400話 眠気
「……さい。…………しょう……」
まどろみの中、心地の良い澄んだ声が聞こえてくる。
僅かに体を揺さぶられ、ゆっくりと意識が覚醒に向かっていく。
「起きてください。ここで今日は休みますよ」
「――ん?」
「ちゃんとしたところで寝ないと。疲れ、とれないですよ?」
瞼を開いて真っ先に見えたのは、苦笑いをしているスイの顔だった。
その顔を見て、俺は今の状況を思い出した。
トーラの南西にあるラグナクア砂漠。
俺達は、そこに向かうため、トーラから馬車を使って移動していたのだ。
召喚獣を出すことも考えてはみたが――人に見られるのはどんなリスクがあるかわからない。
カミーラとの一件もあるし、急がなければなにかまずいことが起こるという話も特にない。
だから、俺達は普通に馬車に乗りながら南西に向けて移動を続けていた。
「すひー……」
「ん……」
ふと、二方向から聞こえてくるかわいらしい吐息が耳をくすぐってくる。
俺の膝にはユミフィが、肩にはセナが寄りかかっていた。
「皆して寝ちゃって。まだそんなに遅い時間じゃないですよ?」
「あ、あぁ……ごめん。スイばっかり……」
トーラを出てからというもの、随分と長い間、静かな時間が続いていた。
周囲は丘のような場所が連なっており、風が草々をさらさらと揺らす音がわずかに響いている。
そんな中、スイは、馬車の前の席で手綱を揺らし、馬たちをなだめていた。
「それは大丈夫ですよ。まぁ……ずいぶん静かになっちゃいましたから。仕方ないかもしれませんね」
何度か鼻嵐を繰り返す馬たちが静かになると、スイは安心したように手綱を離す。
そのまま後ろの席に座っている俺に向かって振り返ると、スイが優しく微笑んできた。
月光に照らされ、幻想的な光景になっていることもあるだろうが――その表情はどこか寂し気だ。
「……そうだな」
そして、おそらく俺も、同じような表情をしていたと思う。
トワとアイネと別れてからというものの、俺達の会話数は驚くぐらい減っていた。
別に居心地は悪くない。特に盛り上がった時間を過ごしていなくたって、それはそれでリラックスできて心地良い。
それでも、トワとアイネが俺達にとっていかに良いムードメーカーであったかを痛感していた。
――やっぱり、二人と別れたのは寂しいな……
別に今生の別れというわけではない。
だが、ずっと一緒にいた仲間と本格的に別行動をするのは初めてだ。
できれば、明日にでも二人の顔が見たい――そんな気持ちになっていると。
「…………」
ふと、スイがじっと俺のことを見つめていることに気づく。
どこか意味ありげな視線。スイがここまで強調した感じで目を合わせてくるのは珍しい。
「えと……どうした?」
「いえ……その……」
と思って声をかけた瞬間、スイはあっさりと俺から目をそらした。
前の席の背もたれをつかんでうつむくスイ。
「アイネの気持ち、応えてくれたんですね」
「え?」
「……よかったです。アイネ、いい子ですから。……大事にしてください」
「あ、あぁ……」
さっきまで、じっと俺のことを見つめてきたのとは対照的に、スイはうつむいたままで俺と目を合わせない。
馬車から降りようともせず、何か話すわけでもなく。
ただただ沈黙が流れること数十秒。
「……それで、その……」
そんな沈黙に耐えられなくなったのか。
スイは、おそるおそるといった感じで俺のことを見上げてきた。
「リーダーは今、楽しいですか……?」
「え?」
「さっきから困ったような顔してるから」
「いや……」
うつむいていたと思っていたが、ちゃんと俺の顔を見ていたのか。
それはそれで少し恥ずかしい。
「……ごめんなさい。私、男の子が好きな話題って……貴方が好きな話題って、よくわからないです……だから、貴方が一緒にいる女の子としては……ちょっとつまらないかなって……」
と、どうやってスイの言葉に返すべきか戸惑っていると、スイがため息をついた。
いけないと思って、慌てて言葉を返す。
「別にこれといって好きとか嫌いとか、あるわけじゃないよ。無理に話さなくたって、俺は楽しいよ」
「そうなんですか?」
「あ、あぁ……それに俺だって自分から話しかけるタイプじゃないだろ。こういう方が落ち着くんだよ」
「……ふふ。たしかに、それはそれでリーダーらしいですね」
そう言いながら、少しからかうように微笑むスイ。
いったな、と笑うと、スイもくすくすと笑ってくれる。
「スイは何か好きな話題があるのか? それなら、それをききたいけど」
「えっ――? わ、私が?」
ふと、頓狂な声をあげるスイ。
「……はは。私も特に何か好きな話ってないですね。ごめんなさい……」
「いやいや。謝るなって。俺も同じなんだからさ」
「そんな。リーダーは、いいんですよ」
「どうしてさ」
「それは……えと……はは……」
からさまな苦笑いをうかべるスイ。
……会話が続かない。気まずいとは思わないが、もうちょっとスイと弾んだ会話ができないものか。
なにかこう――相手のことをきいてみるとか。
「そういえば、スキルの練習は大丈夫か? トーラじゃ少し思い詰めてたようだけど」
「そうですね……順調とはいえないです。やっぱり、コントロールの精度が……」
と、やや暗くなったスイの表情を見て俺は後悔した。
とっさに考えたものとはいえ、この話題で弾んだ会話になるはずがないじゃないか。
そう自分に呆れてはみるものの出してしまった言葉は戻せない。
内心の焦りを隠しつつ、なんとかごまかそうと言葉を続ける。
「別のスキルにした方がいいのかもな。スイにはそれの方があってたり?」
「どうでしょうか……私のマナは炎に転じやすい性質みたいなんですけどね。炎属性の攻撃には、結構適正がある方だと思ってたんですけど……」
たしかに、スイはよくブレイズラッシュというスキルを使っている。
剣を媒介に、気力を使って炎の壁を一時的に起こすスキルだ。
ゲームでは、ブレイズラッシュは自分の周囲に一瞬炎の壁を発生させ、それを剣で切り裂くというものだったが――スイの使うブレイズラッシュは、そんなものではない。
様々な形で炎を発生させる彼女なら、確かに適性があると思うのだが――
「……ふふ。そんな顔しないでください。なんだかくすぐったいですよ」
ふと、そう言いながらスイが俺の顔の前で手を何度か振ってきた。
「えっ……? ど、どういう顔だよ」
「うまく言えないけど……その、なんか……想われてる、みたいな……?」
頬をかきながら照れくさそうに笑うスイ。
だが、すぐにスイは、ハッと息をのんで俺の方を向いてきた。
「――って、違いますよ? べ、別に自意識過剰とかそういう……ち、違いますからねっ! わ、私……別に変な意味で言ってるんじゃ……そ、そういう……」
「はは、わかってるって。そろそろ二人を起こそうぜ」
「……そ、そうですね」
大きくため息をつくスイ。
馬車をうまく使えるのはスイだけだ。
彼女も疲れているのだろう。
「……でも、本当に気持ちよさそうですね……二人とも……」
「ははっ、まぁな。ちょっと罪悪感だ」
「私も……」
と、スイがぐっと顔を近づけてきた。
思いのほか、目と鼻の先にまで移動してきたスイの顔。
それに驚いていると、スイがぼーっとした顔をうかべながら呟いた。
「私も、試してみたいなぁ……」
「え……?」
「え?」
なぜ俺に見られているかわからない、といいたげに首を傾げるスイ。
……もしかして、無意識で言ったのだろうか。
「…………」
「…………」
沈黙が続く。
ふと、何を思ったのか、スイがゆっくりと立ち上がった。
「あ、あの。……いやだったら、どいてくれていいので……ふぁ……」
そのまま席を跨いで俺の前に立つと、スイは大きく伸びをした。
――何をする気だ……?
どこか呆けた表情でそのまま足元に座り込むスイ。
馬車の後座席は、足を完全に伸ばせるほど広いものではないのだが――そんなことはお構いなしに、スイは俺の膝下にしゃがみこんでいる。
「……んぁ。ぅ……」
「え、スイ……?」
「ん……」
ユミフィの顔を押しのけて、そのまま顔を俺のお腹の下――というか、なんというか、なんともいえない微妙なところにうずめるスイ。
あまりに大胆な行動に絶句していると、十秒もたたないうちに静かな吐息が聞こえてきた。
「……すぅー……ぅー……」
「う、嘘だろ!?」
スイの肩を触って揺らしてみるが、なんの反応もない。
――冷静に考えれば、長時間、一人で場所の操作を任せていたのだ。
疲れてしまうのも当たり前か。
「……ん。ぅ……ぅ。すー……」
息があたる。
なにに、とは言わないが。
――あたる。
「……あー、長い夜になりそうだ……」