32話 必殺の初級魔法
「がっ、うっ……ぐぅ……」
ふと、一気に視界がクリアになる。トワの姿は見当たらない。
すぐに周囲を確認する。そこには獲物を捕食するような体勢で牙をむけるゴールデンセンチピードと、倒れながらもその牙を必死に抑え込むアイネの姿があった。
──さっきの場所に戻っている?
「アイネッ!」
反射的にそう叫ぶ。
アイネの倒れている場所が彼女の鮮血で赤く染まっていた。
アイネは殺される寸前で必死に踏みとどまっている。
「し、しんいりさ……ぐぁ……」
だがそれも長くは持ちそうにはない。……むしろ、もって数十秒ではないだろうか。
俺はゴールデンセンチピードに向かって叫ぶ。
「くそっ、おい! アイネを離せっ!」
「だ、めっ……! に、げ……」
アイネは俺に逃げるように言っているようだが当然、無視する。
するとゴールデンセンチピードはアイネから興味を失ったかのように頭を起こし、俺の方に振り向いた。
あの状態になったアイネを放置していても脅威は無いと判断したのだろう。
「ぐっ、あぐ……ぐぁ……」
しかし、解放されたアイネは立ちあがらない──いや、立ち上がれない。
「アイネ! 大丈夫かっ!」
ゴールデンセンチピードが牙を俺の方に向けてくる。その牙が風を切る音は刃を振った時のそれに近い。
反射的に横っ飛びをして、それをギリギリのところでよける。そのままゴールデンセンチピードとすれ違った。
火事場の馬鹿力というやつなのだろうか。
自分でも不思議なぐらい、その動きを見切ることができた。
俺はアイネが倒れている場所までたどり着く。
「……な、んで……もどっ……」
「走るぞっ、おいっ! しっかりしろっ!」
倒れている彼女の肩に手を当てる。体を揺らそうとも思ったがすぐにやめた。
意識ははっきりしている。アイネはしっかり俺を見つめている。
「う……うぐっ……しん、い……だめっ……」
だが、それが限界のようだった。
──何をされたらこうなるんだ?
アイネの体中には深い切り傷が何十も刻まれている。
良く見えないが……見たくもないが、骨まで皮膚を切り裂かれている部分もあるのではないだろうか。
血だらけの体を、なんとか上半身だけ抱き起し彼女をおぶろうとする。しかし──
「くそっ……なんで……」
ゴールデンセンチピードが、迫る。
その巨体が日の光を塞ぐ。俺の希望を奪いにきたといわんばかりに視界を埋める。
ふっと目を閉じるアイネ。
「ごめん……」
全てを諦めたような、小さな声。
吐息にも近いそれが耳元で聞こえてきた時、俺の中で何かが壊れた気がした。
「くそっ、くそおおおおおおおおっ!」
涙が止まらない。視界がにじむ。
自分に迫った命の恐怖のせいでもある。
しかし、なによりも……
──なんで、俺には戦う力が無いのだろう?
自分の無力さに唇をかみしめる。
もし、俺がゲームのキャラクターだったら。
こんなヤツは余裕でぶったおしてやったのに。
俺は現実から逃げるように目をぎゅっと閉じた。
「……え?」
と、頭の中にあるイメージが浮かび上がってきた。
まるで映像を見ているかのような、具体的な、鮮明なイメージ。
そのイメージは見覚えのあるものだった。ゲームの画面で見た事がある。
──何やってるんだ、俺は?
すぐに悟った。
俺はこの期に及んで妄想している。
自分が、ゲームのキャラクターのように戦う妄想を。
ゲームで操作したことのあるキャラクターを使って、どうやってゴールデンセンチピードを倒すか考えている。
自分でもバカだと思った。
人生最期に考えることがゲームのことだとは。
──しかし、そうだな。どうせ最期なら落ち着いて考えてみよう。
ゴールデンセンチピードは火属性の魔物だ。
例えば魔術師のキャラクターでコイツを攻略するならば火属性の相手に効果的な水の魔法を使うことになるだろう。
ではその中でどのような魔法を使うべきか。
俺のキャラクターのレベルは200だし、70ぐらいのこいつなら威力の低い初級魔法でも戦えるはずだ。そう、例えば──
「アクアボルト──」
そう呟いた瞬間だった。
自分の腕から今まで感じた事もない寒気を感じた。鳥肌が立つのに近い感覚。
それに加えて自分の腕の内側から外にむけて風が物凄い勢いでふいているような──
そこから先はなんでそんなことをしたのか自分でも分からない。
ただ、ゴールデンセンチピードを見つめて、イメージした。
ゲームで放った時のアクアボルトのエフェクトを。
そして、そのエフェクトが目の前の魔物を殲滅する光景を。
……体の中で何かが固まっていく感覚を覚えた。
体の周辺で吹き荒れていた風が収束していくような感覚。
それが右腕に集中していく。俺は無意識に、右腕を前に突き出した。
その瞬間──
キシャアアアアアアアアアアアアアアア
魔物の悲鳴が辺りに轟く。
耳をふさぎたくなるような嫌な音が。
目の前に繰り広げられるその光景は俺の想像した通りのものだった。
魔物の上部に魔法陣が出現し、その周りから十本の魔法で出来た青い矢のような光が一本ずつ降り注ぐ。
そしてゴールデンセンチピードにぶつかった瞬間、その光は大量の水を発生させながら破裂した。
同時に、ゴールデンセンチピードの体に穴が開く。致命傷になりうる程の大きな穴が。
さらに破裂音を響かせながら次の一本が黄金の鎧を貫通していく。
倒れこむ敵に三本目の矢が命中。
地面にその頭がぶつかるのと同時に四本目がその頭を粉砕する。
五本目の光が命中した時にはゴールデンセンチピードはもはや微塵も動かなくなっていた。
それでも残りの光が容赦なくその体を貫いていく。
……完全にオーバーキルだった。
おそらく最初の一本目で勝負は決まっていたと思われる。
──ん? アクアボルトってこんなに威力が出る魔法だっけ?
ていうか――魔法が、使えた?
「……しん、いり……さん……?」