386話 囚われの男
「ここは……」
――じゃらり。
暗い石の牢獄の中、鎖がこすれる音が数回響く。
そこに混じる、男の渋い声。
「ワシは……生きているのか……?」
頭についた黒い猫耳をピンと立てて、その男――アインベルは自分の体を見下ろした。
「傷が消えている……? むっ」
直後、アインベルの顔が強張った。
手首、腰、そして足首を鎖で縛られ壁に貼り付けられた状態であることを認識したのだ。
明らかに誰かに拘束されている状態だ。
「あら、目覚めてるじゃない。ならちょうどいいわ」
「誰だっ!」
直後、聞こえてきた少女の声に、アインベルが声を張った。
すると、嫌そうな顔をしながら耳に手を当てた少女がアインベルの前に姿を現す。
「随分むさい男。ヴェロニカ様の好みじゃなさそうだけど……ほんとに、こいつでいいのかしら……」
その少女は、レシルだった。
露骨にため息をつきながら、アインベルに近づいていく。
「まぁいいんじゃないかしら。素質はあるってことでしょ……」
その後ろでもう一人の少女――ルイリもため息をついた。
腰に手を当てて、気怠そうにあくびをしている。
そんな彼女達に、アインベルは渋い顔で問いかけた。
「お前ら――いったい、何を言っている?」
「別に。ただ、あんたの今後に同情してるだけよ」
「なんだと? ふざけているのか」
「そう見える?」
「っ……」
淡々と返すレシルに、アインベルが言葉を詰まらせた。
数秒後、アインベルは思い出したようにハッと息をのんで体をじたばたと動かす。
「くっ――ここはどこだっ! アイネはどうなった! お前達は何者だっ!」
「はー……質問だらけでやになるわ。いちいち答えてあげるほど、あたし達はお人よしじゃないわよ」
「貴様っ――!?」
アインベルが縛られた腕を前に動かそうともがいた瞬間。
レシルが持っていた大剣を振るってアインベルの体を拘束していた鎖を切り刻む。
一瞬の内に、あっさりと自由を与えられたアインベルは、半ば呆然とした表情で数回瞬きを繰り返した。
「……なんのつもりだ?」
だが、すぐにアインベルの表情に鋭さが戻る。
「ついてきてもらうだけよ。あたしが担ぐのいやだし」
「ワシが黙って従うと思っておるのか?」
「別にいいわよ。ここでやっても。でも、こっちこそきいていい? あんただけであたし達二人に、本気で勝てると思ってるわけ?」
「ほざくな――練気・拳っ!」
アインベルの拳に青白い光が纏う。
呆れたようにため息をつくレシル。
「ったく……だるいわね」
「甘くみるなっ! ゆくぞっ!!」
「本気でやるつもり?」
気怠そうに苦笑いをみせるルイリ。
そんな彼女に、アインベルは拳で答える。
「ぬおおおおおっ! ――っ!?」
だが、すぐにその拳は止められてしまった。
アインベルの腕をつかみ、あっさりと攻撃を止めるレシル。
「あんた、遅すぎよ? 本当にこんなヤツを使うつもりなのかしら」
「さぁ。でも私達も前は似たようなものだったんじゃない」
「……もしそうならちょっとむかつくわね」
「そうね。でも、とりあえず行きましょう。待たせすぎるとまた殴られる」
「はぁ……それもそうね……」
必死に拳を振り下ろそうとするアインベルに見向きもせず、気怠そうに話し合う二人。
言うまでもなく、力の差は明白だった。
アインベルの頬を汗が伝う。
「……お前達がレシルとルイリか?」
「そうだけど。だったらなに?」
「何故、ワシは生きている? ワシになにをするつもりだ」
「貴方が知る必要はないわ。貴方の意思なんて関係ないもの」
「それをお前らに決められるいわれはない」
「そうね。でも、諦めるしかないことって、世の中色々あるでしょう?」
投げやりといった感じで口角をあげるレシルとルイリ。
そんな彼女達を見て、アインベルは怪訝に眉をひそめた。
「……お前ら、何を考えている?」
「何も考えてなんかいないわ。私達の意思だって、関係ない――必要ないもの」
視線を交わすこともなく、レシルは、剣を使って散らばった鎖を端によせていく。
「とりあえずついてきてくれるかしら。それとも動けなくなってから運ばれたい?」
言葉とは裏腹に、気の抜けた顔で大鎌を持つルイリ。
そんな彼女達を見て、アインベルは、くっと唇をかみしめた。
――ワシは、こやつらに絶対勝てん……
さっきレシルが見せた剣の動き。
それだけ見れば、相手が自分より格上だということは分かる。
大剣という、大振りをする必要のある武器なのにもかかわらず、それを捌くスピードはスイと同等かそれ以上。
そんなことができる身体能力を持つ者を、アインベルは『彼』しか知らなかった。
「ちょっと。早くついてきてよ。それとも、本気で抵抗するつもりなの?」
「む……」
自分にかけられた声で、アインベルは、我に返った。
改めて拳を強く握り、アインベルは目の前の少女達を睨む。
「なに?」
きょとんと首を傾げるレシルとルイリ。
油断や慢心――そんなものを通り越したような、気の抜けた表情。
彼女達は、アインベルのことを敵と認識していない。
――ここは従うしかないか……
実力も人数も不利な状態で暴れまわっても損しかない。
それぐらいの打算ができないほど、アインベルはプライドに凝り固まってはいなかった。