424話 愛と忠誠と記憶
目の前には、くっきりとしたリステルの長いまつげ。
「んぅ――ぢゅっ、ん……んくっ、んくっ……」
「んちょっ! リヒュヘ……ウ……」
「んっ……ん……れろ……」
暖かく柔らかい物が口の中に入り込む。
それが何か把握するより前に、リステルの手が俺の後頭部を引っ張ってきた。
「れ……んっ、んく……んくっ……」
まるで一気に水を飲み干すようにリステルが喉をならす。
お互いの唾液があふれ出しそうになったころ、ようやく俺はリステルの肩をつかむことができた。
「くっ――リステルッ!」
「ぷはっ……う……マスター……?」
恍惚な表情で俺を見上げてくるリステル。
その目で見つめられていると、眩暈がしてくるようだ。
「い、いきなりなにするんだよ……ほんとに……」
「う……? エネルギー補給ですよ?」
「は……?」
茫然としていると、リステルが俺の頬に手を添えてきた。
「私はホムンクルスです。マスターからのエネルギー補給がないと、生きていけません」
「いや……でも、エネルギー補給って……今のがか?」
少なくとも、ゲームにはそんな設定はなかったはずだが……
ふと、リステルがきょとんと首を傾けた。
「マスターが仰ったのではないですか。『リステルたんにペロペロしてエネルギー補給したい』とか、『俺の●●●で●●●●――」
「なっ――!?」
今、リステルの口から放送禁止用語的なものが出た気がするのだが――
「だから私に、粘膜接触でマスターのマナを吸収できる機能をつけてくださったではないですか」
「うああああっ!?」
蠱惑的に微笑むリステルを前に、思わず悲鳴が漏れる。
それと同時に――なんとなく、察した。
俺が日本にいたころ、ネットでリステルの画像を探しては、そういう『妄想』をしていたことがあった。
ゲームから受けていたクールな感じの美少女がズレた言動をする理由――
おそらく、この『リステル』は、俺の『妄想設定』が盛り込まれている。
俺の欲望を満たすような言動をし、俺に絶対の愛を捧げる俺の妄想から生まれた存在。
ゲームの『リステル』とは違う、俺にとっての、俺が解釈した『リステル』。
それがこの少女の正体だというのだろうか。
「リステル……すまない。それは、他の人の前では……」
「心得ていますマスター。ですが今は二人きり、ですので。んー……」
「いや……それは待ってくれ。リステル……」
唇をつきつけてきたリステルの額を抑えて、声のトーンを下げる。
せっかくの機会だ。リステルにも聞いておきたいことがある。
「……リステルは、どこまで俺のことを知っていたんだ?」
「と、仰いますと?」
「いっただろ。俺は、この世界にいたわけじゃない。今まで君が見てきた『俺』と、今ここにいる『俺』が同じとは限らない」
「…………」
そう言うと、リステルは寂し気に眉を八の字に曲げた。
「多分……ここは、私がいた世界とは違うのでしょうね」
「え……?」
今までの熱はどこへいったのやら。
その声色は、とてもしおらしく、儚げなものだった。
「この世界は、今まで私がいたところと似ているようで違います。……少なくとも、北の空が黒く染まっていることはありませんから」
「…………」
じっと俺のことを見つめてくるリステル。
そっと手を伸ばし、俺の手首をつかんでくる。
そして、そのまま俺の手を自分の胸元へと導いてきた。
「でも――はっきりとわかります。間違いなく、貴方は、私が今まで見てきたマスターです。そうでなければ、この胸が鼓動する理由が説明できません」
俺の手を自分の胸に当てるリステル。
そして――
「今まで私が過ごしてきた架空の世界でも、なんでも。マスターが傍にいれば、それで」
「…………」
思わず、絶句した。
その表情があまりにも愛らしく――美しかったから。
それは単に顔が端整だとか、そんな問題ではない。
たしかな温かさが彼女から伝わってくる。
「スイのことは、ちゃんと考えてくれてたんだよな?」
「……え?」
ふと、リステルが頓狂な声をあげる。
ふっと小さく息を吐き、苦笑いを浮かべるリステル。
「もぅ……全く憎らしいですね。この状況で、マスターの頭に割り込んでくるなんて」
「それは――」
「いえ。大丈夫です。別に責めているわけではございません。むしろ、マスターの優しさを再確認できました」
そう言ってにこりと笑うリステル。
「ご安心を。私は貴方に絶対の忠誠と愛を誓っております。その観点から、常に最善手を打つのが私の役目。たとえ貴方に一時的に嫌われようと――貴方の幸せのためなら、全てを尽くしてみせましょう」
優しく――それでいて、凄まじいほどに覚悟のこもったその声に、俺は何も言い返すことができなかった。
数秒の間をおいて、俺はリステルの肩に手を置く。
「……信頼するぞ。リステル」
「えっ――」
リステルが何を思ってスイにあんな辛辣な言葉を発したかは分からない。
だが――それも必要なことなのだろう。
リステルの目には、俺に見えてないものが映っている。
そのことだけは確信できた。
「お前は、俺が生きてきた中で……一番長く、傍にいてくれた人だからな」
「…………っ!?」
と、リステルは急にうつむいて視線をそらした。
そのまま頬に手をあてて、なにやらぶつぶつと呟きだす。
「い、いけません……わ、私としたことがだらけた顔が……ふへへ……じゃなくてっ!」
と思ったら、いきなりバチンと頬をたたくリステル。
何をしているのかと見つめていると、彼女は一度咳払いをして姿勢を正してきた。
「コホンッ……では、マスター。エネルギー補給の続きをお願いします」
「えっ――続けるのか?」
俺がそう答えると、リステルは薄ら笑みを浮かべてくる。
「もちろんです。もう何日も……何週間も? 離れ離れだったのです。貴方のそれがないと……私、生きていけませんから」
「いや、でもじゃあ今までどうやって――」
「まぁまぁ。そんな細かいことはどうでもいいので。あーん……」
「ちょっ、ちょっとま――」
「マスター……愛しております……」
リステルの顔がゆっくりと近づいてくる。
逃げようと後ずさりをしようとするが――カーテンに阻まれて逃げられない。
俺の首の後ろにリステルの手がまわる。
そして――
「んんっ――! んく、んくっ、んぅうううっ!」
「――っ!?!???」
その時。俺は、ひらりと花びらが散る光景を幻視した。
「……おかしいです」
ふと。
強烈な刺激の中、リステルの声が漏れる。
「なんで……私……唇を重ねたのが初めてだって……そう感じているのですか……??」
その言葉の意味を考えるよりも前に。
リステルの抱擁が俺の思考を包み込んできた。