362話 結界の魔物
「はぁっ!?」
耳をつんざくようなレシルの声が響く。
俺よりもレシルの方が動揺しているようだ。
すぐに表情を鋭くしてルイリにつっかかる。
「ルイリッ! あんた冗談も――」
「いいじゃない。なんかちょっと興味あるのよ、私」
「あんたねぇっ……!!」
ぎりり、とコミカルに歯を食いしばるレシル。
そんな彼女達の様子を見ていると、脱力したような笑いがこみあげてきた。
「あーあー、バカなこと言うな。得体のしれない奴を愛人にするやつなんているか」
「あははっ、ちょっと声上ずってない? 意外に初心?」
「あーもーっ、ふざけるなっ! 真面目に探せって!! 俺も早く皆のところに――」
ズドン
「え……」
レシルとルイリの顔が一気に青ざめる。
――何の音だ?
普通の音じゃない。
少なくとも、俺達三人以外の何かがいなければ、こんな音はならない。
「…………」
「進まないの?」
二人の顔には露骨に緊張が走っている。
――仕方ない。こういう時のためのチートレベルだ。
俺は二人の前に出て、音のした方向へ進んでいった。
「音の心当たりはあるか」
「……多分。でも、全然確実じゃないし……言いたくないわ……」
「なるほど」
気丈にふるまってはいるものの、その声はかなり震えている。
そうだとすれば、その心当たりとやらは随分な強敵なのだろう。
慎重に洞窟を進んでいく。
しばらく経つと、もぞもぞと動く影が見えてきた。
ごくりと、唾をのみこむ音が背後から、びちゃりと何かの液体が垂れているような音が前方から響く。
「な、なんだあれ。ラーガルなんとかかんとかってやつか?」
音の正体は、さっきヴェロニカが召喚したワームと似た存在だった。
だが、体の色が全体的に黒く、金色の紋様みたいなものがあちこちに刻まれている。
「いや、違う……この子って……」
「うん。ヴェロニカ様が成功させた『あの子』だ……」
なるほど。なんのことか分からないが、とにかく強いヤツなのだろう。
とりあえずアイツを倒してみることから始めてみるか。
幸い、相手はこっちに気づいていないようだし。
「いかにもボスキャラって感じだな。よし……」
「待ちなさいっ」
前に出ようとした瞬間、二人に肩を掴まれた。
「感じるわ……魔王様のマナ。あのワームの体の中から」
「えっ、本当か?」
「マナクリスタルと同じ感じがする。ルイリの言ってることは本当よ」
この結界は魔王とやらのマナを借りて作られたという。
であれば、あのワームの体内にコアがあるということか。
その疑問を言う前に、レシルがはっきりと答えてきた。
「貴方の言う通り、あるかもしれない。結界のコア……でも……」
奥歯にものが挟まったような言い方をするルイリ。
「なんだよ。そんなに強い相手なのか?」
「そうね。ヴェロニカ様の最高傑作といったところかしら。私とレシルでも勝てない……ていうか、勝っても結局だめっていうか……」
「どういうことだ?」
ルイリの言葉が理解できない。
やれやれ、と言った感じでレシルが補足するように言葉を続ける。
「……あのワームの中にコアがあるのは間違いない。でも、マナの感じを見ると、あのワームの命とコアが連動してて……あのワームが死ぬと、この幽閉結界が崩壊する仕掛けになってるのが分かるわ。あたし達もろともね」
「まぁ、要するに壁殴って無理矢理出るのと同じ理屈よ。貴方は出られるかもしれないけど、私達は死ぬわ」
「なんだよそれ……」
なんというクソゲー。
コアを手に入れるためには死ぬしかないというのはこういうことか。
「でも、ワームを倒さないとワームの体内にあるコアは取り出せない……はは……やっぱり終わりね……」
力なく笑うルイリ。
大きくため息をついてレシルが俺の肩を叩く。
「……もういいわ。結局、貴方一人だけしか助からない。私達はここで飢え死にするのを待つしかないってこと。だったら、引導を渡してくれた方が気が楽よ」
「くっ……」
――絶対嘘だ。
レシルは内心、諦めたくないと願っている。
そうじゃなきゃ、そんな辛そうな顔をするはずがない。
「体外からコアに接触はできないのか」
「無理ね。結界のコアを作動させるためには直に触れてマナを送らないと。コアの方がマナを感知できない。あいつに食われでもしない限り、結界のコアには触れられない。――つまり、そういうこと」
「なるほどな」
絶望の表情を見せるレシルとルイリ。
だが、彼女達は、今まさに俺がとるべき行動を教えてくれた。
あの魔物に食われない限り結界のコアには触れられないということは――つまり。
覚悟を決めて、俺はその魔物に向かって歩き出す。
「ちょっと、どうしたの?」
「行ってくる」
「……そう」
そんな俺に、やや怯えた声でレシルが話しかけてきた。
特に振り返ることなく、俺は歩き出したまま返事をする。
どうやらヤツも、俺のことに気づいたらしい。
グロテスクな口が俺の方にはっきりと向いていた。
「じゃあここでお別れね。あーあ……死ぬまでに一回、男の子とデートしたかったわ……」
「あんたは最期まで……ほんと馬鹿」
「ふふっ、いいじゃない。終わりの時ぐらい口喧嘩はなしってことで」
と、背後からレシルとルイリの話し声が聞こえてきた。
どうやら、二人は俺がやることを勘違いしているらしい。
「勝手にあきらめるなよ。お前達を見捨てるなんて一言も言ってないだろ」
「え?」
仕方がないので、敢えて俺は二人の方に振り返った。
魔物が背中から近づいてくる音が大きくなっていく。
「確認するけど、直に触れればいいんだよな。コアに」
「は?」
「とりあえず一回逃げてろ。ちょっとコアに触ってくるから」
魔物の口が、俺の頭の上に来た。
それを見て、ようやく二人も俺のやることを察したのだろう。
「ちょっ――あんた、もしかしてっ!」
「うそっ!!」
生暖かいものが頭に喰らいついてきた。
一気に上半身がブヨブヨの物体に包み込まれる。
視界が真っ暗になり、気色悪い体液の感覚が体中を包み込む。
――冗談抜きで吐きそうだ。でも、口を開いたら、この粘液が一気に俺の喉に押し込まれることになる。
こうなったら息をしないでやるしかないか。
とんでもなく最悪な気分で一杯だ。
「きゃっ――きゃあああああああああああっ!!」
「いやああああああああっ!!」
そんな状況でも。
二人の悲鳴は、はっきりと俺の耳に届いてくる。
その声が、気色悪さで押しつぶされそうな俺の熱意と戦意を掻き立ててくれる。
――さぁ、手探りだけど、やってみるかっ!!