349話 緊急事態
まどろみの中、自分の頬にぺたぺたと柔らかいものが触れる。
そんな奇妙な感覚で覚醒を促され、俺は瞼を開いた。
「あ、起きた」
真っ先に目にとびこんできたのは、俺の顔を覗き込んできたセナの顔だ。
それを見て昨日――花火を楽しんだ後のことを思い出す。
もともと、皆は特訓をしていたし、俺も俺で大量の薬草を作ったりしていたので疲れがたまっていたのだろう。
皆それぞれ、ほぼ無言で淡々とシャワーを浴び、倒れこむようにベッドに倒れこんでいったのを覚えている。
少し体の間接が痛むような感じと、誰かの体が密着している感覚。
……よく覚えていないが、どうやら皆でぎゅうぎゅうづめにベッドで寝ていたようだ。
「やばっ――」
と、俺が起きたことに気づいたのか、セナが慌てた様子で俺から距離をとる。
「……なにしてるんだよ」
体を起こすと――セナだけじゃなく、スイが真っ赤な顔で首を横に振り回している姿が目に入ってきた。
「うえっ!? ちがっ――私は何もしてないですよ!? ほんとに私は止めたんですよ?」
「ちょっ――裏切るなよ! 師匠のほっぺた触りたいって言ったの、スイだろ?」
「えええぇ!? それ言ったの、トワでしょう!?」
「え、そうだっけ? でもさ、唇よりはほっぺたの方がまだ健全じゃない?」
「あ、そっか。スイが触りたいって言ってたのは師匠の唇だっけ」
「うええっ!?――ちがっ……ちがっ!! やめっ――私、私はただ……言っただけで……ほんとに、そんなことするなんて!!」
……うん、どうやら取り込み中のようだ。
ちらちらとこちらを見ながら、顔を真っ赤にさせたスイが涙目になっている。
こういう時は――スルーでいこう。本当に対応に困るし。
とりあえず寝ぼけているというテイで。
「お兄ちゃん、ほっぺ。すごい、ぷにぷに」
「お、おい……」
そんな俺の葛藤なぞ露知らずといった感じで、ユミフィが頬をつついてきた。
少しだけ目を垂らして、顔を近づけてくる。
それはまるで恋人に向けて目覚めのキスをするような――
「んー」
「うわっ!?」
と、その瞬間。
唐突に耳の裏から首回りにかけて鳥肌がたった。
「うーっ……にゅむむ……ひぇんぱい、それはプリンじゃないっす……リーダーの耳っす……デザートはこれ……はみゅ」
「うああああっ!?」
何度か繰り返される甘噛み。
それが引き起こすぞわぞわとした感覚に耐えられなくなって、思わず腕を宙に伸ばす。
「ちょっ――アイネッ? 貴方、何してるのっ!!」
そんな俺達の様子に気づいたスイが、さらに裏返った変な声をあげる。
だが、アイネはスイに応えることもなく、寝そべった俺の肩に手をかけて、半ば覆いかぶさってきた。
「んむむ……せんぱい、だからそれはセナの背中っす……セナの……せなか……うへへ……先輩、絶対狙ってるでしょ……じゅぅり……」
「っ――!?」
ちろちろ、と耳の中で熱いものが動く。
体中に走る鳥肌が止まらない。
「アイネッ! かってに夢の中で私を変人にしないでっ! っていうか――なにやってんの!」
「んぎゅむーー……!」
だが、甘く魅惑的な感覚は、すぐに鋭い痛みへ変化した。
……どうも、スイがアイネの体を無理矢理起こしているらしい。
それに抗うようにアイネが必死に耳にかみついてくる。
「いたたっ、おい! 起きろアイネッ! いだだだっ!」
「お兄ちゃん、痛いの? 強いのに? ほんと? アイネの歯、そんな凄い?」
目を丸くしながらユミフィが俺の顔を覗き込んでくる。
……いやまぁ、もちろんダメージという痛みではないのだが、それでも痛いものは痛い。
体が戦闘モードに入っていないせいだろうか。
「はいはーい。そんなバカやってないで。今日はアインベルさんからお話しあるんでしょ。もう洞窟行くメンバー、かたまってるんじゃない?」
そんな俺達の横で、パンパンとトワが手を叩く。
続くのは、はっという、スイが息をのんだ音。
「そうでしたっ――! ほらアイネ。起きて! 起きて!!」
「んみぅー……起き、起きた……すぅ……」
「もぅ!」
俺の体ごと揺さぶっても、アイネは俺に抱き着いたまま起きようとしない。
むしろ、アイネはぎゅっと俺の背中に手を回して耳元に顔を押し付けてきた。
――どうしよう、アイネじゃないけど、なんかもう俺もこのまま寝ていたい……
そんな俺の内心を見破ったのか、セナが半目になりながら俺の顔を覗き込んできた。
「はーん……アイネみたいに朝が弱いとそういう得があるんだなぁー……」
「ちょっと! セナ! 変なこと言ってないで、アイネを起こすの手伝ってくださいよぉ」
「はぁ……仕方ないな。ちょっと師匠も苦しそうだし――」
少し呆れたように笑って、セナが手を伸ばしてくる。
――その時だった。
「魔物だあああああああああああああああああああああああああ」
何の前触れもなく、今までの甘い空間には全く似合わないドスのきいた男の声が耳に飛び込んできた。
……聞き間違いか、幻聴か。それとも俺が寝ぼけているだけか。
「魔物がっ! 魔物がああああああああああああああっ!!」
その可能性を、二度目の大声が否定する。
その後で、ガンガンガンと、何か金属を叩いているような音が続いてきた。
「……え、なっ、なにっ!? どうしたの!? 先輩……? なんでウチの上に?」
さすがにこの騒ぎの中で眠っていられるほど、アイネも図太くはない。
ぴんと、猫耳と尾をたてながら、飛び跳ねるように体を起こす。
「アイネッ! 寝ぼけている場合じゃないっ! すぐに準備してっ!」
「んぼっ!」
どたばたとベッドから飛び降りるスイに突き飛ばされ、アイネが俺の胸に飛び込んできた。
そんな彼女を支えている間に、セナが扉に向かって走っていく。
「先行ってるぜ、師匠!」
「あ、セナちゃん! 待ってよー」
その後を追いかけていくトワ。
何が起きたのか分からない――と、呆然とする俺とアイネとユミフィ。
するとスイは剣の鞘を叩いて俺達の注意をひいた。
「しっかりして! 緊急事態ですっ!!」