343話 アインベルの弟子
セナに取り残された後、俺はトーラの訓練場に向かっていた。
セナの姿は完全に見失っており、今は一人っきりだ。
この世界に来てから――特にトーラを出てからは一人になる時間は殆ど無かったような気がする。
僅かな寂しさと落ち着きを感じながら、ぼーっと歩き続けること十分間。
反対方向から向かってくる二人の男に気づいて、足が止まった。
「あ」
「あっ――」
向こうも、俺の存在を認識したようで足を止める。
いくらか距離はあるものの、その顔に見覚えがあることは分かった。
一人は狐耳の獣人族。一人は普通の人間で特徴こそそんなにないが……
――たしか、差別だって言ってきた人だよな……
この世界に来た直後……まだゴールデンセンチピードと戦う前の時だったか。
この人達は、魔術師は差別主義者だと言って俺に絡んできた二人だ。たしかアインベルさんの弟子さんなんだっけ。
ともかく、相手は俺に良い印象を持っていないだろう。
穏便にすませられるように、軽く頭を下げてさっさと通り過ぎてしまおう――そんなことを考えている時だった。
「くっ――このっ!」
後五歩ぐらいまで近づいた瞬間、獣人族の男が腰に手を回す。
なるべく彼らの方を見ないようにしていたせいで、その動作が何を意味しているのか、すぐに理解することができなかった。
だが、さすがに手に刃物を持って俺に接近してきた彼の姿を見れば、自分が今まさに攻撃されていることは分かる。
――あれ、でも……
「…………」
「……あ、えと……お久しぶりです……」
俺の顔の前でナイフを寸止めし、微動だにしない獣人族の男。
その後ろからはもう一人の男がじっと俺のことを睨みつけている。
だが、いくら待っても彼らはそれ以上のことはしなかった。
「……お前、強いんだよな?」
「え?」
俺が何もしないことに対し業をにやしたのか、獣人族の男が苛立った様子で話しかけていた。
「俺達も訓練しようとしたら、さっきアイネさんに会ってな」
「リーダーの……お前のことを、本当に信じているみたいだった。アイネさんだけじゃなく、他の女も。お前は強いって」
「そうですか……」
それを聞いて、少しアイネとユミフィのことが心配になるが……すぐに杞憂だと思い返した。
今の攻撃動作だけ見てもはっきり分かる。彼らには悪いが、ぶっちゃけアイネとユミフィ達の方が遥かに強い。
そんなことを考えている間に、獣人族の男がゆっくりとナイフを下ろしてきた。
「なんで全く避けようとしなかった。俺のナイフ、ちゃんと目で追えてただろ」
それを聞いて、俺は少し驚いた。
さっきの一瞬の間でも、この男は俺の視線の動きまで観察していたのか。
少し彼のことを見くびっていたのかもしれない。
「……だって、当てる気なかったですよね? 今の攻撃」
「っ!?」
もっとも、それは相手も同じことだったようだ。
俺がそう言うと二人とも目を丸くした。
「そうだとしても、いきなり攻撃されたんだぞ? だったら――」
「あぁ……まぁ仕方ないですよ。未だに俺、魔術師の恰好してるし。すいません……刺激させちゃいましたか……」
この二人だけではなく、ミハからも魔術師が好印象を持たれていないことは教えられている。
服を買う機会はあるにはあったのだから少し迂闊だったかもしれない。
そんなことを考えていると、獣人族の男が眉をひそめてきた。
「……止めろ。俺達は闘牛じゃない」
「はは……」
なんとも言えないコメントに苦笑いを返す。
別に皮肉で言ったつもりはないのだが、そう聞こえてしまったのかもしれない、
「でも、あれから旅をして何となく分かったんです。魔術師が差別主義者だって話しが」
「なに……?」
俺に突き付けられているナイフが少しだけ震える。
ただ攻撃の意思は見られない。俺は特に気にすることなく言葉を続ける。
「実は俺達、ルベルーンにまで行ってきたんですよ。そこで獣人族を奴隷だって言っている人がいて」
「っ……」
「だから……つまりですね……えっと……」
なんとなく言いたいことが色々ある。
ルベルーンの魔術師達の傲慢な態度、カミーラが言う価値序列の話し。
俺がトーラを出てからであった魔術師は、たしかに差別的な言動をしていた。
でもそれを一気にうまくまとめて話すことができなくて、やや混乱が起き始める。
すると二人は呆れた様子でため息をついてきた。
「もういい。お前、結構話すの苦手なタイプだろ」
「えっ、まぁ……すいません……」
いつの間にか突き付けられたナイフは下ろされている。
二人の表情からも明確に敵意が消えていた。
「……少し、変わったよな」
「え?」
「最初に会った時はスイさんの背中に隠れてたのに。なんでこんな……」
ぎゅっと拳を握りしめ、肩を震わせる二人。
何かに耐えるようなその仕草を見て、俺は思わず声を出していた。
「……何かあったんですか?」
そう聞くと、二人は怪訝な表情を返してくる。
「何故それをきく?」
「え? いや、だってなんか辛そうな顔してるし……」
「…………」
「その……魔術師に何かされたのかなって……思って……」
やっぱりうまく、スマートな言葉が出てこない。
言葉を詰まらせていると、二人は黙って視線を交わし何やらアイコンタクトをとっていた。
「ほんとにお前は……なんでそう拍子抜けするようなことばっかり……」
獣人族の男が一つ、大きなため息をつく。
そのまま数秒間、俯いた後、彼はおもむろに声をあげはじめた。
「……俺の妹は、魔術師に惚れられてな。無理矢理つれていかれたんだ」