401話 ログエッド大橋街
「ほら、師匠。ここが……いいんだろ? んっ……」
囁くようなしっとりとしたセナの声が耳元に響く。
「あ、あぁ……そうだな……ぅぁ……」
セナの手が押し込まれるたびに、思わず声が漏れてしまう。
鼓膜をくすぐるセナの吐息とあわせて、どこか浮遊感すら覚えてしまう心地よさ。
「お兄ちゃん、気持ちよさそー……私も、する」
「交代な。いきなり二人だとやりにくいだろ」
「むー……でも、セナばっか触る。ずるい」
「しょーがないなぁ、ほら……」
駄々っ子をなだめる姉のような、優しさのこもったセナの声。
その声に導かれるように、ユミフィの手がおずおずと俺に触れてきた。
「おいおい、スイにもしてやれって。俺よりスイの方が疲れてるんだから」
「い、いえいえ。そんな! 私は別に肩こってないですよ」
と、スイに話題を向けると、彼女は慌てた様子で手を横に振ってきた。
一夜明けた後、俺達は、ラグナクア砂漠に向かうために南西に更に進んでいた。
馬車の操作をスイに任せっぱなしというのは悪いので、試しに俺がやってみることにしたところ、なんとなくコツがつかめたため、問題なく先に進むことができている。
相変わらず見通しの良い景色が続いており、遠目にみえた魔物はユミフィが全て弓矢で撃退してくれている。
だから特に疲れるようなことはないはずなのだが――とにかく、体中がきしむように痛い。
それを心配したセナ達が俺にマッサージをふるまってくれていたのだが。
「それに、多分リーダーの疲れは……あはは……」
苦笑いを浮かべるスイ。
――そう。おそらく、この体の痛みは変な態勢のまま寝たせいだ。
女の子達に抱き着かれて寝るのはまさに男の夢なのかもしれないが――心地よさそうに眠る三人を起こさないように態勢を維持したまま座って寝るのは、正直かなりきつかった。
とはいえ、おいしいというか――まあ、俺も別の心があったとはなかったとはいえず。
お互い様ということでそこは一切触れないでおく。
「でも、そろそろゴールかな。今日の目的地ってあそこか?」
徐々に周囲の草木がはげてきたと思いきや、眼前に広がったのは巨大な渓谷だ。
以前、ルドフォア湖の周辺で、エンペラークエイクを使ったときに作り出された光景によく似ている。
違うところといえば、その大渓谷に砦のような巨大な橋がかけられているということか。
「あ、そうですね。ログエッド大橋街というところです」
それを見て、スイが思い出したように地図を取り出してきた。
何度か地図と眼前の光景を見比べた後に一度頷くスイ。
「……エクツァー、違う?」
そんなスイに、怪訝な声を投げるユミフィ。
「ラグナクア砂漠に行く前に、リグルミース大渓谷を渡る必要があるので……ログエッドは、渓谷を渡るための橋なんですが……その橋が街としての機能も備えているみたいですね」
「みたい――ってことは、ここはスイも来たことがないところなのか?」
「はい……南西の方はあまり治安が良くないときいているので。近づきたくなかったんですよ……」
そう言いながら、苦笑いを浮かべるスイ。
……そういえば、スイはドルトレット盗賊団に襲われたことが何度かあると言っていたっけ。
「へい、兄ちゃん。随分かわいい嬢ちゃんたちを連れてるなぁ!」
そんなことを考えているうちに、俺達は、ログエッドの入り口にたどり着いた。
声をかけてきたのは門番兵だ。重厚感のあるフルフェイスの鎧には似合わない陽気な声だ。
「あ……はい……」
「ログエットへの入場税は一人銀貨5枚だ。よろしくな!」
「入場税……」
――そんなものがあるのか。
という俺の驚きと不満が顔に出てしまったのだろう。
門番兵は、片手を前に出して軽く頭を下げてきた。
「悪い悪い。見ての通り、この橋は維持が大変でな。頼むわー」
税を徴収するファンタジーの兵といえば、もう少し高圧的なイメージがあったが――意外に低姿勢なものだ。
ともあれ、そういうルールならば仕方ないだろう。
スイは、一瞬俺に目配せをしてくるとすっと立ち上がり、お金を渡す。
「……わかりました。では現金で」
「ほいよ。あれ……君……」
ふと、スイを見た男の動きが止まる。
「どうしましたか?」
「いや……ごめん。他人の空似かな? ちょっと俺の知っている人に似ていたから」
「そ、そうですか……」
若干うわずった声をあげて、スイがもとの席に座った。
俺の影にかくれるように縮こまるスイ。
――スイは大陸の英雄と呼ばれるほどの実力者だ。顔がばれていてもおかしくない。
やはり、もっとうまく顔を隠せるように、ローブとかを買った方がいいのかもしれない。
「……みたところ冒険者のようだけど、ギルドカードでの支払いはしないのかい?」
そんなことを考えていると、男が怪訝そうな声で問いかけてきた。
それに対して、スイは淡々とした声色で返事をする。
「このぐらいなら現金で払いますよ?」
「……そうかい。じゃ、ただの深読みだな。すまんすまん。ま、拉致されないように気をつけなよ。ほいっ」
そう言うと、興味を失ったように、あっさりと門番兵は引きさがる。
――って拉致!?
その物騒な単語に、セナがおずおずとした様子で反応した。
「拉致って……そんなに危ないところなのか?」
「分かりませんけど。でもセナなら大丈夫ですよ。レベル40もあれば、変な男に絡まれても簡単に追い払えますから」
「うーん……」
濃い青の髪をぐるぐるといじりながら呟くようにそういうセナ。どうやら心配は払いきれていないようだ。
そんなセナの内心を察したのか、スイが明るい声で言い放つ。
「とりあえず、今日はこの馬車を馬車屋に預けて休みましょう。砂漠を渡るにはラクダを借りるみたいですよ」
「……ラクダ?」
ピンとこない様子のユミフィとセナ。
「はい。馬は砂漠の環境にはついていけないようなのでラクダです。……まぁ、あまり早くはないみたいですけどね」
「へぇー……ラクダ……ラクダ……?」
砂漠にラクダというのはイメージ通りなのだが――二人にとってはそうでもないらしい。
もしかして、ラクダという生き物を知らないのではないだろうか。
怪訝に首を傾げたまま、二人はスイの方を見つめ続けている。
「と、とりあえず、色々回ってみましょ! ね!」
若干声を上ずらせるスイに手を差し伸べるためにも。
俺は、手綱を握り馬車を進行させた。