33話 治癒の光
アイネがゆっくりと目を見開く。
なぜ、まだ生きている? という疑問の色がその顔からはうかがえた。
と、亡骸と化したゴールデンセンチピードに視線を移す。
「これは……いったい……」
十秒ほどの沈黙。何が起きているか分からないようだった。
当然だろう、俺も何が起きたか分からないのだから。
「しんいりさ……いま、何を……げほっ……ごぷっ――!」
と、アイネが口から血を吐きだす。
──って、吐血!?
リアルでそんなものは初めてみた。反射的に俺はアイネに声をかける。
「アイネッ! 大丈夫か、おいっ!」
血だらけのアイネをもう一度抱きかかえながら、俺は必至に声をかける。
こういう時にどうやって対処すればいいか分からない。
薬草をとってくればいいのだろうか?
日本と違ってこの世界は、薬草は三日もすれば新しいものが手に入る。
ゲームでは五秒で草のオブジェクトが復活していたぐらいだ。
探せば余裕で見つかるはず──
「ぁ……ぅ……へへ、ごめんね。大丈夫だよ……たぶんこれ、致命傷じゃ、ないから……」
アイネが俺の頬にそっと触れてくる。穏やかな笑顔をうかべながら。
多分、その言葉に嘘は無いのだろう。血は止まっていないが意識ははっきりしている。
服をはがして全てを見たわけではないが急所を攻撃されているようには見えない。
だいたいは手足にできた傷だ。おそらく、ギリギリの所で急所への攻撃を避けていたのだろう。
ここまで追い詰められておきながらその点を守るところは、さすがトーラギルドのエースと褒めるべきなのか。
しかし、前に薬草で治した時よりも遥かに傷と血の量が違う。
服に血がついていたどころの騒ぎではないのだ。
放置していたら失血死するのでは、と簡単に予想がついてしまうほどに。
「そういうこと聞いてるんじゃねえよっ、ばかっ……!」
どれだけの激痛を、苦しみを、アイネは感じているのだろう。
それなのに俺を気遣うことしかしないアイネを見るのが苦しかった。
──それは本来、俺がやるべきことだろうっ!
「だ、大丈夫だって……おおげさだよ、新入りさんっ……言ったでしょ……こ、このぐらいの傷……クエストやってたら、普通につくからっ……」
ははは、と力なく笑うアイネ。震える手をなんとかあげて俺の涙をふいてきた。
かえって胸が痛くなる。こんな儚い笑顔をみるぐらいなら助けてくれと泣き喚かれた方がまだ楽だ。
「アイネ!? いるの? どこっ!」
ふと、聞きなれた声が耳に届く。
スイのものだとすぐに気づく。
グリーヴが地面にぶつかる音が近づいてくる。
「アイネッ! これはっ!? それに、貴方もっ……えっ? アイネッ、アイネッ!? 大丈夫なのっ、ちょっと!!」
俺達の姿を確認するとスイがダッシュで近づいてきた。
血まみれになっているアイネとゴールデンセンチピードの亡骸を見たせいでその表情は青ざめている。
「……しんいりさんが……、たおして……」
「……えっ?」
と、アイネの言葉にスイはこちらを振り返る。
驚いた、というよりかは思考が停止しているかのような表情で。
「ウ、ウチ……力に……なれ、なく……」
アイネが自嘲気味に笑う。
……そんな彼女を見ている時だった。
俺はふと、あることを思いつく。
「……もしかしたら」
それは、傷ついた体を癒す魔法であるヒールも使えたりしないだろうか、という考えだった。
仮に、先のアクアボルトと思われる魔法を俺が放ったものだとするならば、俺は魔術師のスキルが使えるのではないかという仮説が立つ。
他方、ヒールは修道士のスキルだ。普通であれば使えるはずがないのだが……
それと同時にある仮説を思いついたのだ。俺はゲームに出てくる全ての職業をレベル200まで育てている。
──もしかしたら、修道士のスキルも使えるんじゃないか?
今、自分は魔術師の恰好をしている。
そのことから考えてみても根拠としてはあまりにも弱い仮説だった。
「待ってろ、アイネ……治してやる……」
「ぇ……」
しかし、何もしないよりはマシだろう。
覚悟を決めるために敢えて俺はその言葉を口にする。
そのまま俺はアイネを抱きかかえたまま目を閉じた。
「何、するの……?」
か細く、不安げに訴えるアイネの声がきこえてくる。
そんなアイネの声を振り切って、俺は今やるべきことに集中した。
先のアクアボルトはエフェクトをイメージしたことで発動した。
ならば同じようなことをすればヒールだって発動する可能性がある。
──思い出せ、回復魔法『ヒール』のエフェクトを! 思い描け、エメラルドグリーンの光が対象のキャラクターを包み込み、体力ゲージが回復するその光景を!
「えっ……?」
と、アイネの声がきこえてきた。
少しだけ、その声に活力が戻ってきている。
「これはっ! まさかヒール!? え、彼が? でも、ってことは完全無……そんなっ……」
次に聞こえてきたのはスイの声だった。
鋭く、驚愕の声色をあげている。
──成功したのか?
瞼の向こう側から光を感じて、おそるおそる、目を開ける。
「えっ、え……?」
まず視界に飛び込んできたのは目を丸くして俺のことを見ているアイネの表情だった。
明らかに先ほどよりも顔色が良い。露出している腕を見ると傷が消えている。
「アイネッ! 傷は──痛みは、消えたか!?」
つい、声を荒げてしまった。
少し怯えたように震えるアイネ。
これは申し訳ないことをした。だが……
「……うん、痛みも消えてるよ」
すぐに彼女は、満面の笑顔を見せてくれた。
崩れた口調で放たれたその言葉にじん、と胸が熱くなる。
……涙が出てくるのが抑えられない。
「でも、いったいなにを……ひゃっ!?」
気が付くとアイネのことを抱きしめていた。
何か言おうと思ったが何も言葉が思いつかない。
ただ、自分を守ってくれたこの少女が、自分を気遣わない笑顔を見せてくれたことが嬉しかった。
……それに、涙を見せるのはやっぱり恥ずかしかったから。
「はは、やっぱ新入りさんは大げさだね……」
耳元で小さくつぶやきながらアイネは俺の背中に手をまわしてくれた。
優しく抱き返してくれるその感触が心地よくて……
俺はさらに強くアイネを抱きしめた。