44話 風呂上り
もう何時間が経っただろう。すでに日は落ち、部屋の中は暗くなっていた。
この世界には日本のように電灯というものはない。
代わりに光輝石と呼ばれる光を放つ石が電灯のような形をした白く濁ったガラスにつつまれ天井からぶらさがっている。
入口付近にはそれを付けるスイッチがある。
ただ、前にいた世界でおなじみのパチッと片方を押すタイプのものではない。
直径数センチの小さな円にいくつもの記号が刻まれている、いわゆる魔法陣が描いてあるのだ。
どういう理屈か知らないが魔法陣に手を触れるとその石が輝きだすというシステムになっている。使い勝手は日本でいう電気と殆ど同じだ。
……しかし、光をつける気すら起きない。
俺はただ茫然と自分の部屋で天井を見つめていた。
こうも無気力に時間を浪費したのは久しぶりな気がする。
日本に居たとき、ゲームが臨時メンテナンスとかになるとよくこんなことをやっていたことを思い出す。
なんとか現実から目を背けたくて、必死に何も考えないようにしていた記憶が蘇ってきた。
──やめよう、あんまり良い思い出ではない。
俺はため息をつきながら上半身を起こす。
別に体が疲れているとか、そういうのは感じない。
しかし仕事もないし、誰かと話すこともない。
スイやアイネもアーロンの部屋から出ると、そそくさとどこかへ行ってしまった。
暇で暇で仕方ない。何か考え事のネタでも見つけるべきか。
そう思って俺はふと、カーテンにかけているハンガーに目を移す。
そこには俺がいつも来ている魔術師のコートがかけてある。
──そういえば、このコート、もう少し汚れていなかったっけ?
俺はコートの近くまで寄りそれを触る。
確かアイネを抱きしめたとき、彼女の血がついていたはずだ。
しかし、どうもそれがついているような感じがしない。
部屋は暗くなっているがかなり目が慣れているし、乾いた血の感触は触れれば分かる。
いつの間にか汚れが消えているようだった。
「そういえば、代わりの服なんて着たことが無いな……」
コートの下に来ている服は金のラインが入った白いシャツだ。
下半身は同じく金のラインが入った黒いズボン。
俺はいつもこの服を着用している。この世界に来てからずっとだ。
一週間ぐらい同じ服を着続けていることになる。
さすがに下着はギルドから替えの物が用意されており、浴室に干してあるのだが……
「めっちゃ不潔じゃないのか、これ」
とりあえず俺はシャツとズボンを脱いでみることにした。
コートと同じくハンガーにかけて、じーっとそれを見つめていく。
臭いはとくにしなかった。自分の体の臭いは分からないものだからあてにはならないが。
汚れも特に見当たらない。白のシャツならばどこか見当たるかと思ったが新品のものと錯覚するような綺麗さだ。
……やはり、血がついているようには見えない。
コートだけでなく、この白いシャツにもついていたと記憶しているのだが。
そういえば、と俺は皆の服装の事を思い出す。
俺だけじゃなく、アインベルもスイもアイネもずっと同じ格好だということに気づいたのだ。
あまり汚れを気にしない文化なのだろうか。しかし風呂があるということを思い出し、すぐにその仮説を否定する。
「……風呂はいっか」
風呂のことを思い出したら、風呂に入りたくなってきた。
俺はそう呟きながら改めて辺りを見渡す。
もう夕食の時間帯も過ぎている頃だろう。
少しお腹がすいてはいたが今日はもう何か食べる気が起きなかった。
俺は浴室へと移動しシャワーを浴びる。
壁も、浴室も、何もかもが木造だ。そばにあるトイレだけは違うが。
浴槽につかりながら俺は首を壁に傾ける。
──今日はヘビーだったな。
この世界に来てからそれなりに毎日が充実していたというか、楽しかったのは確かだった。
しかし、そのことで俺は忘れていたのかもしれない。初日に味わった魔物と対峙した時の恐怖を。
この世界には魔物がいる。それと戦う人たちがいる。血を流す人がいる。
それを再び体感し、重傷を負った人たちを目の当たりにしてどこか体が縮こまっている。
あげくのはてには自分のレベルが2400などという荒唐無稽な話しをきかされた。
周りの人たちも驚いているのだろうが、俺自身も混乱している。
「2400か。なんで2400なんだろう」
ふと、俺はそんなことを疑問に思った。
2400というのはなんか半端な数字ではないだろうか。
そりゃあ、ぴったりゼロが二つついているから覚えやすい数字だしキリがいいといったらキリがいい。
しかし、どうせなら2000とか2500とかの数字の方が分かりやすいと思う。
なぜ2400なのか。何か理由があるのか。
「……あ」
そんなことに思考を巡らせると俺はふと、ある一つのことを思い出した。
ゲームで俺は全てのクラスをレベル200まであげている。
ではそのクラスの種類はいくつだったか。……12だった。
「だから2400……?」
普通に考えればおかしな話しだった。
レベル1のキャラクターを100人用意した所でレベル100に匹敵する強さが得られるわけではない。
だからレベル200×12なんて計算なんてそもそもおかしいのだ。
しかし、果たしてこれを偶然と片付けてよいものか。
俺は魔術師だけでなく修道士のスキルも使えた。
ならば全てのクラスのスキルだって使えてもおかしくない。
──複数のキャラクターの能力を一人のキャラクターに集中させたとしたら?
「……止めよう、のぼせてきた」
そんなことを二十分ぐらい考えていると、頭が少しくらくらとしてきたのを感じた。
俺は浴槽からあがり、体と髪を洗う。
体温が上がってきて眠くなってきた。今日はさっさと寝てしまおう……
体を全て洗い終え、タオルで体をふく。
トワの姿もあれから見えないし考えれば考える程、泥沼にはまっていく気がする……
「はぁ~……あっちー」
髪をタオルでわしゃわしゃとふき、全裸のまま浴室の扉を開ける。
手に取ったパンツを人差し指でぐるぐると回し、風を起こしながら──
「あ」
風を起こしながら……
「……あ?」
風が止まった。いや、俺の手が止まったという方が正確なのだが。
俺は一度ぎゅっと目を瞑り、ゆっくりと目を見開く。
「……えと、あの」
黒いロングの髪をさらりとおろした少女が俺の事を見上げている。
頭にある猫耳がぴくぴくと動いている。
身に白いネグリジェを纏いながら、胸の前で手をくんでいるその姿は実に愛らしい。
部屋の明かりがついてないため、浴室の明かりから漏れる光だけで照らされたその姿は少し蠱惑的な雰囲気を放っていた。
──いや、待て。ちょっと待て。