387話 黒一色
牢獄を出て、螺旋階段を登り、泥まみれの道を歩く。
洞窟のような空間を進むこと数分間。
壁から不自然に浮き出るように存在する石の扉を開けて、アインベル達は中に入った。
「ここは……?」
石を乱雑に積み上げたようなデコボコした壁。
足の踏み場もないほどにばらまかれた多数の資料。
黒いオーラを纏った謎の装置。
「研究所か……?」
問いかけるように、アインベルがレシルとルイリに視線を移す。
だが、二人は空間の中に入ってからというもの、アインベルに目もくれず壁によりかかったままだ。
「ん、ん、んー? チミがぼきゅの新しいモルモットきゅんかぃ?」
そんな中、装置の裏から一人の男があらわれた。
しゃがれた声に似合う、しわだらけの顔と曲がった背中。
薄汚れた白衣に、半端に禿げたちりちりの白髪。
その隣には、ピンクの髪をツインテールに縛り上げた女性――ヴェロニカがいる。
「ん、ん、んー! チミチミ。とてもいい肉体だ。見どころあるよ。んっふふふ!」
一見すると、いかにも弱々しそうな老人なのだが、そのテンションはやけに高い。
かすれて消えそうな声をしているのに、ぴょんぴょんと元気に跳ねながらアインベルに近づいてくる。
「それにしても……ん、んーっ! チミ達、久しぶりだね。ぼきゅのこと、覚えてるかい?」
その途中で、白衣の男は、レシルとルイリにも声をかけた。
上がった口角のせいで、しわだらけの顔がさらにしわくちゃになる。
「…………」
「申し訳ないですが……」
すっと後ずさりをする二人。
その顔には明らかに嫌悪の色が浮かび上がっている。
「ん、んー! まぁ、仕方ないね。ぼきゅは研究で忙しかったから。覚えてる方がおかしいか。でもそんなに恐縮しないで! なんてったって、ぼきゅはそう、チミ達のパパだからさっ。んっふふふ!」
半ばせき込んでいるかのような奇妙な笑い方をしながら、白衣の男は、機嫌よくステップを踏み始めた。
ふと、装置によりかかるように立つヴェロニカが声を張り上げる。
「デルマー! いつまで馬鹿なことやってるのよ!」
「ん、んー! そんなこと言わなくてもいいじゃないか。ぼきゅはただ、自分の研究の成果を確かめたいだけだよ。ん、ん、んー!」
ヴェロニカに咎められても、デルマーと呼ばれたその男はステップをふむのを止めない。
そんな彼の背中を見て、ヴェロニカが手に持った鞭を強く握りしめた。
「気持ちわる……まじでぶっ殺してやろうかしら」
「んっふふふ! そんなことしていいのかな。いいのかな? ぼきゅがいないと、チミはただ敗走しただけになっちゃうよ。この手土産を活かせるかどうかは、ぼきゅ次第っ!」
前に曲がっていたデルマーの背中が、いきなり反対側に降り曲がる。
そのままブリッジの体勢になるデルマー。
「このっ――テメェだってヴェロちゃんがいねぇと、何もできない雑魚じゃねえかぁ!!」
「そうそう、そうだよ。ぼきゅ達は助け合って生きてるんだ。んー! なんて素敵な共存関係っ! 魔族って、とってもすばらシー!」
ブリッジの体勢のままデルマーは奇妙なステップを続けている。
かと思いきや、いきなりデルマーは上半身を起こしてアインベルに近づいてきた。
「あぁ、ごめんごめん。挨拶が送れたね。歓迎するよ。チミは今日からぼきゅの子だ」
「……ふざけておるのか?」
ニタニタと笑い続けるデルマーに、アインベルが威圧的な声を出す。
「んぅ! なんて渋いんだっ! こんなタイプの子供を持つのは、ぼきゅ、初めてだよっ! んっふふふ! ときめくなぁ、どんな力が目覚めるのか、空想がとまらないっ!」
「……なに、アンタってただのロリコンじゃなかったの?」
と、デルマーの背後からヴェロニカの刺すような声が響く。
するとデルマーは、上半身だけをぐるりと後ろに回転させてヴェロニカの方に振り返った。
「心外だなぁ! ぼきゅはただ、空想が好きなだけだよ。実験体に小さな女の子が多いのは、ただの結果論さ。ヴェロニカくんだって、そういう子を狙ってきただろう?」
「…………」
デルマーの言葉に、ヴェロニカは答えない。
ただ、ひきつった顔で彼のことを見続けるだけだ。
「――まぁ、小さい子供の方がすぐに黙らせることができるから、やりやすいんだけどね。『エクリ』の完成もそのおかげだ! うふふふふふふぅ!!」
ふと、そう言いながらデルマーが体を戻す。
その顔は寒気がするほど邪な笑みに満ちていた。
「……貴様の言うことは、ワシには分からぬ」
「ん?」
そんなデルマーを見て、アインベルが拳をあげる。
「だが、貴様の狂気は、ワシには分かる。……ここで、ワシが貴様に従うことの愚かさも」
自分の顔の近くに振り上げられたアインベルの拳を見て、デルマーは恍惚な表情を浮かべた。
「んんー! いいね、熱いね。こういうタイプ、ぼきゅは憧れるなあ! こんな子供ができるなんて、ぼきゅはなんて幸せなんだ!」
「ふざけおってぇ! 練――」
「バインドロープ」
アインベルが練気を使おうとした、その瞬間。
その瞬間に、ヴェロニカの鞭がアインベルの体を縛り上げた。
「ぬ、お……?」
あまりにも一瞬の出来事に、アインベルは唖然と声を漏らすことしかできない。
瞬時に悟った。
このヴェロニカと呼ばれた女は格が違うと。
「あのさぁ、ヴェロちゃん、ただでさえイライラしてるの。訳の分かんない人間に会うわ『新魔王』の話も出てくるわ……お肌がボロボロになっちゃうわ。マジで黙っててくれない?」
「ぐっ、おぉっ――!?」
強烈に体を締め付けてくるヴェロニカの鞭。
抵抗しようともがいても、アインベルの手足はまったく動かない。
むしろそのせいで、アインベルはバランスを崩し、地面に倒れこんでしまった。
「ん、ん、んー。怖がらなくても大丈夫。これから君は、偉大な力を手に入れるんだ」
そんなアインベルにむかって、デルマーがしゃがみこんで話しかける。
苦悶の表情を浮かべながら、アインベルが呻く。
「力……だとっ……!?」
「そうそうそう。ぼきゅの手によってね。んっふふふ。大丈夫。ぼきゅは決して、大切な子供を見放したりしないから」
「なっ――」
次の瞬間、アインベルは目を見開いた。
デルマーの手に握られた黒いクリスタル。
そこから放たれる黒いオーラに包まれ、デルマーの腕が変化していく。
いや――変化というより、黒いオーラと同化したという表現の方が正確だろう。
「お前……な、なにを――」
「じゃあ、始めようか。いざ、空想を現実にっ!!」
大きく体を反らして天井を見上げるデルマー。
そのデルマーの感情を表現しているかのように、黒いオーラが大きく広がっていく。
「や、やめっ――」
「んっふふふふふぅ! 今日からぼきゅ達は親子だよおおおおおおおっ!!」
高らかに笑うデルマーの声をききながら――
アインベルの視界は、黒一色に閉ざされた。




