323話 セナの聴く声
「な、なんのことですか……」
よろけながら立ち上がるスイ。
レシルが嫌なものを見るような目つきで目を細めた。
「なんのこと? 本気で言ってる? この状況に至ってもそう思わないの?」
その問いかけに、誰も言葉を返さない。
するとレシルは大げさにため息をついた。
「この大陸には八英雄って言われる強者が居るんだって? ルイリからきいたわ。その一人が……あんたなんでしょう」
そう言いながらスイの方を見るレシル。
スイは全く言葉を返さないが――レシルの方も確認を求めたわけではなさそうだった。
返事をきく時間も置かず、レシルは言葉を続ける。
「英雄と呼ばれる人間でも……ううん、だからこそ、かしら。自分が『できること』の限界が分からないのは。自分を過大評価しちゃうのかな」
「限界……?」
「そう。例えば――あたしには絶対勝てない、とかね」
ふっと、レシルが笑みを浮かべた。
「一つ、教えてあげるわ。何故、あんた達がここで死ぬのか。それはね……自分が『できること』を見極めなかったから」
「えっ……?」
唐突に語られたその言葉に、スイは目を見開いた。
その様子を知ってか知らずか。レシルは少し得意気に話しを続ける。
「自分の限界を、自分にできないことを見極めて、できることだけを全うする。それを弁えない馬鹿が、いつもいつも死んでいくの。例えば――『やりたいこと』を優先するとかね」
その言葉を言った時、レシルは誰に対しても視線を送っていなかった。
誰もいない宙に視線を泳がせ、淡々と話している。
しかし、その言葉を聞いたとき、スイはまるで巨漢に睨まれた幼女のごとく、顔を強張らせた。
「……めないで……」
胸元に手を置いて、声を絞り出す。
「あ?」
「かっ……勝手に決めないでくださいっ! 私達の『できること』をっ!!」
その言葉を叫ぶ時、スイはレシルの方を見ていなかった。
目をつむり、顔を下に向けながら声を張り上げる。
「私があの時、決めたこと――それが『できない』なんて言わせないっ! 『やりたいこと』を『できる』ようにするために、努力をするんじゃないですかっ!」
剣を両手で握り直し、スイが改めてレシルを睨む。
それに続くようにユミフィとアイネも立ち上がる。
「そ、そっすよ……! ウチらにだって……可能性はっ……!」
「私達、戦えるっ……! まだ、体動くっ……こんなの、全然痛くないっ!!」
そうは言うものの、二人のダメージは深刻だった。
最初のような連携ができるような体力が残っていないことは明白だ。
そんな彼女達に、レシルは憐れむようなため息を吐く。
「ソードイグ――」
「なら、この力の差はどう説明するつもりなのよっ!」
「ぎっ!? ああああああああああああああっ!?」
スイがスキルを使う前に、レシルの大剣がスイの腕に食い込む。
切断まではいかずとも、半分くらいは食い込む刃。
剣を持つ力すら入れられない激痛。
スイは絶叫を堪えられない。
「やっぱり……」
そんな彼女達を見て。
セナはずっと唇を噛みしめていた。
肩を震わせ、視線を逸らさず立ち尽くす彼女に、トワがおそるおそると言った感じで声をかける。
「セナちゃん? ダメだよっ、近づいたら……ボクと一緒に出口に……」
「やっぱり、アイツらは神様じゃないんだよな」
「えっ……」
「だったら、オレだって……戦力に入れてくれてもいいじゃないかっ!!」
押し殺すような声をセナが上げる。
「身代わりでも、なんでもいいっ……オレだって、探してたんだ。自分の『できること』をっ!」
「ちょっ、ダメだって――うわっ!?」
短剣を握りなおして、セナが足を前に一歩踏み出した時だった。
周囲の――いや、地面が激しく揺れる。それはセナが未だかつて、体験したことのないような震動だった。
「な、なに……この地響き……」
宙に飛んでいるトワは、それを直に感知していない。
だが、セナだけでなく、ユミフィやアイネ――そしてスイまでも立っていられないところを見れば。
ただいつも通り浮遊しているだけなのに、まるで頭を掴まれ無理矢理振り回されているかのように目に映る光景が上下左右と揺れているところを見れば。
異常事態が――それも、とんでもなく大規模の異常が発生していることは優に想像がつく。
「……チッ、多分やられたわね……思ったよりも早かったな……」
地響きがおさまりだした頃。
レシルは額に手を当てながら舌打ちをした。
「聞こえるっ! 森の声っ!! お兄ちゃん、いるっ! ここの下っ!!」
ほぼ同時に、ユミフィが大声を上げる。
しかし、瞬時にその端的な言葉を正確に理解できた者はいない。
「マ、マジすか!? でも、下って……」
「っ……あんた、森の声って、本当に……!」
――あの表情……ユミフィの言うとおり下に?
溢れ出る激痛をペインインデュアで抑えたスイは、レシルの顔を睨みつつも、意識を下の方に集中させていた。
地響きは鳴りをひそめ、再び先の衝撃がくる気配はない。
――すまなかった。我らの根に、魔の牙が刺さっていてね……声を届けることができなかったんだ。
「あれ……?」
「セナちゃん……?」
各々が現況の理解に努めている最中、セナは呆けた表情で立ち尽くしていた。
悲観した表情でも、勇敢な表情でもなく。この場にいる誰もが視界に入っていないかのように、この場の誰もが見えていないものを見ているかのように。
ただただ、セナは上を見上げていた。
「でもなんだこれ。いつもより鮮明に……それに、マナが……こんなの、初めて……」
「え? なに……何言ってるの?」
トワの声に、セナは答えない。
というか、セナは答えられなかった。
そもそもトワの声はセナには届いていない。
――誇り高きドワーフの子よ。我らはずっと待っていた。君が己の可能性に気づく時を。
それは不思議な感覚だった。
頭の中に響いてくるのは言葉ではない、何かの音だ。
例えば森を歩けば自然に聞こえてくるような風に揺れる葉の音や、小さき生物の鳴き声。
そんな環境音ともいえるような音。
それを森の声として、森がどんな意思を有しているのか、漠然と感覚で理解する。
それがセナにとって――いや、ユミフィにとってもだが。ともかく、それが森の声を聴くときのいつもの感覚だった。
――君が憧れていた力ではないけれど。今、君を護るため、我らが力を貸そう。
それがどうだろう。
今、この瞬間に限っては、森の意思が自分の頭の中で言語化できるほどに鮮明に理解できる。
「はは……そっか。オレが斧だけに拘っていたから……? でも、今なら……」
理由は分からない。
だが、鮮明に伝わってきたその意思が、セナの目に光を灯す。
「ヘリュマヴォラヴェニヌマ」