293話 歪な詠唱
「お兄ちゃんっ! 来るっ!!」
ユミフィの悲痛な叫びが聞こえてきた瞬間、リヴァイアサンの影が俺達を包み込んだ。
コウリュウ程ではないものの、見る者を圧倒させるには十分すぎる程の巨体。
金色に輝く瞳でまっすぐと俺を見据え、強風とともに雄叫びを放つ。
「これが……リヴァイアサン……」
人である俺にもはっきり伝わってくる敵意。
よく見ると腕や尾、首の辺りにかけて刺々しい拘束具がついている。
あれを使って封印していたということなのだろうか。
「荒れ狂い、逆巻く水を操りし魔竜よっ! この命を引き替えに命じるっ! 我が前に立ちふさがる敵を滅し、ユミフィ・ユグドラシアを奪還せよっ!!」
だが、そんな疑問など些細なことだった。
どす黒い青のオーラに包まれながら、カミーラが高らかにそう叫ぶと、リヴァイアサンは狂ったように体をうねらす。
「怒るがいいっ! 狂うがいいっ! その力全て、このアタシが掌握してやるっ!」
そう叫ぶカミーラの瞳は、もはや俺達をとらえていなかった。
高らかに力強く叫ぶ彼女の瞳には全くといっていいほど光が無い。
まるで死人のそれのような不気味な目つき。それに思わず体が震える。
「うお……オオオオオオオオオッ!!」
「なっ――」
まるで糸に吊られているかのようにカミーラの体が中に浮く。
吸い込まれるようにリヴァイアサンの頭の方へ移動していく彼女を前に、俺は完全に思考を停止させてしまった。
――何が起きている……?
リヴァイアサンの頭の上に移動したカミーラは、唖然とする俺を見て口角を上げると、杖を天に掲げて声を張り上げた。
「■■■……■■……■■■!」
カミーラが――いや、あれをカミーラと言っていいのだろうか。
体だけではなく、声すらも何か異質な歪んだものが混じっている。
あまりにも不気味な詠唱は耳を塞ぎたくなるようなものだった。
「お兄ちゃんっ! くるっ!!」
ふと、ユミフィの声で我に返った。
リヴァイアサンの体を囲うように乱雑に展開された青の魔方陣。
それが高速に回転しはじめ、強烈な光を放ちはじめる――
「プロファウンドメイルシュトロームッ!」
カミーラがそう叫ぶのと同時に、多数の魔方陣から大量の水流が放たれた。
それらは螺旋状にまとめられ、俺達の方向に一直線に放たれる。
「ユミフィッ!」
もう一度、ダメージディポートを使い、ユミフィへの攻撃を防ぐ。
その直後にリヴァイアサンの放った水が俺の体を後方に押し出した。
「だ、大丈夫? 大丈夫っ!?」
光の繭が消え去るや否や、ユミフィが悲痛な声を張り上げた。
だが、やはり俺の体はダメージを感知していない。
プロファウンドメイルシュトロームはリヴァイアサンの最も強力な攻撃スキルだ。
ゲームではレベルをカンストさせた俺のキャラでも装備を完全に特化しないと余裕で即死するようなもの。
それすらも、レベルの差の前では無に等しいダメージしか与えられていない。
「あぁ。ちょっと冷たいぐらいかな。しかし……」
ずぶ濡れになった顔をぬぐい、改めて上を見つめる。
「うおおおおおおおおおおっ!! まだだ、まだっ! 我が怒りを、憎しみはっ!! たったこれだけで晴らすことは到底かなわぬっ!!」
「カミーラ……?」
リヴァイアサンの上で頭を抱え込み、狂ったように叫ぶカミーラ。
やはり、どう考えても今の彼女は普通じゃない。
――いったい、どうしたっていうんだ……?
「お兄ちゃん……あの人、マナ、浸食されてるっ……リヴァイアサン、自分のマナ、カミーラにっ……!」
「っ……」
俺に向かって必死に叫ぶユミフィを見て、嫌な焦りが胸にこみ上げてきた。
だが、ユミフィの言葉の意味は正確に理解しかねる。
とりあえずリヴァイアサンを倒せば解決するのだろうか。
「あのままだとほんとに……ほんとに死んじゃうっ! お兄ちゃんっ!!」
俺の服を引っ張ってリヴァイアサンを指さすユミフィ。
その必死な様を見て、俺は思わず頬が緩んでしまった。
「……ユミフィは優しいな」
「え?」
そのような言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。
ユミフィは怪訝な表情を浮かべている。
「あの人は、ユミフィを連れて行こうとした。ユミフィが怖がってるエルフの国に」
「それ、は……」
「分かってる。それとこれは話しが違うよな」
カミーラは敵だ。それは間違いない。
だが、だからといってあの異常な様子を見せる彼女を放置していいものなのか。
「それに……ユミフィも知りたいだろ。自分が何故ここまで狙われているのか」
「……」
俺の言葉にユミフィは黙って頷く。
まだ俺達は彼女の事情を何も知らない。
何を理由にユミフィを追い、何を思ってリヴァイアサンを呼んだのか。
「俺も同じだ。あの人もあの人なりの矜持が無ければ、あんなことができるはずがない。それに――」
言葉を切ってカミーラのことを見上げる。
何かを詠唱しているような動作。おそらく、次の攻撃の準備に入っているのだろう。
リヴァイアサンは狂ったように咆哮を続けているが、ある程度の距離を保ち続けそれ以上近づいてこない。
赤黒く輝く拘束具を見るに、おそらくカミーラが動きをおさえこんでいるのだろう。
だが――
「カミーラは多分、求めているんだ。誰かに……助けを」