407話 焦り
――夜。
ラグナクア砂漠に張られたテントの外で、男達がもぞもぞと背中をこすり合わせていた。
「……おい。解けたか」
「あぁ、あと少しだ――よしっ」
男の背中が大きく揺れる。
次の瞬間、一人の男がロープを振りほどいて腕を左右に広げた。
「ヘヘッ、強さは確かだが……所詮ガキだぜ。盗賊をナメすぎだってことよ」
「ケケケ、助かる」
完全に自由になった男が一人の男を解放し、さらにもう一人を解放。
三人で立ち上がり、テントからやや離れたところで休んでいるラクダ達に詰め寄る。
「あぁ。ほんと助かったな……後はこいつらを奪うだけだ」
「おらっ! いうことをきけっ――! どうっ!」
だが、ラクダ達はピクリとも動かない。
それにイラついたのか、一人の男が拳を振り上げた。
「このやろ、早く――」
「何をしているのですか」
だが、その拳が振り下ろされる直前。
男達の背後から小さな――だが、たしかな怒気のこもった声が響く。
「なっ――どうして! うおっ――!?」
一人の男が振り返ると、その首に剣の刃が突き付けられた。
剣を持つのは藍色のマントに身にまとった剣士の少女――スイだ。
「盗賊と一緒に行動しているんですよ。まさか私が無防備に寝てると本当に思っていたのですか?」
「ぐっ――」
「もしそうなら、さすがに私をナメすぎですよ。私はリーダーみたいに優しくないですから」
その少女の強さをこの三人達は知っている。
勝ち目はない。見つかった時点で詰みだ。
「言っておきます。リーダーの手前、手荒なことはしませんでしたが――私は、貴方達みたいな人に容赦はしません」
「ひっ――」
剣を突き付けられた男が、よろよろと後ろに倒れ込む、
情けなく尻餅をついた彼を見ても、スイの表情は一向に変わらない。
明確な敵意――否、殺意を放ち、男達を威圧し続ける。
「……私は、貴方達みたいな人が大嫌いです」
剣を持つスイの手が若干震える。
言葉に出さずとも、スイの嫌悪感は十分顔に現れていた。
それでもなお、可憐なままのスイの顔。
それが逆に男達に恐怖を与えているようだった。
「なるほど……さすがにこの状況では欲情はしませんか」
ふと、スイが呆れたように笑う。
「なにを言っているんだ、お前……?」
「覚えていませんか。貴方達とは、前にも会ったことがありますよね?」
「は……?」
スイの言葉に、男達が呆けた声を出す。
「私が一人旅をしていたころ……ハーフェス山岳で。ワルドガーンに向かう途中……私、貴方達に襲われたことありますよ。獣みたいな声で『ヤらせろ』って、そう言われた……」
「なんだと……?」
「それとも、あまりに一瞬で返り討ちにあったから、覚えていませんか」
「……」
沈黙する男達。
「まぁ、それはそうでしょうね。貴方達には私の髪の毛すら一本も触らせもしませんでしたから。私の顔も、よく見えなかったのかもしれませんね」
そう問いかけるものの、男達は誰も答えない。
答えさせるような雰囲気をスイは放っていない。
「男の人にそういう視線を向けられたのは何度かあったけど……実際に襲われたのは初めてだったから、私はよく覚えています。本当に気持ち悪くて――嫌だった」
「っ――!?」
スイの剣の刃が男の首に食い込んでいく。
他の男達は、それをただ黙って見ているだけだった。
助けようとも、逃げようともしない。
僅かでも動けば殺される――彼らの表情は、そう叫んでいた。
「……でも、私は貴方を罰しません。私刑を正当化できるほど、私は立派な人じゃないから。それでも、私は――貴方達とは違う。そう信じたかった!」
だんだんと、スイの声が震えていく。
そして――
「だから……だから嫌だった……わ、私が……貴方達と同じだなんて、思いたくないから……!」
「は……?」
恐怖と疑問が混在した、怪訝な表情。
そんな彼らを前に、スイが叫ぶ。
「『そういう気持ち』になる度、貴方達みたいな人を思い出すんです! 『彼』に触れたくなる度、私は貴方達と同じなのかって、頭をよぎるんですっ!!」
大きく剣を振り上げるスイ。
それを見た瞬間――男達の表情が一変した。
立っていた二人の男がスイに背を向けて走り出す。
「もし――もし、私が貴方達に会わなければ! こんなことで悩まなかったかもしれないのにっ!! アイネみたいに、ちゃんと言葉にできたかもしれないのにぃいいいっ!」
だが、もう遅かった。
スイの振り下ろされた剣が足元に砂に叩きつけられた瞬間――
「ブレイズラアアアアッシュッ!」
スイの足元から、炎が拡散していく。
それは男達の体を宙に浮かせて――ほんの一瞬の後、彼らの動きを完全に止めた。
――死んではいない。手加減はしている。
そもそも、スイは人を殺せない。言葉でどう繕っても、そんな割り切りができるほどスイは大人じゃない。
それでもスイは、無残に砂漠の砂に叩きつけられた男達を見ても、表情一つ変えなかった。
大人じゃない自分を認めたくなかったから。
「…………」
ふと、目の前にいるラクダ達に視線を移す。
相変わらず、ラクダ達はピクリともしていない。
目の前でこんなことが起きているのにもかかわらずだ。
「あぅ……何やってんだろ……私……」
しばらくの間、ラクダを見つめ続けていたスイは、ふとその場にしゃがみこむ。
スイを砂に突き付けて、力なく尻餅をついた。
「ただの言い訳だよ。こんなの……私、バカみたい……ほんっと、情けない……」
どこか呆然としたまま、空を見上げる。
星々が輝く澄んだ空。
――それなのに。
「アイネ……ぅ……なに、これ……」
スイの表情は淀んでいた。
それどころか、スイの頬には雫が流れていた。
「いやだ……いやだよ……私、こんな嫌な子、なりたくないよ……」
慌てて目をぬぐうスイ。
ガントレットの上からでは、うまく目的が達成できない。
急いでそれを外して、なんとか堪える。
「つ、強くならないと……せめて私は、強く……!」
僅かに届く空からの光が剣の刃によって反射されている。
その光を見て、スイは唇を強く結んだ。
「剣の才能がなかったら、私――私はっ!」
立ち上がり、剣の柄を掴む。
何度か振るい体を動かす。
「……せめて、これだけでもっ……わ、私にだって! できることがっ――」
――本当に?
私の力なんて、『彼』の力に遠く及ばない。
……何をしてあげられる?
アイネは多分、見つけたんだ。
自分が『彼』の傍にいる意味を。
じゃなきゃ、あんな顔――できるはずがない。
――じゃあ、私は?
いつまでも、傍に立つことを恐れて……でも、その立場を欲して……
結局、何も変えられない。変わるのが怖い。そもそも自分の気持ちと向き合うのが怖い。
「……本当は気づいてたよ……私がサラマンダーを倒したとき、最後に貴方が『手助け』してくれたこと……」
『彼』は、私に自信を与えてくれようとした。
それは確かに、そうだ。
私はサラマンダーを倒すことができた。
でも、最後に私がよろけた時、『彼』が声をかけてサラマンダーの気をそらしてくれなかったら――?
はたして、私はサラマンダーに勝ったといえるのだろうか……?
……ううん、仮にそういえなくてもいい。
『彼』のおかげで、私は戦おうと決意できた。
それは、確かに私にとっての前進だ。
それを認めないと、『彼』がしてくれたことが無駄になる。
そもそも、力なんてなくたって――『彼』は、私のことを認めてくれる。
今練習しているスキルを得ることができなかったとしても『彼』は一緒にいてくれるだろう。
私だってそうだ。仮にあのまま、『彼』が力をみせなかったとしても……
でも、それでも――
「な、なんでもいい……私にも、貴方の傍にいてもいい理由……教えて……!! お願いっ――!!!」
――なぜだろう。
どうしても認めるのが怖い。
もう、明らかなのに。
どう考えたって、明らかなのに。
初めての気持ちで、頭がこんがらがっていく。
「う、うぅ……うぇえ……うええっ……」
よくわからない。……というか、わかりたくない。
でも、一つだけ……どうしようもなく。
――とても、胸が痛い。それは明確に自覚できている。
「わ、私も……リーダー……うあぁっ……うああああっ……好き、だよぉ……うええぇっ……」
自分でも、自分がなんて言っているのかよくわからない。聞こえていない。
もう、頭がぐちゃぐちゃして……
でも、こんなところを皆に――『彼』には、絶対に見せたくないから。
私は、涙が止まるまで皆のいるテントから離れた場所にいた。