342話 鈍感師匠
「異世界、かぁ。ふーん……」
俺の話を、セナは黙って聞いてくれた。
淡々と――一見、俺の話しなんかに興味が無いのではと思う程に無表情のまま。
だが、セナの目から、雰囲気から、懸命に俺の言葉に耳を傾けようとしてくれることは伝わってきた。
「……あんま驚かないんだな」
「まぁな。そもそも、オレ、ガルガンデュールから出てことないからさ。外の世界も知らないし、正直実感がわかないっていうか……オレにとっちゃここも異世界みたいなもんだし」
少し恥ずかしそうに苦笑いを浮かべるセナ。
ずっとあの洞窟と森に住んでいた――改めてその環境を想像すると、ものすごく閉鎖的な環境にいたのだと痛感する。
――ま、ずっと部屋に籠っていた俺が言えたことじゃないんだけどな……
「……でも、なんだろう。気分害したら悪いんだけどさ……想像つくかな。師匠が昔、うまくやれてなかったこと」
くすりと笑うセナ。
その意図が分からずにいると、それを察したのかセナが俺と目を合わせてきた。
「だってなんかさ、オレに対しての接し方ていうか……俺にスキルを教えてくれた時の師匠って……同じ悩みを抱えてきた人っぽかっていうか……なんか、オレのこと分かってくれてるみたいな感じで……」
そう言って、胸に手を当てるセナ。
黄昏時の陽に照らされたような頬の色。
「感覚の言語化とか……まぁ、言われたらたしかに大事だと思うけど。でもやっぱり師匠は重く受け止めすぎじゃないかな?」
そんなセナの表情を直視することは――どこかくすぐったかった。
思わず、目をそらしてしまう。
「……別にそう、変に思いつめているわけじゃないぞ」
「分かるけど、真面目すぎるんだよ。……あぁ、だからうまくいかなかったのかな。師匠って……」
「真面目……俺が?」
むしろ真面目とは程遠いからニートなんてやっていたのだが。
と、そんなことを考えているのもお見通しだと言わんばかりにセナが笑う。
「ハハッ、でもなんだろう。ちょっと安心したよ。師匠が普通に人間で、人並みの悩みがあって――それに、他の皆ともまだ付き合いは短いみたいだし……な」
そう言って俺に近づいてくるセナ。
狙っているのかどうか分からないが、その上目遣いは、セナの男勝りな性格や言葉遣いを忘れさせる程に可愛らしいものだった。
「別にオレも、そういうチャンス狙ってもいいのか?」
「そういうって……え、えっ!?」
セナは俺を鈍感だというが、文脈も読み取れないほどの馬鹿じゃない。
うつむきながら、セナがさらに近づいてくる。
「いや、オレも成人はしてるし? ガルガンデュールではそんな相手はいなかったけど……でも、オレなりの方法で力を伸ばしていけば……それに、師匠はスケベみたいだしっ……なっ!」
最後に一言叫んだと思いきや、セナは急に俺の手首を掴んできた。
そしてそのまま俺の手を自分の胸に向かって――
「っ――」
「…………」
パンクな感じの黒い皮の服。戦闘でも衝撃に耐えることができるようにしているせいか、見た目以上に硬い。
その向こう側にはおそらく下着がしっかりとそれを支えているのだろう。
だから俺の手の平には、柔らかいとか、弾力があるとか、想像で考えていたような感触は伝わってこなかった。
でも、それでも――
自分が女の子の胸を触っているというこの状況で、俺は何も考えられなくなっていた。
「っ……!」
数秒だったのか、数十秒だったのか、あるいは数分だったのか。
自分の手首が、やや乱暴にセナに払われたことで俺は我に返る。
気づくと、セナはさっきまで俺の手首を握っていた手をもう片方の手で握りしめ、顔を真っ赤にさせていた。
「……や、やば……何コレ……ちょっ、ちょっと予想以上に……うわ……」
「っ…………」
「えと……えと……その、なんていうか……あわわ……」
ちらりと俺の方を見て、再び視線を下にする。
そんなセナの、さっきまでの行動とはあまりにかけ離れた仕草に、思わず俺は吹き出してしまった。
「……ははっ。なんだよそれ、自分でやっておいて」
「う、うるさいなっ! 男に体触らせるとか……初めてなんだよっ! 察しろっ!!」
「ははっ、ごめんごめん。でもさ、そんなに無理に女を売らなくたって……俺はセナのこと、認めてるぞ」
それが異性として好きとか、そういうのかどうかは俺にもよくわからない。
仮に異性として好かれていたとしても――俺はどうすべきなのかも分からない。
初めて俺に好意をはっきりと告げてくれたアイネにさえ、明確に付き合うという関係になることをずっと濁し続けているぐらいだ。
それでも――少なくとも仲間としては。
仲間としては、俺は皆のことを、セナのことも尊敬している。
だから、俺に媚びるようなことを敢えてする必要はない。
そういう意味で言ったのだが、どうもセナの気には召さない言葉だったらしい。
不満げに唇を尖らせながら前髪で顔を隠してしまった。
「……つに……む……ってなんか……って……」
「……? 何いってるんだ?」
「んーん。なんでもないよ。鈍感師匠!」
「うわっ!?」
急にセナが俺の胸を手でついてきた。
一瞬よろけて足を後ろに伸ばす。
そして改めて視線をセナに戻すと――
「オレ、訓練に戻るからっ! じゃあなっ!!」
「あ、ちょっ……」
俺と目を合わせることもせず、セナは扉に向かって一直線に走っていった。