2話 剣士の少女
「フォースピアーシング!」
俺が全てをあきらめ、視界を下げたその時だった。
覇気のある、しかしどこか儚げな女の声が耳を貫く。
同時にムカデが耳をつんざくような悲鳴をあげた。
「そこを動かないでください! 今助けます!」
──何が起きている?
おそるおそると顔をあげる。
そこには体に穴をあけられ苦しむムカデとそれに立ち向かう女……というか、少女の姿があった。
「ソードアサルト!」
息をのんだ。
その状況を理解するまでに、俺は数秒間の時間を要した。
「な、何これ……」
胸を金属の鎧で覆い、膝上まで隠すグリーヴ。肩には、足首近くまで伸びたマント。
腕にガントレットをはめ、剣を握りしめ果敢に敵にむかっていく。
そんなヒーローのような恰好の中でひときわ目立つかわいらしいミニスカートと、ふとももまで伸びた小さな前垂れ。
そして洗髪剤のCMにでてくるかのように綺麗に舞うロングストレートの髪。
漫画に出てくる女騎士のような姿をした少女が巨大ムカデに突進し、それを弾き飛ばす。
「大丈夫、私なら倒せます。そこを動かないでっ!」
俺が何か行動を起こそうとしたことを察知したのか、その人物は鋭く声をあげる。
「……女の子?」
緊迫した状態でそう感じるのもどうかと思ったが、その声はどこか可愛らしく感じる。
やはり少女と呼んだ方がいいのだろう。それも、かなり若い──
「やぁっ、はぁっ!」
彼女が持つ剣が、その掛け声とともにムカデの足を切り刻む。
痛みにのたうちまわっているのか金属がきしむような鳴き声をあげるムカデ。
「ヒートストライク!」
彼女がそう叫んだ瞬間、彼女の剣が赤く光り輝く。
それを見て生命の危機を感じたのか、ムカデは彼女に背をむけ逃げ出そうとする。
しかし、その判断は遅かったようだ。
「やああぁっ!」
彼女の声とともに、ムカデの胴体が真二つに切れる。
直後、彼女は切れた胴体の上半身を剣で大きく弾き飛ばし、下半身を蹴り上げ俺とは反対の場所へ飛ばす。
そしてその胴体が地面にたたきつけられた瞬間、メキメキと何やらグロテスクに割れる音が辺りに響き、その原型を消した。
「…………」
俺は動けなかった。
意味不明な出来事が続いて、頭がついていかない。
混乱が強すぎて頭がくらくらとしてくる。
「安心してください、敵は倒しました。私が分かりますか」
少女が声をかけてくる。
よほど俺が情けない顔をしていたのだろう。
ものすごく心配そうな表情をしている。
「……なに、今の」
俺が出せる言葉はそれしかなかった。
普通だったら『ありがとう』といった感謝の言葉が第一に出るのが常識的な態度なのだろうが、そんなことは頭の中から完璧にすっとんでいた。
「アーマーセンチピード、魔物です。もう私が倒しましたから安全です。貴方はなぜここに?」
動揺する俺をなだめるように、ゆっくりと彼女が言葉を続ける。
そんな彼女の気遣いが徐々に俺の動悸を落ち着かせていく。
「……わ、わからないんです。ここは、ここはどこですか……なんで、なんで俺は……」
つい先ほどまでの強烈な恐怖はひいても俺の混乱はおさまらない。
そんな俺を見て少女はふぅ、とため息をつく。
「落ち着いて。私はスイ。私が分かりますか。」
俺の背中に手をあて、横から顔を覗き込んできた。
そして、まるで幼子をあやすかのように俺の背中をゆっくりとなでる。
スイと名乗った少女は俺の息が落ち着くまでそれを続けてくれた。
「……す、すいません、スイさん……ですか、わかります、分かります……」
深呼吸をしながら落ち着いて少女の顔をみる。
──やはり、かなり若い。
十代の中盤か、後半にさしあたったあたりだろうか。
やや幼さが残ってはいるが非常に端正な顔つきをしている。
一言でいえば美少女ということになるのだろう。
暗くても、はっきりとそう断言できるほどの。
「ここはファルルドの森ですよ。人里からは離れていますし魔物も多い。何故こんなところに一人で?」
俺の背中をさすりながら少女は言葉を続ける。
だが、その問いに答えることなど俺には当然できるはずもない。
「分からないんです。何故ここにいるのか。光が……いきなり光に包まれて、よくわからないのにここにいて……」
「光……?」
俺の言葉にスイは首をかしげる。
無理もない。俺自身も何が起こったのか理解できていないのだから。
「分からない、分からない、分からないんです……わからない……」
「落ち着いて。大丈夫ですから、大丈夫」
再び混乱し会話ができなくなることを避けるためか、俺を思いやっての事か。
もう一度背中をさすりスイは俺を支える。
「光……というのは私にはわからないのですが。貴方はどこにいたのですか?」
「どこって、自分の部屋……」
「部屋……ですか? 部屋からここに?」
「……そうです」
……信じがたい。スイの顔がそう言っている。
しかし俺の深刻な様子から嘘ではないことはすぐにわかってくれたのだろう。
それに対して詮索することなく、言葉を続ける。
「ではあなたは自分の家からここにきたと。貴方の家はどこですか?」
「え、家……住所ってことですか?」
「そうです」
「え、えっと──」
俺は自分の住所を告げる。
都道府県、市町村、番地まで、細かく。
「……え?」
だが彼女はやはり怪訝な顔で首をかしげる。
「ちょ、ちょっとまってください。そんな場所きいたことないです」
「え……いや、でも都道府県ぐらいはわかるでしょ」
「とどーふけん……? すいません、どういう意味ですか?」
「いや、その……」
どうも言葉の意味が通じていないようだ。
彼女は苦々しく笑みをうかべるだけで何も答えてくれない。
「いや、だって、日本でしょ? ここ」
「ニホン……それが、貴方の住所ですか?」
「いや、住所っていうか……いや、ちょ、ちょっとまって」
……今更だが。
スイと会話する中で落ち着いてきたこの状況で、俺はようやく当たり前の事にきづいた。
「あの、さっき……さっきですけど……ここ、ファルルドの森って言いました? つか、魔物っていいました?」
「え? はい、そうですけど……」
「っ……!」
それは、俺にとって聞き覚えのある単語だった。
ファルルドの森、魔物。どちらも俺が先ほどまでプレイしていたゲームに出てくる単語だからだ。
「ファルルドの森って……え、なに、コスプレですか? それは?」
「え?」
そして、彼女の恰好。何故ここに最初に疑問を持たなかったのか自分でも分からない。
「剣士の恰好……どういうことですか……?」
「いや、私は剣士なんですけど……、それが何か?」
「お、おかしいだろっ!」
すっくと立ち上がりスイから距離をとる。
そんな俺の様子を見て唖然とするスイ。
「だって、だって、ゲームじゃないか! 俺はただのプレイヤーだぞ、わけのわからないコスプレ撮影につきあわさないでくれっ!」
「ちょっ、ちょっと……」
驚き、動きを固める少女。
しかしそんなことに気を取られている場合ではない。
俺はぐっと地面に手を当て、体を起こし走り出そうとする。
「意味わからねぇ、わかんねぇ、わっかんねぇ!」
その行動に意味なんてない。ただ、俺は恐ろしかった。
自分の理解を超えたこの状況が。この空間が。
「落ち着いて! ここは魔物が出る場所、一人で行動してはだめっ!」
スイは素早く立ち上がり俺の肩をつかむ。
そしてそのまま無理やり俺を座らせると前に座り込み、じっと俺を見つめてきた。
「とにかく私といてください。でなければ本当に死んでしまいます」
「死っ……!」
死、という言葉に胸がしめつけられる。恐怖という感情が俺の顔をひきつかせる。
それを見てスイは言葉の選択を誤ったと感じたのだろう。申し訳なさそうに頭を下げて言葉を続けてきた。
「分かりました。もう詮索はしません。とにかく無事なところまで貴方を送ります。私についてきてくれますね?」
「……は、はい」
有無を言わさない彼女の厳しいながらも優しい迫力に、俺は頷くことしかできなかった。