376話 二人の少女の愛
「っ……」
何も声が出せない。
図星を突かれたとか、そういうことではない。
この二人の――異様なまでに真摯な表情。
それを真っ向から見つめるだけで、俺は精一杯だった。
「前に師匠が話してたよな? 前の世界のこと」
セナの問いに、頷いて答える。
前の世界――日本のことだ。
ユミフィがセナに続いて話す。
「お兄ちゃん、誰よりも強い。でも、お兄ちゃん、自信、ない」
「最初はただ謙遜してるだけだと思ってた。でも、異世界の話をきいて……師匠のことを観察して、考えて。なんとなく分かったんだ」
「お兄ちゃん、『結果』出せなかった。本当に、何もできなかった」
胸が痛い。
結果が出せなかったという事実。それを突き付けられるのは苦しかった。
「最初、嘘、思った。でも、本当に――無い。お兄ちゃん、もとの世界、話す……辛そう。理由が、それ」
そんな俺の内心はユミフィには分かっていたのかもしれない。
少し声が弱々しくなっている。
そしてそれはセナも同じだった。
「だから師匠は、師匠のことを認めていないんだ。どれだけ皆が師匠を認めても。心の底から自分を認められない。慢性的な罪悪感が、いつも師匠の中にある」
「そんな――」
意識はしていなかった。
――だが、言われてみればそうかもしれない。
所詮、俺はただのニートだ。
努力することを放棄した社会不適合者の底辺無職。
ゲームが全ての、レベル上げだけを生きがいにしていた廃ゲーマー。
「……師匠も分かってるんだよな。努力が報われない辛さを。理不尽さを」
「だからお兄ちゃん、セナのため、動いた。努力してもできない。そんなこと、受け入れられない。それ、お兄ちゃん、一番辛かったことだから」
「自分だけが報われるのが居心地悪かったから。――そうだろ?」
『もっと、自分にあった身の丈の目標を持てよ』
『なに口答えしてんの? 雑魚のくせに』
『でしゃばるなって。足手まといだから』
『少しは自分で考えろ』
『アイツはクズ』
『無能ならせめて人より努力しろ』
……かつて、どこかできいた言葉が頭をよぎる。
どの言葉をどう言われたか、そもそも言葉が正確かどうかも覚えていない。
でも、少なくともそういうニュアンスのことは言われ続けて――
――いつしか俺は、努力することを放棄した。
それだけは俺の記憶に明確に残っている。
それだけは俺の生活が露骨に示している。
「師匠は、その居心地の悪さから――罪悪感から逃れるためにオレにスキルを教えてくれたんだ。オレの悩みによりそってくれたんだ」
と、セナの声で我に返った。
「罪悪感……」
その言葉を反芻して、今までを振り返る。
――そうかもしれない。
俺の今までの行動は、思いやりとか、そういうのじゃない。
この世界で何の努力もしていない俺が力を得てしまう不平等への罪悪感。
それが俺の中で根付いていた。
なんとなく分かった。
告白してきたアイネに、今でも返事を保留してしまう俺の心の正体が。
俺は、アイネを第一に優先して行動していたわけではない。
ゴールデンセンチピードからアイネを助けようとした時だってそうだ。
何ももっていない俺がアイネを見殺しにしてしまうという罪の意識が真っ先に頭をよぎった。
――それなのに、俺は一方的に好意だけを受け続けて……
「『ごめん』」
そう言おうとした瞬間、セナが先にそれを言う。
呆気にとられていると、セナがからかうように歯を見せて笑った。
「……って、言いそうになったろ。ははっ、師匠って分かりやすいな」
どうやら完全に読まれていたらしい。
少し――というか、かなり恥ずかしい。
そのまま、何を話していいか分からず黙っていると、二人はふっと口元を緩める。
「なぁ。例え師匠がどんな気持ちを抱えていようと――師匠はオレに可能性を見せてくれた。オレは師匠に、本当に感謝しているんだ。自分にもできることがみつかった時……本当に嬉しかったから」
「私も。お兄ちゃん、私、信じてくれた。襲い掛かってきた私のこと、信じてくれた。助けてくれた。それ、嬉しかった。本当に」
「それだけで――それだけでいいんだ。師匠がそう動いてくれたことに、意味がある」
「私、お兄ちゃん、尊敬する。ううん――それだけじゃない……大好き」
「オレもな。師匠のこと、大好きだ」
表情は真剣そのものだが――さすがに少しは恥ずかしいのか。
二人の顔は若干赤い。
それを俺に悟られたと分かったのか、セナが一度咳払いをした。
「だ、だから……辛いと思うことは、吐き出してほしい。今回のことで、師匠が感じたこと――」
「私……ううん。私達、ちゃんと受け止める」
「辛いことに一番も二番もない。アイネと比べてとか、そんなこと考える意味もない。師匠が辛いなら……オレ達が支えるよ」
そう言って二人がそれぞれ、俺の手を掴んでくる。
そのまま左右から俺を抱きしめるように体を寄せるユミフィとセナ。
「お兄ちゃんは――」
「師匠は――」
二人の熱が伝わってくる。
体を包む、柔らかい感触。
「「救われて、いいんだよ?」」
じん、と胸が熱くなる。
真っ直ぐな好意と優しさにうまく言葉が出てこない。
「アインベルさんが……」
なんとか絞り出した声は、自分でも驚くほどに震えていた。
情けない声だと分かっている。
でも、言わずにはいられない。
「アインベルさんが飲み込まれたのは……俺達がたどり着いた、ほんの数分前だったんだよな……」
あれからずっと、アイネの泣き顔がどうしても頭から離れない。
あれからずっと、洞窟での自分の行動が情けなくて仕方ない。
どうして、あの時――もっとうまく立ち回れなかったのか。
「あの洞窟に入る前……俺がゲテモノなんかにびびってなければ……ヴェロニカに隙を見せなければ……ヴェロニカに閉じ込められた時、冷酷になってすぐに脱出していれば……!」
俺には力がある。世界の常識を超える圧倒的なレベルが。
でも、俺の心は弱かった。凡人にすら及ばない。
あと数分……いや、数秒でも早くトーラに戻れていれば――
「アインベルさんは助けられたっ! だって、俺の力は『チート』なんだからっ!」
罪悪感。
二人が指摘したそれは、常日頃からなんとなく感じていた。
別にそれで胸が締め付けられるとか、鬱になるとかそういうわけではない。
でも、一生懸命に訓練する皆を見ていると、ちょっと後ろめたいところがあって――
だからせめて、自分の力ぐらいは皆のために使いたかった。
それがせめて、底辺無職の俺がこの異世界でできることだから。
でも、結局これだ。
自分の弱い心が、ミスが。
戦いの経験の少なさが隙をうみ、結果としてアインベルと、トーラの人達を死なせてしまった。
「それなのにっ……俺はっ……」
「ん」
「あぁ」
俺の肩に、二人の手が回る。
小さな背を一生懸命のばしてくるユミフィ。
子供をあやすように背中を撫でるセナ。
「うっ……ごめんっ……」
「ううん」
「大丈夫だって」
甘く――包み込むような二人の声にすがるように、俺は二人を抱きしめた。
†
「……あー、えっと……」
――気まずい。っていうか、恥ずかしい。
割りと情けない姿を見せたはずなのに、ユミフィとセナは優しく微笑んでいるだけだ。
「ごめん、は無しな」
「あ、あぁ……」
セナに言われて、トワやスイの言葉を思い出す。
彼女達の言うことは本当だった。
皆は俺のことを、俺より遥かに分かっていた。
ユミフィもセナも、俺が考えていたよりずっと大人で、鋭かった。
もしかしたら――ある意味、俺は二人のことをみくびっていたのかもしれない。
「ね、お兄ちゃん」
俺が完全に落ち着いたのが伝わったのか、ユミフィが静かに声をあげる。
「あの洞窟。もし、お兄ちゃん、一人だけ……だったら。皆、助けられた、かも」
「えっ――」
さっきまでの包容力あふれる笑顔とは違って、年相応の弱々しい表情。
「師匠一人だけなら、もっと簡単にヴェロニカと会えたんだろ。それができなかったのは――オレ達の安全のためだ」
「そんな……」
「『そんなふうに考えないでくれ』……だろ?」
俺の言葉を遮って、セナがくすりと笑う。
呆気にとられていると、ユミフィがそっと体を寄せてきた。
「お兄ちゃんがそう思う、私達も同じ」
「そして、オレ達が師匠を支えたいと思う気持ちがあるのと同じで……師匠だって、罪悪感から逃げたいって気持ちだけで動いてきたわけじゃない」
「それ、ちゃんと私、分かってる」
「一番短い間しかいないオレでも、な。……だから皆、師匠が好きなんだよ」
気恥ずかしそうに笑うセナ。
――その言葉を言うのに、どれだけの勇気がいるのだろう。
純粋に、正々堂々とその言葉を告げられる二人を前に、尊敬の念すら湧いてくる。
「……ありがとう」
俺も皆が好きだ。
本当はそんなことを言ってみたかった。
でも、それを言うには、どうしてもなにかが自分に足りなくて――
だからせめて、その言葉だけでも返したかった。
と、二人がこくりと頷いて一歩俺から体を離す。
「で、多分そろそろ行くんだろ?」
「アイネのとこ」
――そうだ。
俺だけがふっきれても仕方ない。
俺だけが支えられてばかりじゃ意味がない。
「そうだな……会いに行くよ。もう一回」
「ん。それがいい」
「あぁ。リーダーの役目だな」
俺の言葉に、二人が嬉しそうに笑う。
「本当に……二人とも、ありがとうな」
「んっ!」
「おうよっ! 行ってきな、女たらしのスケベ師匠っ!」
最後の最後で悪態をつきながらニーッと笑うセナ。
頬が熱くなるのを感じながら、俺は練場に背を向けた。