46話 後ずさり
「ぅ……」
アイネも、それにスイもだが今まで俺に話しかけてくれたことは何度もある。
しかし、さすがに俺の部屋にまでやってきたことは今まで一度もない。
時間帯も割と遅くなってきているし、何かあったのだろうかと少し心配になってしまう。
「……ウチ、なんつーか。今日、いろいろ考えてたんすけどね?」
そう言いながらアイネは玄関から俺の部屋に入ってきた。
それを見て部屋の明かりをつけようとするが、アイネは首を横に振りジェスチャーでそれを制止してくる。
そして俺の一メートルぐらい前まで移動するとアイネはじーっと俺の顔を見つめてきた。
「最近、新入りさんと話すようになってから結構楽しかったなぁ、って思い返してて」
「……どうした? いきなり」
アイネの神妙な面持ちに少し緊張してしまう。
ただでさえネグリジェ姿なんていう可愛らしい服を着ているのだ。
普段のアイネは可愛らしい、というより動きやすそうな服を着ているだけに余計に意識してしまう。
「いやその……はは。なんか淡泊じゃないっすか?」
「そうかな」
淡泊というよりかは、緊張でうまく返事ができていないだけなのだが。
どうもアイネはこちらの心中を察してはくれそうにない。
少し寂しそうな顔で俺を見つめているだけだ。
仕方なく、俺は適当に話題を考えながら時間を稼ぐ。
「まぁ、ここってアイネの話し相手はあんまりいなそうだからな。だからいつもスイと一緒にいたんだろ?」
「うーん、そうっすね……トーラのギルドで新しく働く人なんて全然いないから、オッチャンかオバチャンだらけだし。皆ウチのこと子ども扱いするから友達って感じの人はいないんすよね。最近父ちゃんが若めの人弟子にしたみたいだけどウチとはあんま修行しないから接点ないし……いざ話してみたら、あれだし……」
そこまで言うとアイネが苦虫をかみつぶしたかのような顔をする。
嫌なことを思い出させてしまった。やはり俺は話しを盛り上げる能力に欠けるらしい。
「で、でも、新入りさんのこと気にかけてたんすよ? 新入りさんって真面目でちょっと控え目でここら辺だとあんまみないタイプだし。ウチのこと対等に見てくれてたし」
対等、というよりかは先輩として見ていたのだが。それでも子供扱いされなかったことが嬉しかったようだ。
アイネのその嬉しそうな笑顔は作っているようには見えなかった。
自分よりも年下の女の子が必死に気遣ってくれるのが嬉しいやら、情けないやら。
だが、その言葉は俺にとっても嬉しいものだったので俺は自然に言葉を返すことができた。
「そうだな。いつも声かけてきてくれてありがとう。仕事終わりの時間が楽しみになってるよ」
「ふふっ、ウチもっす。新入りさん今なにやってんだろーって先輩とクエスト中よくはなしてたっす。えと、それで……」
アイネは一度そこで言葉を切り、胸に手をそえて三秒ほど沈黙する。
そして、改めて俺の方に視線をうつす。
「その、なんつーか……お礼を言おうかと思って……」
「お礼?」
オウム返しに聞き返す俺に頷くアイネ。
「新入りさん、ウチの事助けてくれたじゃないっすか……それ、まだこうしてはっきりお礼してなかったから……」
そう言いながら真剣な顔で俺を見つめてくる。
「はは、律儀だなぁ。それに最初に助けてもらったのは俺の方じゃないか。こちらこそありがとな」
「そんな……」
アイネは俺の言葉に苦笑いで返事をする。
と、アイネは一呼吸を置くと一歩、俺の方に近づいてきた。
「あの、新入りさんは自分のレベルのこと本当に分かってなかったんすか?」
ぐぐっと俺の方に顔を近づける。
一メートルぐらいあった距離が半分ぐらいに縮まっていた。
「自分にあんな力があるって、知らなかったんすか? 新入りさん自身もびっくりしてるように見えたから多分そうだと思うけど……」
どういう意図でその質問をしているのか分からない。
しかし、その表情はとても真摯なものに見えた。
別に嘘をつくことでもないし俺は正直にそれにこたえる。
「うん。本当に知らなかった。正直、俺も混乱してるよ」
「そ、そっすか……」
俺の答えをきくとアイネはふっと顔を下に傾ける。
前髪で彼女の表情が隠れてうまくみえない。
だがすぐにアイネはもう一度顔をあげ俺の目を見つめてきた。
「じゃあ、なんでウチを助けに来たんすか?」
「え?」
「……新入りさん、死ぬと思わなかったんすか?」
どこか、俺を睨んでいるかのような目だった。
これは怒られているのだろうか。軽率な行動だったと……
そのアイネの瞳に動揺してしまい、俺は思わず話題をそらそうとする。
「いや、だってそれはアイネも……」
「ウチは違うっす。死ぬつもりなんかなかった。一人だったら逃げられるって思ってたし……結果的には全然だめだったけど」
アイネが悔しそうに唇を結ぶ。
「新入りさんをかばった時、ウチは死ぬつもりなんてなかった。なんだかんだで死ぬことなんてないって思ってた」
自分の胸を右手でぎゅっと握り俺から目をそらす。
暗くてはっきり良く分からなかったが、その手は少しだけ震えているように見えた。
「ウチ、本当に死ぬって思ったこと……今日が初めてだったんす……」
「アイネ……」
そのまま、アイネは俯いてしまった。
再びその前髪が彼女の表情を隠す。
いや、おそらく……アイネがわざと隠している。
「あそこまで強い魔物と実際に戦ったのは今日が初めてで、思い返したら怖くなってきて……ウチ、先輩程じゃないけど才能には恵まれてるしちゃんと努力もしてるって父ちゃんにも言われてて、なんか調子にのってたのかも……」
「そんなことは……」
「いや、もし先輩だったら……もっと……」
俺の言葉を遮るアイネ。
──やはり、負けたことを気にしていたのか。
しかし、こういう時どのように声をかけてやればいいのかなんて俺が分かるはずもない。
何かうまい言葉はないものかと頭の中で必死にアイデアをしぼってはみるものの、結局何もできずにアイネの前で立ち続けることしかできなかった。
「新入りさんは戦えないって思い込んでいたんすよね? 戻ってくる時、自分が死ぬって思わなかったんすか? 怖くなかったんすか?」
数十秒ほどの沈黙の後、アイネがそう俺にといかけてきた。
あまり表情を見られたくないのか、俯いたままなのは変わらない。
しかし、アイネなりに頑張って俺の顔を見ようとしてくれているようで、少し怯えているような感じではあるが上目使いで俺のことを見つめてくる。
「……そりゃあ死ぬかもしれないと思ったし、すごく怖かったよ。でもアイネが死ぬかもしれないって考えた方が怖かった……だから、そんな事に気をまわしてる余裕が無かっただけかな……」
「……そんなの、ばかっすよ。もし本当に新入りさんが戦えなかったら二人とも死んでたし。特にウチなんて無駄死にだったじゃないっすか……」
だがそれも一瞬のことでアイネは再び前髪で顔を隠してしまう。
「う、そうだな……すまん……」
アイネの言葉は正論だった。
自分があんな力を持っている事を全く知らずにあの場に戻るのはただの自殺行為であり、アイネが体を張ってくれて俺を逃がしてくれた事を無に帰す行為である。
俺としてはもう何も返す言葉がなく沈黙するしかなかった。
「で、でも……なんか、すごくうれしいっす……」
「え?」
と、アイネが顔を上げてきた。
少しだけ顔を赤らめ、うるんだ瞳で俺の事を見上げてくる。
──これは、やばいな。
思わず抱きしめたくなる可愛さだったが、そんなことをしたら今度こそ本当に許されそうにないので必死に理性でその衝動を抑える。
「自分が死ぬと思っても、なりふりかまわずウチのこと助けに来てくれたんすね……」
「そ、そういう言い方されると少し恥ずかしいな」
本当に恥ずかしかった。
アイネの言葉も視線も、俺の心臓の鼓動を早めていく。
「死ぬって本気で思った時、声が聞こえてきて……本当に嬉しかった……嬉しかったの……」
追い打ちをかけるようにアイネがにっこりとほほ笑む。
それに加えて崩れた口調に、いつもと違う親近感がわく。
いや、それは親近感というか、むしろ──
思わず、俺はアイネから距離をとろうと一歩後ずさる。
「……新入りさん」