
「ん……がっ……ごぼっ、がはっ……かっ……」
口にたまった血をなんとか吐き出して呼吸を確保する。
でも……もう、動けない……
「私としても本意ではないがね。デルマー様のことは隠さなきゃいけない契約なんだ。社会正義のため――ここで死ね! この『半端者』が!!」
「や……だ……」
意識が朦朧とする。
視界も霞んでいく。
「やだ……! やだああああああああああああああああああああっ!!」
怖い。
痛い怖い辛い苦しい悲しい!
だって、私はまだ……リーダーに、何も……
「リーーーーダーーーーーーーーーッ! たすけてぇええええええええええええっ!」
逃げきれない。
それを察した時、私はただ叫んでいた。
「こっちにきてえええええええええ! おねがいいいいいいっ、リーーーダァーーーーーッ!!」
「……」
「私じゃ勝てないっ! 勝てないよぉおおおおおおおおおおおおお!! たすけてえええええええええええっ!!」
呆れたようなジャンのため息がきこえてくる。
情けない――。そんなのは分かっている。私が一番、理解している。
でも――それでも、私は――
「うえええええええええええんっ!! たすけてええええええええええええええええええ!! だず、けでえええええええええええええ!!」
――何をやっているんだろう。
私は、一体何を……
こんなことをしても、意味がないのに。
こんなことをしたら、意味がないのに。
「おねがいしますうううううううううううっ!! リーーーーーダーーーーーーッ!! リーーーーーーダーーーーーーッ!!」
「……やれ。レイ」
――殺される。
後数秒で、確実に。
レイの剣で――私は殺される。
「たすけてええええええっ!! リーダー……! リーダーーーーーーーッ!! うわあああああああああああん!!」
こんな半端なところで。何も成し遂げないまま。
今まで私と一緒にいてくれた仲間と……リーダーと。
会えなくなるなんて、私は――
「うわあああああああああああああん!! リーーーーダーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
でも、もう残された手なんかなくて――
ただただ叫びながら、せめて最期の瞬間から目を背けたくて……目を閉じる。
「むっ――?」
と……ジャンの怪訝な声がきこえてきた。
それがどういう意味かは分からない。
でも、しばらくの時間をおいた後も、私の意識は残ったままだ。
「――スイ」
――幻聴だろうか。
リーダーの声がする。
でも、この際、幻でもなんでもいい。
せめて死ぬ前に、リーダーの姿だけでも、一度だけ……
「リーダーッ! たすけ……たすけっ……!! えぐっ……リーダー!! たすけ――っ?」
――あれ?
……いつのまにか、体の痛みが消えている。
うっすらと開けた目に飛び込んできたのは、美しいエメラルドグリーンの光。
段々とはっきりとしていく体の感覚。
――これは、ヒール……?
「遅れてごめん。でも……大丈夫だから」
声がきこえた。
とても優しくて、力強い声が。
「リー……ダー……?」
「あぁ」
人生の最期に私がすがった幻か――
そう思ったけれど、あまりに感覚がはっきりしている。
「……よく頑張ったな、スイ」