372話 絶望の悲鳴
雄叫びと共に、アインベルが斧を上に放り投げた。
そのまま、アイネの服が叩きつけられた場所へ一直線に走る。
「六連壊剛掌!」
粘液がぬぐわれた場所に向かって、交互に一撃、二撃、三撃――
アインベルの掌底が決まるたび、巨体が悲鳴をあげながら大きくのけぞった。
そしてアッパーのような形で放たれる六撃目が命中した瞬間、巨体の体が宙に浮いた。
同時に、放り投げられた斧が回転しながらアインベルの頭上へ落ちてくる。
「これで終わりだっ!」
それを見もせずキャッチして、ジャンプ。
宙に浮いた巨体の、執拗に攻撃したその部位めがけて、振り下ろす。
「レイススイングッ!」
今まで一番大振りの――そして一番早く振り下ろされたアインベルの斧。
それは明確に巨体の皮膚を貫通し、大量の血を周囲にばらまいた。
「ど、どうだっ――!?」
激しく地面に叩きつけられた巨体と、雨のように降り注ぐ血。
その巨体は凄まじいほどに痙攣を繰り返し、耳障りな声をあげている。
「さ、流石父ちゃん……うぐっ……がっ……!」
明らかに瀕死状態になった巨体を前に、アイネが膝に手を置いた。
その体は、人であることを疑う程、紫色に変色している。
誰が見ても、立っているのが不思議な状態だった。
「大丈夫かアイネッ! とにかく下がれっ! もう限界だろっ!」
アインベルがそう叫ぶのを聞いて、アイネが力なく笑った。
「うっ……へへっ、ならお言葉に甘えてっ――っ!?」
だが。その次の瞬間――
「バ、バカなっ!」
アイネは――そして、それよりも前にアインベルが気づいた。
ラーガルフリョウトルムリンの尾が。
――いや、『尾だと思っていたところ』が、パックリと開き、牙を露出させていることに。
「こいつ――まさかっ!」
アインベルの叫びは、巨体の動きを止めるに至らない。
アイネのところへ、巨体の牙が向かう。
まるで何かを咀嚼するようにもごもごと動かしながら、アイネの上へ。
「う、そ……口が、二つ……?」
これが尾であれば。
アイネが受けるのはただの打撃攻撃だっただろう。
だが、今アイネが受けようとしているのは打撃なんかじゃない。
大きく開かれた『もう一つの口』を見れば分かる。
――私、喰われる……!?
「アイネエエエエエエエエッ!」
――数秒後。
ぽたりと、頭に落ちてきた血の感覚で、アイネは我に返った。
「と、父ちゃん……?」
目の前には、巨体の『裏側の口』に立ち向かうアインベルの姿。
多数の牙で体を貫かれてはいるものの、アインベルは堂々たる仁王立ちのまま動かない。
「えっ……だ、大丈夫なの……それ……?」
青ざめるアイネ。
振り返ることなく、アインベルが不敵に笑う。
「ふっ……大げさだな、アイネ。この程度の傷――クエストをこなせば、自然につくものだっ! おおおっ!」
牙を直に掴み、斧を巨体の口の中に叩きつける。
引き抜かれる多数の牙。敵も満身創痍だ。
「そんな……そんな、嘘っ……」
だが、体中を穴だらけにしたアインベルを前に、敵を見る余裕などあるはずもなく。
アイネは、呆けた表情を浮かべたまま、何度も体を震わせる。
「ぬぅんっ!」
裏の口から吐き出された大量の粘液。
それからアイネをかばうように、アインベルが両腕を広げる。
全てを受け止め、一歩前へ。
「えっ……えっ……?」
皮膚が溶け、骨を一部露出させ。
そんな父親の姿を前に、アイネは力なく尻もちをついた。
「まだっ……まだだ。ワシにも意地があるからなっ……!」
だが、アインベルは違う。
追い詰められているとはまるで思えない、力強く、頼もしい声色で。
ただただ、彼は不敵な笑みを浮かべていた。
「この村のギルドマスターとして、大陸の英雄の師匠として、そして――愛する娘の父としてっ!!」
彼の腕から、斧から、つむじ風が発生する。
緑の粘液を前方へ吹き飛ばし、アインベルは斧を上へかざした。
「このまま貴様に、負けるわけにはいかんのだぁあああああああああっ!」
かざした斧を、螺旋を描くように振り回す。
彼が踏み出した足を支える地面がひび割れていく。
「ホールバディーストライク!」
一瞬、アインベルの体全体から強い光が放たれた。
彼の持つ全ての気力。それが一気に斧に集中し、巨体に向かって放たれる、
迎え撃つ巨体の牙。
「父ちゃああああああああんっ!」
†
「フォースピアーシングッ!」
穴だらけの鎧と、砕けたグリーヴ。
ちぎれたマントをはばたかせ、スイが叫ぶ。
「これで――終わりっ!」
青白い光で貫かれた巨体に剣を突き立てるスイ。
飛び散る粘液に顔を歪ませながら、ねじ込んだ剣を上へ。
「うっ――づっ、ぐっ……やあああああああああっ!」
悲鳴のような掛け声をあげるスイ。
異常な痙攣を繰り返す巨体の体を引き裂いていく。
「ブレイズラアアアアアアアアアッシュ!!」
直後、巨体の中から炎があふれ出してきた。
両方の口から炎を吐き出し、断末魔の叫びをあげるラーガルフリョウトルムリン。
その体を完全に二つに分断し、動きを止める。
「ぐっ……はーっ、はーっ……うぅっ……あ、危なかっ……くっ……」
膝をつきそうになる体を必死に剣で支えるスイ。
光の粒子を放ち始める巨体を見て、その顔がほっと緩む。
「た、倒せたっ……! こっちは倒せたよ、アイネッ、師――え?」
だがそれもつかの間。
一瞬でその顔が絶望に染まる。
「う、あ……」
声が出せなかった。
スイの見た先には、ボロボロになったアイネと――
半身を巨体に呑まれた――アインベルの姿。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
アイネの叫び声が響く中。
スイは力なく剣を落とした。