388話 金髪のメイド
月光降り注ぐ森の中。
草木がこすれ合う音の中、一人の少女が呆然と立ち尽くしていた。
「……え、マスター?」
サイドテールにまとめられた金髪は、月光を見事に反射し鮮やかに輝いている。
黒のメイド服にオーソドックスなニーハイ。
腕は白い長手袋に包まれていて、頭にはいかにもメイドといった見た目のヘッドドレス。
メイド、という以外には特に何の特徴もない――それでも、見事に似合ったメイド服を身に纏ったその少女は、困惑に満ちた表情で周囲を見渡していた。
「マスター? え……え?」
数歩歩いて視線を泳がし、また数歩足を進める。
そんなことを何回か繰り返した後、その少女は、立ち眩んだかのように額に手を添えた。
「ここは……森? 何故……? それに、敵もいない……?」
そう言葉には出したものの、少女の表情から緊張は抜けていない。
じっと周囲を見渡しながら腰に手をまわす。
「嘘……装備もないのですか? 一体何が……くっ……」
ふと、慌てた様子で自分の服を見下ろす少女。
自分を落ち着かせるように胸に手をあてて、何度か深呼吸を繰り返す。
「いえ、落ち着きなさいリステル……我がマスターが絶対の信頼を置く従者たる私が無様を晒すわけには参りません……大丈夫……だって、マスターは私のことが大好きですから……大きな声で呼べばきっと私に会いに来るはず……!」
そういうと、リステルと自称した少女はそのまま天を仰いだ。
すぅーっと大きく息を吸い込み、そして――
「マスタアアアアアアアアアッ! マーーースーーーターーーー!!」
周囲の草木を吹き飛ばすような大声で、リステルが叫ぶ。
――当然ともいうべきか。その声にこたえるものはいなかった。
「……あぁ、違う。違いますね。私は従者。主の方を動かそうとするなんてなんておこがましい……私から動かなければっ……!」
焦ったような声でそう言いながら、リステルが自分の頭を叩く。
そんな時、リステルの耳に、男の濁声が飛び込んできた。
「おい、なんだ今の声。女か?」
「随分と若そうな声じゃねえか。へへ……」
ハッとした様子で、リステルが声のする方向を振り返る。
すると、木々の裏側から五人程の男が現れてきた。
「ほほっ! 見ろよ! なんだアイツ! とんでもねぇ上玉だぞっ!」
「ウホッ、いいメイド……」
「テェヒッ! いっちょ抜いとくかぁ!」
下品な笑い声をあげながら、男達がリステルに近づいてくる。
急に現れた彼らをいぶかしげに見つめ続けるリステル。
「おいおいおい。そこのキャワイイ、メイドちゃん? こんなところで何してんの?」
「ごちゅじんちゃまとはぐれちゃったのかなぁ? かわいちょうだねぇ!」
「ウホッ、いい顔と胸っ……!」
舐めてくるような気色悪い視線に、リステルが一歩後ずさりをする。
「……なんですか、貴方達は」
どう考えても好意的ではない声色。
しかし、男達は、上機嫌な様子のまま、さらにリステルに近づいてきた。
「初めまして! オレ、ドルトレット盗賊団所属のイケメンシーフ。名前はヴェルビー・ステルビーノ! 略してビービー! 早速だけど君のビービー、触らせてくんなぁい?」
「……はぁ?」
リステルの胸にむかって、両手の人差指をたて、ぐるぐると回す動作をする男。
そんな彼に向かって、リステルが呆れた様子で首を傾げる。
「さすがビービー先輩っ! 初対面でも美少女相手なら攻めまくる!」
「テェヒ! オレ、金髪、タイプ!」
「ウホッ、いい唇……!」
他の男達もリステルを囲うように近づいてきた。
そんな彼らをきょろきょろと見渡しながら、リステルがため息をつく。
「……あの、質問してもよろしいでしょうか?」
視線を下にずらし、やや俯いた感じになるリステル。
しおらしくも見えるその様子に、一人の男がニヤリと笑って顔を近づけた。
「え。何々? なんでも聞いて? 何から知りたい? ビービー君がフルパワーの時、何センチとかぁ?」
「テェヒ! ちなみにオレは10センチ。平均だと信じたい。テェヒッ!!」
「……一応。一応、質問だけしてみる価値はあるのかと思料しておりまして」
明らかに嫌悪感に満ちた表情を浮かべながらも、リステルは男達から視線を反らさない。
「私のマスターをご存知ではありませんか。先ほどまで魔術師として私と共に戦っていたのですが見あたらなくて」
「魔術師……? そんなヤツいたか?」
「さぁ? つか、こんなところに魔術師が来る理由なんてなくね?」
そんなリステルの問いかけを適当にいなす男達。
ヴェルビーと名乗ったリーダー格の男がリステルの前に立ち、ニタリと舌を出した。
「まぁまぁ。別にいいんじゃね? だってほら、今からオレがコイツのマスターになればいんだからよぉ!」
「ちょっ、先輩。オレにも分けてくださいよぉ。この女、マジオレの好みっす」
「テェヒッ! 好みがどうとかレベル超えて、超絶イケてる!」
「ウホッ、いい体っ……!」
その男を取り巻くような位置で他の男達が騒ぎ立てる。
そんな彼らを無言で見つめ続けるリステル。
「まぁまぁまぁ。オレも器がでっかいからよ。飽きたらまわしてやっから。まずはオレがぶっかけさせろ。な?」
「くぅ~! いいなぁ、いいなぁ! オレもぶっかけてぇ!!」
そう言って一人の男が股間の前で手を上下させる。
それを見て、リステルは大きなため息をついた。
「……ぶっかけ、ですか。そのようなお言葉を発することは、厳にお控え願えますか。不快極まりないので」
ぼそぼそと呟くような言い方で声をあげるリステル。
そんな彼女の声をきいて、男達があざ笑う。
「あ~! 可愛い声だなぁ! そんじゃビービー、ハッスルしちゃいまぁ~す!」
「じゃあオレが脱がすの手伝いますよっ! うっほほほー!!」
「テェヒヒ――ビチュォアアアッ!?」
――のもつかの間。
一人の男の体が宙を舞った。
「……へ? ごっ――」
あっけにとられるヴェルビー。
その頬に、リステルの拳が入る。
「ぶごっ――ごぇ……」
次の瞬間、ヴェルビーの体が数十回転しながら後方に飛んで行った。
木に叩きつけられ、体があられもしない方向に曲がる。
「……は?」
まだ十代と思われる小柄な少女が、拳一つで男二人を瞬時に地に伏せさせた現実。
それを一瞬で理解できるほど、彼らは利口ではない。
「さて――貴方達が私に対し、分不相応な欲情を抱き、外道極まりない行いに転じようとしていたことは明白です」
「うがっ――」
男達が目で追うこともできないスピードで、リステルの蹴りが一人の男の体を飛ばす。
まるで塵のように人の体をあっさりと飛ばすリステルの芸当に、男達は身動きをとることができない。
「――そも、私の『ビービー』に『ビービー』なことができるのは、この世でただ一人だけ。我がマスターをおいて他にございません」
体を一回転させて、自分がさっきした蹴りの勢いを殺すリステル。
そのまま直立し、何回か拳を鳴らして微笑みを浮かべる。
「聞くにたえない醜悪な言葉を羅列していただいた手前、大変恐縮ですが――ご逝去していただければ幸甚でございます」
「ちょっ――」
男の後ずさりに合わせて、リステルが一歩を踏み出す。
一気に逃げ出そうと、男達が背を向けた瞬間、リステルは一気に目を鋭くさせた。
「せめて、そうですね」
「うぎっ――!」
一人の男が地面に屈する。
その背後から、リステルが薄く笑みを浮かべて男達を見下ろしていた。
「ご所望の『ぶっかけ』のお手伝いはさせていただきましょう。貴殿達の、血を『ぶっかけ』るお手伝いを、ね?」
「ひっ――」
男達のうめき声は、夜の静かな森の中ではよくきこえる。
当然、リステルの耳にもしっかりと入っていた。
それでも、リステルは、無情に拳を振り下ろした。