414話 エイドルフ
「貴方は……」
「いや、お話し中失礼。私もジャンに用があってね」
振り返った先にいたのは、片眼鏡をかけた初老の男性だった。
初老――とはいっても、美しさすら感じる佇まいだ。
渋い黒のコートにダークブラウンのマフラー。
背は高く、俺と同じかそれ以上はある。細身のそれは、まるでモデルのようだ。
そんな彼に対して、ジャンが話しかける。
「おや、エイドルフ様。もうお戻りで?」
「っ――!?」
その名前をきいた時、俺は衝撃を受けた。
エイドルフ――その名前を何度か俺はきいている。
「あぁ。そろそろシュルージュに戻らないといけなくてね。次のキャラバン隊で戻ろうと思う。また売れそうな奴隷がいたら連れてくるよ」
「そうですか。寂しくなりますね。今度はもっと良い酒を用意しておきますよ。それで今日は……例の薬のことですかね」
「あぁ。よろしく頼むよ。おかげさまでビジネスは好調だからね」
ミハ、シラハ、クレハを追い詰めた原因をつくった悪徳商人。
そう聞いているものの、第一印象はそこまで悪人にはみえない。
少し気障な話し方をするのが気にかかるくらいか。
「同姓同名……?」
あまりに唐突に現れたその人を前に、うっかり思考を口にしてしまった。
それに気づいたのか、エイドルフは俺達の方に改めて注意を向けてくる。
「おや、私の名前を知っているのかね。……む」
一度、眉間にしわを寄せるエイドルフ。
スイのことをじっと見つめた後、言葉を続けてきた。
「誰かと思えば有名人がいるじゃないか。お初にお目にかかる。私はエイドルフ・ランドニーだ」
「あのエイドルフ商店の……ですか?」
警戒した様子で返事をするスイ。
だがエイドルフは、たいして気にした様子もみせず話し続ける。
「ふふ、やはり知ってくれていたのか。そうだとも。私がそのエイドルフだ。しかし――奇遇だね。ここでお目にかかれるとは思わなかったよ、スイ・フレイナ君。君の悪評はよく聞くよ」
「っ――」
表情を鋭くしたまま動かないスイ。
そんな彼女を前に、エイドルフがからかうように意地悪く笑う。
「シュルージュには私も店を出しているからね」
「そうですか。光栄です」
それに対して淡々と答えるスイ。
――相変わらず、このモードに入った時のスイは怖い。
とても十代の少女とは思えないような威圧感だ。
だが、エイドルフはまるで怯んだ様子を見せていない。
「ふふ、分かっているとも。サラマンダーを倒したようじゃないか。評判とは違って、実力は本物のようだ。国も君を評価しているときいているよ」
「どうもありがとうございます」
事前情報があるせいだろうか。
スイの態度はかなりきつい。
「そうだ。君も冒険者なら知っておくといい。ジャンは凄腕の調薬師だ。人々を悩ませる難病にきく薬をいくつも生み出してきたんだよ」
「調薬師ですか……」
と、スイと話していても、らちが明かないと考えたのか、エイドルフが俺の方に話しかけてきた。
しかし――意外だった。悪い人ではなさそうだが、いかにも気怠そうで清潔感があるとは言い難いこの男が調薬師だったとは。
「たいしたことじゃないさ。まぁでも……体調が悪くなったら、僕のことを思い出してくれると力になれると思うよ」
と、苦笑いをしながらジャンが俺に向かって手を振ってきた。
どうやら俺が緊張しているのを気遣ってくれたらしい。
ジャンはエイドルフと話しを始めるようだし……そろそろお暇したほうがいいだろう。
「分かりました……じゃあ俺達はそろそろ」
ともかく、次の目的地は旧エクツァーで決まりだ。
今日泊まる場所を探したら、早速皆と打ち合わせをするとしよう。
「ん……あぁ、そうそう。明日、もし旧エクツァーに行くなら声をかけてくれ。もしドルトレット盗賊団の残党達が本当にいたら、またここまで連れてくるのは大変だろう。レイツェルに対応するよう、話をつけておく」
「オッケー、じゃあまた明日、よろしくなっ」
軽やかにそう答えるセナに続いて頭をさげる。
また明日も砂漠を移動することになりそうだ――
†
その後。
エクツァーを歩き回った俺達は、この街に宿屋というものがないことに気づく。
というか、冒険者が殆ど集まらないこの街では、宿屋どころか店らしきものが一つもない。
まぁ、ジャンの言うことが本当なら、この街で店なんて開いたら盗みやらなんやらで大変なことになるだろう。
結局、最初に寄った、ラクダの預かり場所ぐらいしか信用できそうなところはなさそうだ。
その場所に立ち寄り、ラクダと共に預けた荷物を受け取った後数時間。
テントを張り終えた俺達は、ようやく腰をおろすことができた。
「でも驚きました……まさか、エイドルフの名前をここできくなんて」
「そうだな……偶然って重なるもんだな」
武器と共に、鎧を外していくスイ。
一度外に出ようとも思ったが着替えるわけではないらしい。
そのまま座り込んだスイを見て、俺もとりあえず休むことにした。
「あのさ、エイドルフって……誰?」
「わかんない。知ってる人?」
……そういえば、このことは詳しく二人に話していなかったか。
もしかしたら今後彼と敵対することがあるかもしれない。
情報は共有しておくべきだろう。
「そうだな……俺は初めて会ったんだけど……」
そこから俺は、今までのことを二人に話した。
ミハが話してくれた過去のこと、エイドルフが裏で行っていた『ビジネス』のこと。
全て話し終えると、セナが肩を震わせながら口を開く。
「なんだそれ……? とんでもない悪党じゃないかっ……!」
半ば信じられないと言いたげな表情のセナ。
それに対し、スイが小さくため息をつきながら答える。
「そうですね……彼はシュルージュに戻ると言っていました。ミハさんのことも、ちょっと心配ですね……すぐに経営が壊れているわけではなさそうなので、大丈夫だと思うのですが……」
ミハは、俺達がシュルージュにいたころ、エイドルフ傘下の商人と喧嘩をしている。
そのことで何か不利益に扱われたりしなければいいのだが――
「とはいえ……まずは旧エクツァーに向かいましょう。マドゼラに出会えなくても、過去にラーガルフリョウトルムリンが現れた場所なら、もしかしたら手掛かりがあるかも……」
やはり優先しなければならないのはこちらか。
スイの母であるレイ・フレイナは、大陸最強の剣士で、そのレベルは140だときいた。
だが、レシルの使ったダークネスブレードはレベル150以上の敵が使ってきた大技だ。だとしたら、彼女達に真っ向から対抗できるのは、この世界で俺しかいないことになる。
「行くしかないよな……レシルとルイリは、なんとかしてとめないと……」
彼女たちの目的も正体もいまだつかめていない。
それでも俺が彼女たちを追いかけなければトーラでの惨劇が繰り返されるかもしれない。
それだけは、なんとしても避けなければ。
正義のヒーローになりたいわけではないが――あの時のアイネの泣き顔は、やはり忘れることができない。
「ま、あれこれ悩んでても仕方ないよな。明日やることが決まっているなら――これだろ!」
ふと、そんなふうに思い詰めていたせいだろうか。
急にセナが明るい声を出しながら一つのボトルを取り出した。
――って、それはっ……!
「いや待て。まてまてまてっ!!」
やけに見覚えのあるその瓶を慌てて取り上げる。
あからさまに不満げな顔をみせるセナ。
「なんだよ。師匠も気に入ってただろ、これ」
「おいしかった。……あんまよく覚えてないけど」
「いや、やばい。やばいってこれはっ!」
リジェネリリー。
機能、これを飲んでどうなったか、二人はまるで覚えていないらしい。
あの後のスイに対する言い訳というか、弁明にどれだけ頭を使ったか――
「なんですか、これ? ……ん、あ。いいにおい……って、お酒じゃないですか!」
「とってもおいしいよ。スイ」
「……そうなんですか?」
「だめだって!」
ユミフィとセナもそうだが、スイにお酒を飲ませてもろくなことにならない。
それは、最初にトーラにいたときに学んでいることだった。
「と、とりあえず今日は寝るぞ! お酒はもっと大人になってからな!」
不満が色々と出てきたがやむを得まい。
今度、何か別のことで埋め合わせしてあげることにしよう――