364話 ブレイクスルー
巨体が腕を振り上げる。
鉄槌のごとき拳がヴェロニカに振り下ろされた。
「はー……うっざ。つーかキモ」
その拳を掌で受け止めるヴェロニカ。
それを真っ向からはじき返し、ヴェロニカは腰をひねる。
「あんたさぁ、それで乙女とか――バッカじゃないの? ねぇバッカじゃないの?」
もう片方の手でアーロンに向かって殴りかかるヴェロニカ。
だが、アーロンも素早く体勢を立て直して渾身の左ストレートを放つ。
「まじかるくらっしゅっ!」
「――っ!?」
アーロンによる懇親のストレート。
一度攻撃を弾いたせいで油断したのか。
ヴェロニカの攻撃が決まる前に、アーロンの拳が肩に打ち込まれる。
後方にはじけ飛ぶヴェロニカ。
「ふふ。感じるわ……熱いリビドー、私を護ろうとする彼のラヴ。これがブレイクスルーポーションの力っ……!」
「くっ……テメェ、なにをしたぁ!?」
バック転を挟んで体勢を立て直すヴェロニカ。
攻撃を受けた肩に手を当てて、アーロンを睨みつける。
「んぬぅうううんっ!」
ヴェロニカの問いかけに拳で答えるアーロン。
それを見て、ヴェロニカは一度舌打ちをすると鞭を構えてアーロンに向かって走り出す。
「シャアアアアアアアッ!」
拳と鞭がぶつかりあう直前。
ヴェロニカの体中の鱗が、ぎらりと輝く。
「この力――なんて恐ろしい子っ! うぐぅうううっ!?」
アーロンの拳を受け止め、さらにそれを押し返した。
ただでさえはち切れそうなメイド服がさらにびりびりと破れていく。
勝ち誇ったように笑みを浮かべるヴェロニカ。
「ディレクトゥムスクレイチャ!」
「っ!?」
だがそれも一瞬のことだった。
ヴェロニカの体の正中線をなぞるように走るセナの短剣。
その軌道から湧き出る赤い光の粒子。
「うっ――」
小さくうめき声をあげながら、すぐさま回し蹴りでセナの体をはねのける。
だが、滲んだ血のような色をした赤い光の粒子は止まらない。
「テメェエエエエエエエエエッ!? なんでヴェロちゃんに、傷がああああああっ! 痛いぃいいっ!」
反撃を受けてよろけるセナ。
しかし、ヴェロニカの反応を見て、小さくガッツポーズをとる。
「凄い……森の加護だけじゃない……力が、湧いてくる……! ユミフィッ!」
「■■――■■■」
その時には既に、ユミフィの口から詠唱の言葉が紡がれていた。
それを見て、ヴェロニカが顔を歪める。
「囮――!? この筋肉ダルマがァァアアアアッ!」
アーロンに向かって叫ぶヴェロニカ。
しかし――
「フレマクレマ!!」
その声はすぐにかき消された。
普段のユミフィからは信じられないほどの大きな声。
ユミフィの手元から一直線に放たれる炎の渦。
一瞬でヴェロニカの体は目視することすらかなわなくなる。
「凄いわ……ユミフィちゃんには魔法の才能があるのね。でも、あんな魔法なんてあったかしら……」
洞窟を埋めつくすような炎を見つめながら、アーロンがため息をつく。
「お兄ちゃんの力、借りてる。絶対、負けない。……絶対っ!」
剣に変化している矢の形を戻し、ユミフィが弓を構える。
前方全てを焼き尽くす炎を前にしても、その顔からは全く油断が見られない。
それにつられるようにセナとアーロンも構えをとりなおした。
「ギ……ギィ……」
炎が収束し始めた頃。
ヴェロニカのかすれた声が、ヴェロニカの煤けた体がゆっくりと現れた。
ぐったりと倒れこみ、静かに息をし続けている。
「ふふ、随分あっさりね。相当痛めつけられていたのかしら。それとも、それだけ彼のポーションの効き目が凄かったということかしら」
そう言って、アーロンはトワを見る。
歯をみせびらかすように笑いながらブイサインをするトワ。
ブレイクスルーポーション――飲んだ者の能力を向上させる薬。それをアーロン達は飲んでいた。
レベル2400のステータスで作られたそれは、材料のせいで多少効果が下がったとしても、飲んだものの能力を爆発的に上昇させる。
『彼』が調薬師のスキルで作り出したその薬を預かっていたのはトワだった。
ヴェロニカが他の者に気を取られている間に、それぞれに薬を渡していたのも。
「お兄ちゃん、どこっ! 答えてっ!!」
だが、薬の効果はいつまでも続かない。
それを分かっているのか、それとも『彼』がこの場にいないことの不安からか。
ユミフィの声は切羽詰まったものだった。
「…………あー、分かった」
そんなユミフィを敢えて無視するかのように、ヴェロニカが淡々とした声を出す。
「分かった、ヴェロちゃん、分かったわ。あひぃっっへへっへ」
ゆっくりと体を起こすヴェロニカ。
ヴェロニカの体には大量の火傷の跡が残っている。
誰が見ても満身創痍だが――その顔には余裕が残っていた。
「分かったわ、気づいたわ、察したわ! 降りてきたわ、閃いたわ、悟ったわ!!」
「っ……?」
満面の笑みを浮かべながら叫びだすヴェロニカ。
傷だらけの体とは真逆に、金色の瞳は強く輝いている。
「最近調子が出ないと思ってたら……なんかずっとイライラしてると思ってたら……ヴェロちゃんってば、ヴェロちゃんってば……ここ最近、この手で直接、人を殺してないじゃないっ!!」
両腕を天井に突き上げて、大口をあげて、口角を思いっきりあげて。
ヴェロニカは恍惚の色に染まった声を洞窟に響かせる。
「ずっとずっとお部屋で研究! そんなのヴェロちゃんのやることじゃないわっ! こんなことしてるから、人間ごときにおされるんだわ! ちゃんと、ちゃんと殺さなきゃ! シモベに任せるんじゃなくて、ちゃんとヴェロちゃん自身の手でっ!! グッチョグチョにブッ殺してあげないとぉおおおおおおおおおっ!!」
「な、なんだよコイツ……」
ごくりと唾を飲み込んで、セナが短剣を握りなおす。
ブレイクスルーポーションの効果はまだ続いている。
『彼』の力は、まだ自分達を護ってくれている。
それは自覚しているのに、誰もが不安げな表情を浮かべていた。
「だから――だから、やらないと。決めないと。殺さないと」
鞭を構えて、一歩前へ。
「そうしないと、ヴェロちゃん、可愛くなくなっちゃう。愛されなくなっちゃう。そんなの……そんなの絶対嫌だから」
切り刻まれて、焼き尽くされた鱗に光が戻る。
彼女の足が蛇の尾へと変化する。
口からは長い舌が飛び出して、髪は黒ずみ、金の瞳はさらに輝きを強めていく。
「だから――ね、死んで?」
にこりと笑うヴェロニカの声は、狂気という言葉では言い尽くせない激情が静かにこめられていた。