358話 闇に響く高笑い
「っ――!?」
背後から、レシルとルイリが何かを叫んでいるのが聞こえてきた。
だが、その声は強烈な風切り音でかきけされる。
――ヴェロニカからだ。
ヴェロニカの体から強烈な風が吹き出ている。
「おおおおおおおおおっ!!」
ピンクの髪が黒ずんでいき、その体が変形していく。
顔、腕、足――皮膚の全てに鱗が浮き出て、ワンピースの下からは黄土色の蛇の尾のようなものが現れた。
「それが、お前の正体か……」
なんて醜い女なのだろう。
ふりふりのワンピースが破れ、その下から出てきたのは鱗だらけの彼女の肌。
彼女の暴虐的で陰湿な言動が相まって、その姿はより醜悪に見える。
半身を蛇に変えた彼女は、今までの中で一番大きく、強く――そして鋭く声を張り上げる。
「ルナティックドライブッ!」
手に持った鞭が変形していく。
さっきヴェロニカが召喚した巨大ワームのような形に膨れ上がり分裂した。
それは、まるでヴェロニカの手から触手が伸びたかのようなグロテスクな見た目だ。
そのいくつもの触手のような鞭を俺にむけて叩きつけてくるヴェロニカ。
――その時だった。
「……キュウビ?」
アマツノキュウビが俺の前に颯爽と走ってきた。
そのまま俺の方に振り返り、何かを待っているような視線を向けてくる。
――指示を出せってことか。
ヴェロニカの異形の鞭は、すぐそこまで迫っている。
それでもその鞭に背中を向け、澄ました顔で佇むキュウビ。
「白華鏡反!」
キュウビは悠々と俺の声に反応しスキルを展開した。
キュウビの前に現れたのは白銀の壁だ。
そこにぶつかったヴェロニカの鞭が粉々に砕け散る。
そして、雪のような破片とかしたヴェロニカの鞭は持ち主の方へと反射していく。
「このっ――なんで、なんでぇえええええっ!!」
おそらく、そのスキルはヴェロニカの持つスキルの中でも最強格のものだったのだろう。
今まで聞いてきた金切り声の中でも、そして今まで見てきた表情の中でも、最も狂気と絶望が滲み出ていた。
白華鏡反は、相手の物理攻撃を反射するキュウビ専用のスキルだ。
使用後のディレイ――すなわち硬直が大きいものの、相手の攻撃を封殺した上でダメージを与えることができる。
拳闘士のスキルである気功縛よりも汎用性が高く、スキルレベルが高ければ反射のダメージも上がる強力なスキルだ。
キュウビを使役する召喚術師との戦いは、いかにこのスキルのタイミングをずらし、クールタイム中に攻撃するかを考えたものだが――いざ、こうして自分が使う側に立つとは感慨深い。
「うっ――ぎゃあああああああああああああああっ!?」
と、前にやっていたゲームのことを思い出していたのだが、ヴェロニカの悲鳴は俺を現実に連れ戻した。
「か……は……が……」
だがその悲鳴も長くはもたなかった。
体のあちこちを鞭の破片で刺され、地面に倒れこむヴェロニカ。
――やりすぎたか?
召喚獣は術者のステータスに応じて強化される。
ゲームの世界ではレベル175だったアマツノキュウビでも、俺が召喚したアマツノキュウビの能力は、それとはかけ離れている。だからこそ、今のスキルにどれだけの威力があるのか俺には分からない。
ヴェロニカは、レシルやルイリと違って簡単に情報を喋ってくれそうなヤツだ。
なんとか情報を聞き出さないといけない。
俺はキュウビを召喚クリスタルに戻し、彼女の方に歩み寄る。
「おい、大丈夫か?」
「ぐぇ……おええええぇえっ……」
何度もえずきながら立ち上がるヴェロニカ。
酩酊しているかのようにふらつきながら、俺の方をにらみつける。
「気持ち悪い……気持ち悪いわっ! なんで、ヴェロちゃん……こんなザ……コにっ!?うぇええっ!?」
「ヴェロニカ様……」
「くっ――」
「おい、やめろっ! 手だすんじゃねぇクソザコッ!! こんなヤツにヴェロちゃんが――うぇえええええっ!?」
俺の後ろにいる二人に向かってヴェロニカが叫ぶ。
軽く血を吐き、もう一度膝を地面につけ、肩で息をするヴェロニカ。
……鱗を持ち、明らかに人間じゃないことは分かっているが。
この女がトーラに何かをしていることは分かっているが。
この女がとても残虐で非情で身勝手な性格をしていることは分かっているが。
それでも、こうまで痛々しい姿を見せられると手が鈍る。
――でも、ここでひくわけにはいかない。
なんとしても情報を引き出さなければ。
コイツはトーラの――そして、俺の仲間達の命を奪おうとする相手だ。
手加減なんかしている場合じゃない。
漂う血の匂いにむせそうになりながらも、自分を奮い立たせ、ヴェロニカの首をつかむ。
「答えろ。お前――何をした? トーラに、何をしたっ!」
そうすごんではみたものの、ヴェロニカはニヤニヤと笑っている。
「ふ、ふふ……ぐふふふふ……か、勝ったと思ってる? 思ってるの? うへぇえええへへえへへ!」
――まだ何かあるのか?
もうヴェロニカは満足に動けるような状態にすらないと思っていた。
じっと彼女の動きに注目する。
震えた手を俺の腰の横から前に伸ばそうとしているが――特にクリスタルを持っているとか、そういうことはない。
「だったらそう思ってればいいじゃない! 私の目の届かない場所でねぇええええええ!!」
目をカッと見開いて叫ぶヴェロニカ。
……だが、俺に何かするような様子はない。
――そう、俺には。
「えっ――まって! ヴェロニカ様!!」
「うそ――やだっ! やめて、やめてくださいっ!! 助けてっ!!」
異常が起きているのは俺じゃない。
後ろにいるレシルとルイリの方だった。
張り裂けるような声に、慌てて振り返る。
「あはははははははははっ! バーカ、バアアアアッカ! あと、もう一回っ! バァアアアアアアアアカッ!!」
ヴェロニカの高笑いの中、俺は彼女達に起きた異変を把握した。
彼女達の体を、黒いもやのようなものがつつみこんでいく。
「やだっ! 思ってないっ! 思ってないですからっ! ヴェロニカ様ああっ!」
「うっ、やだ――こんなところでっ!」
何がどうなっているのか分からない。
だが、レシルとルイリは、はっきりと涙を流して叫んでいる。
だから、ヴェロニカのやろうとしていることがとんでもなくヤバイことだということぐらいは分かる。
「くそっ――っ!」
もやから逃れようと必死にもがく二人を見て、思わず俺はヴェロニカから手を離した。
「消えろ、消えろおおおおおおおおおおおお! ヴェロちゃんが押し負けるところを見たやつなんて、きえちゃええええええええええ」
「今助けるっ!!」
その後は、自分でもどうしてそうしたのか分からない。
気づけば俺は、泣き叫ぶレシルとルイリに向かって走り出していた。
「え――」
「ばかっ! あんた、何やって――」
二人の体を掴もうと手を伸ばす。
――その瞬間。
「あ……あっひゃひゃひゃひゃはははああっ!! バカッ――バァアアアアアアアッカッ! バカ達にバカがつっこんでいった! あーっひゃっひゃっひゃっひゃっ!」
ヴェロニカの高笑いと共に、俺の視界が黒に包まれた。