367話 嫌な予感
「お…ぅえ……」
俺がその場所に戻ってきた時にそこにいた異形がヴェロニカだということにはすぐに気づいた。
肥大化した触手を切り捨てて、ヴェロニカの体を突き返す。
「おげぇええええっ! げぇえええええっ!!」
何か黒い液体を吐きながら悶絶するヴェロニカ。
……正直、吐きたいのは俺の方である。
ワームに『喰われた』時に体にこびりついた体液と異臭、そしてヴェロニカの血と思われるような液体が体中にこびりついているのだ。
とにかく気持ち悪くて仕方ない。
「お、お兄ちゃん――」
そんな俺に対して、ユミフィがおそるおそる近づいてきた。
そのまま、いつも彼女がしているようにコートの裾に手を伸ばしてくる。
「ダメだユミフィ! 毒がついてるっ!」
「っ!?」
反射的に言ったせいでやや語気が強くなってしまったせいだろう。
びくり、とユミフィが体を震わせる。
ユミフィには申し訳ないが、今はとにかくヴェロニカの方が問題だ。
痙攣を繰り返しのたうちまわる彼女に向かって、俺は歩き出す。
「ぎぃえええええええええっ、いだい、いだいいだいっ、ぐええええっ」
……よほどさっきの『通常攻撃』が効いたのだろうか。
俺が近づいていることにヴェロニカは気づいていないようだ。
「嘘嘘嘘嘘っ! あり得ないっ! なんでいるのっ、なんで戻るの?」
だが、彼女の体まであと一歩というところまで近づくと、さすがにヴェロニカも俺に気づいたのか、視線を向けてきた。
異様に肥大化した下半身と、数々の触手。
見ているだけで怖気が走る醜い女。
とはいえ、今の俺はだいぶ感覚が麻痺している。
――幽閉結界を抜け出すため、俺はコアに直に触れるなければならなかった。
だから、ワームに敢えて喰われ、そのままワームの体内に侵入し、手探りでコアに触れるように体を動かし続けた末、それらしき手応えを感知。
完全に行き当たりばったりだったが、魔力を送るといつの間にかもとの場所に戻っていたのだ。
……そしてそれは俺だけではない。
レシルとルイリ――二人とも無事だ。
「ヴェロニカ様……」
「あぁあああああああああっ!?」
と、ヴェロニカが二人を見た瞬間、大きく目を見開いて叫びだす。
もはや、その声には力がなく、ややかすれていた。
「嫌――嫌嫌! だってこんなの、違うもん。ヴェロちゃんが考えてたのは、もっともっと違うことだもんっ!」
「おい、何が――」
ヴェロニカの言葉を遮ろうとするも、彼女は俺と顔をあわせようとしない。
ただひたすらに泣き叫ぶ。
「こいつらは全員死ぬの! 死ななきゃおかしいのっ! ヴェロちゃんに負けて、ひれ伏して、命乞いをしながら死ぬのっ! だってヴェロちゃん強いからあああ」
「話しをきけっ! おいっ!」
「いや、いやいやいやいやああっ! ――あ?」
――ふと。急にヴェロニカの雰囲気が変わった。
まるで、憑き物が落ちたかのように静かになり、異形の体は人間のそれへと戻る。
「あ……あはは……なんか、いいの手にいれた……? へへ……あひゃはぁ……」
急に静かになったと思ったら、にやにやと笑いだすヴェロニカ。
何もないところを見つめているだけで、幻覚でも見ているのだろうかと疑いたくなる。
「決めた……決めたわ。ちゃんと、ちゃんと頭を冷やしましょう。そうじゃないと、おかしいもの。うん、おかしいわ。うふふふふ……」
と思いきや、ヴェロニカははっきりと俺の目を見つめてきた。
勝ち誇った笑みを浮かべて、話しかけてくる。
「ちょうどいいタイミングで、いいシモベが手に入ったみたいだし。ヴェロちゃん、その子に会ってみようかしら」
「……は? 何を言ってるんだ?」
「あっはははははっ! 今、トーラがどうなってるか、分かる?」
俺の問いかけには答えず、バカにするような笑い方をするヴェロニカ。
「丁度今、ヴェロちゃんのシモベがやってくれたわ。テメェの負けよ。うふ、うふふふ、うっふふふふ」
「は? どういうことだ?」
「テメェの目的はトーラを、トーラの人を護ることでしょう? なら、もう勝負はついているのっ! しかも、ヴェロちゃん捕まえたから。それなりに強くなりそうな、新しいシモベ! テメェは何も護れなかったってこと!!!」
「は……? おい、まさかっ――!」
ヴェロニカの言葉の意味は分からない。
だが、なにかとてつもなく嫌な予感がした。
ただのハッタリではない――すぐにそれを直感する。
「あっひゃははははははは、うへぇわっひゃっ! 戻って確認してみたら? バカバカバカバカバーーーーーッカッ!」
「っ……!?」
ヴェロニカの言葉の意味を考えている間に、いつの間にかヴェロニカは、いつもの黒いクリスタルを取り出していた。
転移の光に気づいた時にはすでに遅く。
さっきまで目の前にいたヴェロニカが跡形もなく消えてしまう。
「転移……くそっ、またかっ!」
「ルイリもレシルもいない……さっきまで、ここにいたのにっ……」
急いで背後を振り返るが――首を横に振るセナを見て、ため息をつく。
――完全にイタチゴッコだ……
転移の鍵を相手が一方的に握っている以上、仕方ないといえば仕方ないのだが――
だが、今は敵を取り逃したことよりもやるべきことがある。
「な、なぁ師匠。ヴェロニカが言ってたことって……」
「分からない。分からないけど……」
その先は言わなくても、皆が既に分かっていた。
トワが先陣をきって俺達の前に飛び出していく。
「この洞窟じゃ空間魔法が使えないっ! 皆、早くでよっ!」
今すぐにでもトーラに戻らなければ。
胸によぎる嫌な予感から逃れるように、俺達はトワに続いて走り出した。